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いくひ誌。【2501~2510】

※日々、時間をねつ造しつづける、意識もまたそうであるように、記憶がそうであるように。


2501:【時代なんてものがあるの?】
人間が入れ替わるから社会が変わって、時代も変わるのか、それとも人間の価値観や興味対象が移ろうから時代が変わるのか。死滅がさきか、技術がさきか。(たぶん両方だろう)


2502:【すき去る】
好きだったものが時間の経過にしたがい、好きではなくなっていく、といった経験は年齢を重ねていくにつれて誰しもが覚えていく「さびしさ」の一つではないだろうか。いくひしさんもあるような気がしているが、具体的に例を挙げるのはむつかしい。好きではなくなったらもう興味の範疇外になってしまって意識の底に沈んでしまうからだろう。しかし、それでも「過去に好きだったもの」を目にしたときには、「あー、むかし好きだったなぁ」と思いだす。そして、その「あー、むかし好きだったなぁ」は、おおむねやさしく、あたたかな感触を伴っている。好きではなくなったとしても、「好きだった」という気持ちは、いつまでも身体に染みついているようだ。好きなものが増えていけば、「好きだったもの」もまた増えていく。しかし、その「好きだった」という感覚はけっして「さびしい」だけではないのだ。


2503:【成功と才能】
何を以って成功と見做すかが、割と人によって大きく違っている。いくひしさんにとっては、正しく設定できた目標を達成することである。単純だが、実践するのはむつかしい。まず以って、目標を正しく設定することからして往々にして失敗している。これはいくひしさんに限らないだろう。大多数の人間は、そもそも目標を正しく設定できていないのだ。たとえば「速く走れるようになる」という目標があったとする。しかしなぜ速く走りたいのか、からしていくつかの道に分けられる。オリンピックの百メートル走で優勝したいのか、それとも長距離走で優勝したいのか、或いは荷物を短時間でより遠くまで運びたいのか、それとも十キロ圏内の街中でピンポイントで郵送したいのか。なぜ「速く走りたいのか」一つとっても、競技や移動手段など目的がさまざまだ。似た目的であっても、いったいどんな限定条件のうえにそれが設定されているのかによってもやはりというべきか、目標達成のための手段が変わってくる。荷物をより遠くへ短時間で運びたいのならばそもそも人力では理に適っていない。自動車や船、飛行機やドローンを使ったほうが効率がよろしい。競技にしても、短距離走と持久走とではトレーニングの仕方が大きく異なる。使う筋肉の種類が違うのだからそうなる。これは創作の界隈でも同様だ。人気が欲しい、と言った場合に、なぜ人気が欲しいのかによって、とるべき手法や手段が変わってくる。あたりまえのことを言っているが、プロの作家でもそこのところを上手に設定できている者を見かけることがあまりないように個人的には思っている。たとえば、人気がでればお金を稼げて、創作一本で食べていける。そうすれば四六時中好きな創作に時間を使えるようになる。一見正しいように思われるが、プロになったところで好きな創作を好きにできることは稀だと言ってよい。ほとんどないと言ってもいいだろう。出版社からの依頼を受けて創作するのだから、好きなものを好きなようにつくれるわけがないのだ。好きなものを好きなようにつくりたければ、これはプロだろうがアマチュアだろうが、趣味でやるよりほかはない。趣味でお金を稼げるようになれればよいだろうが、果たしてそこまで我を押しとおしている商業作家がいるだろうか。いささか疑わしい。また、単にお金を稼ぐことが目的であるのならば、商業作家――とくに小説家においては、目指さぬほうがお金を稼げるだろう。宝くじを買うよりもすこしだけ大金が手に入る確率が高いといった程度であり、よしんば百万部のヒットで一億円の印税が懐に入ったところで、半分は税金でとられ、残りの五千万では、一生無職でいつづけるには心もとない。売れっ子作家になろうが、ならなかろうが、仕事はしつづけなければならないのだ。世にいる売れっ子作家のブログやSNSを覗いてみればよい。あくせく出版社のために働き、まるで自由とは程遠い。大金と引き換えに出版社のコマとして一生働きつづける覚悟があるのだろうか。いくひしさんは御免こうむる。出版社と関わって心身共に病んでしまったクリエイターが多すぎる気がする(編集者も体調を崩しているひとが比較的多いような気がしているがよくは知らない)。何が要因かは定かではないが、商業作家にならないほうが生涯に渡ってよりたくさんの作品をつくれるのではないか。すくなくとも、現在プロでいくひしさんと同じくらいの創作年数でいくひしさんよりも多くの物語を編んでいる作家さんはそう多くはない。むしろ、商業作家になったために生産性ががくんと落ちてしまった作家さんのほうが多いのではないか(つまり一作に割く労力が高いのだ。何度も書き直している影響だろう。コストをかける分、良質な作品となる確率があがるので欠点というには早急だ。何事にも利点はあるものだ。また、たくさん作品をつくったから優れているというわけでもない。誤解なきように)。いくひしさんは不真面目なので、真剣にその道を極めんと一生懸命な商業作家とは一概に比べられないし、比べる意味もないが、もし創作をしつづけたいだけなら、商業作家になる旨味はそうないと判断している。ただし、いくひしさんを見ればわかるとおり、個人でやっていると、読者の数はたくさんを望めない。いくひしさんは、いくひしさんのつむぐ物語と相性のよい読者さんにだけ読んで欲しいので(要するにあなたに)、数はすくなくてよい。以前から言っていることだが、いくひしさんの物語がたくさん読まれるような世のなかになってしまうほうが哀しいし、望まぬ未来である。(それはそうとして、商業作家の小説はおもしろい。どんどんおもしろい物語を世に送りだして、いくひしさんの手元まで届くようにしてほしい)


2504:【新作はできませんでした苦し紛れショートショート】
ノートの一部が白紙になっていた。正確に言うならば、毎日つけていた日誌の一部が空白になっているのだ。たしかに昨日まではそこに文字が、文章が、つらなり、その日何があったのかと、仔細に記述が並んでいたはずだ。(つづきはこちら→https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/1177354054893411536


2505:【統一性なし】
ショートショートと日誌はできるだけべつべつにしていきたい。するぞ。


2506:【読書も創作のうち】
これはさいきんの実感なのだが、文章を並べるよりも文章を読むほうがはるかに体力を使うし、疲れる。小説やマンガ、新書と、内容の種類を問わないが、どちらかと言えば、新書、小説、マンガの順で楽だ。つまり、マンガがいちばん頭を使うし、新書などの小論やエッセイがいちばん読んでいて頭を使っていない。これは個人的な傾向であるだろうし、現時点での局所的な傾向かもしれない。もちろん観察の仕方が間違っている可能性もある。なぜ読書をすると疲れると思ったかと言えば、よく眠ってしまうからだ。読書をした日はよく眠れる。マンガを読んだ日がもっともよく眠れるし、それは冊数の増減と相関しているように感じている。小説を読んだ日もふだんより眠くなるのがはやいが、マンガを読んだ日のほうが睡魔の引力がつよい。なんだったら、マンガは読んだ直後、あーたのしかったー、と興奮しながら、すやすや眠ってしまうくらいだ。とても心地よい眠りである。そのまま死んでしまいたいくらいの至福のひとときだ。大袈裟に言いすぎたかもしれないが、いずれにせよ、以前からたびたび並べていることであるが、文章をつむぐよりも読むほうが現代では体力を使うし、技術がいるのではないか、と感じている。というよりも、読書もある種の創作作業なのである。疲れて当然だと思うしだいだ。


2507:【なんも思いつかん】
植物の名前をほとんど知らないために、道端に生えている草を見ても、トゲトゲした草だとか、恐竜の時代に生えていそうな草だとか、なんか草ってみんな緑だな、とか、丸い葉っぱや四角い葉っぱを見掛けないのはなんでかな、とか、そういった視点でしか植物を見られない。もっと生態というか、見た目以外の情報を引っ張ってきて思考を飛躍させられたらきっと楽しいのだろうな、と感じる。これは植物にかぎらず、鳥や虫でも同様だ。ただ、なんでそのカタチをしているのかな、と考えるのはけっこう楽しい。というよりも、いま単純に、なんでかな、と考えてみて楽しかっただけだが、たとえば葉の機能として考えられる筆頭に挙がるのが光合成の効率向上だろう。太陽光に当たりやすように葉っぱが生えればたくさん光合成ができる。葉っぱが重なりあわないように生える植物が結果的に生き残り、進化してきたと考えれば筋は通るが、しかしだとすればみな同じカタチに行き着くのではないか、と疑問したくもなる。なぜ植物は大なり小なりカタチが異なるのだろう。おそらく一つには、葉の役割が光合成だけではないから、と妄想できる。たとえば繁殖力がつよい草は、繁殖しやすい代わりに土壌の養分をすぐに枯らしてしまい、じぶんでじぶんの首を絞めてしまう確率が高い。これを防ぐためには、動物の糞や亡骸など、養分となる外部因子を身近に集めておきたい。とすると、草食動物や昆虫など、養分候補が集まりやすい形状の葉だと、結果的に繁殖しやすく、進化として定着するのかもしれない。つまり、食べてもらいやすいカタチというわけだ。また、ほかの植物の光合成を邪魔するように葉を広げられれば、生存競争に有利になる。ただし、光合成に頼りきりだと、いざ天候が長期間悪化した途端に絶滅してしまう可能性が残る。そういうときは、光合成を活発にしなくとも増殖可能な植物のほうが生存に有利と言える。つまり、葉はちいさくとも構わないし、成長も遅くてよい。ゆっくり着実に育ち、動物や昆虫に食べられないように、こそこそ生えていられるカタチであれば、繁殖はできずともより長い期間、子孫を残しつづけることができるだろう。要するに、植物のカタチが一定でないのは、地球の環境そのものが一定でないためだ。様々な時間スパンでの生存競争がいくつも同時に行なわれている。いっとき有利になっても、すぐに衰退してしまうが、絶滅するほどでもなく、また増えたり、減ったりを繰りかえす。その振幅を途切れさせない種だけが、こうして地上に残っており、これだけの多種多様なカタチを帯びているのだ。それだけ環境が多様である傍証とも言えるかもしれない。もちろん植物の形状、ことさら葉のカタチが一様でない理由はほかにもあるだろう(たとえば夜露や朝露など水分を収集しやすくするため、など)、上記の妄想が当たっている保証もない。真に受けないように注意を促し、並行して、ほかに何か考えられる因子がないだろうか、と妄想を促し、本日の「いくひ誌。」とさせていただこう。


2508:【眠いので寝る】
なんも思いつかないので、そういうときはなんも思いつかないことをネタにするしかないのだ。けっこうこの「いくひ誌。」でもなんも思いつかないのをネタにしていて、だって思いつかないものは思いつかないんだものしょうがなくない? で、どうして何も思いつかないかというと、これは若干ウソで、思いつかないのではなく、思いついているけれどそれを並べたくないだけなのだ。文章にするまでもないなと、文章にする前から脳内でボツにしてしまうのが一つ。それから単に面倒に思ってしないだけなのが一つ。あとはやはりというべきか、並べたい文章に対して情報が足りなかったり、理屈の筋道や脈絡がどうしても欠けてしまったりと、並べるにしろ並べないにしろ、何も思いつかない、と言って手を止めてしまう。ただ、そういうときにムリヤリ何かを並べたところで、こんなしょうもない文章しか姿を現さないのだから、こういうときはいっそインプット期間だと見做して、たらふく遊んでしまうのがよいのではないかと思うものの、すでに毎日ぱーっと遊び呆けているので、いまさら遊ぶ余地がない。ので寝る。寝ます。おやすみ。


2509:【くだらない嘘】
ときどき知らないあいだに新作が増えてて、どこからか盗作してきたのかと思ってびっくりするのだけれど、検索してみてもいくひしさんしかインターネット上にアップロードしていないみたいだし、じゃあそれはいくひしさんの新作ってことになると思うのだけれど、つくった憶えがなければ、インターネット上に掲載した憶えもなくて、えーえー、なにこれー、みたいにときどきなるのだけれど、たぶんこう、なんだ、新作脱稿したらひとまず寝かせるようにはしていて、寝かせているうちにどれが新作か忘れてしまったり、寝かせているはずなのに推敲した気になってそのままインターネット上に掲載してしまったりしているのかもしれない、なんて思えてきた。というのも、ここ以外にもいくつかのテキスト投稿サイトに載せているから、もちろん同じ作品もダブりで載せていたりするし、いっぽうに載せていてもういっぽうには載せていないというのもあるから、それで頭がこんがらがってしまっているのかもしれない。それにしても、知らぬ間に新作が増えているのはうれしい反面、すこし不気味だ。


2510:【いいひとと思われたいだけ】
いいひとになりたい。誰かの足りない何かを埋めてあげられる存在になりたい。誰かの何かを奪うことなく、補いあえる存在でありたい。支えあうことなく、偽ることもなく、腹を割き、何事も隠さずにいても相手を傷つけずにいられたらどれだけ楽に過ごせるだろう。楽になりたい。楽に生きていきたい。だからいいひとになりたいの? 否定できるだけの理屈が構築できない。いいひとではないからだ。いいひとになりたい。いいひとになりたい。でも本当に? 延々と苦しみにつつまれたままだとしても? 地獄の業火に焼かれつづけるとしても? 誰かのために痛みを許容しつづけなくてはならないとしても? それでもいいひとになりたいひとだけがきっと真実にいいひとなのだ、と考え、それを肯定したとたん、永遠にいいひとにはなれないのだろう。いいひとはみな業火に焼かれつづけなければいけない世界を望むことがいいわけがないのだ。どうしていいひとになりたいのだろう。楽に生きたいと考えることが正しいと思えないのはなぜだろう。自己犠牲なんかくだらないと知っているくせに、自己犠牲を他人に強いることこそが悪だと知っているくせに、それでもなお、率先してみずからリスクを犯そうとする破滅願望――犠牲ありきの救済の必然性に囚われている。いいひとになりたい? ウソでしょ。ウソだよね。あなたはただ、人の弱みを踏み台にして、上に立ちたいだけなんだ。人を見下し、感謝を欲し、それを以って生きている実感を得たいだけなんだ。あなたは――私は――他人の欠点や弱点に浸けこんで、生き血をすすって生きている。


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参照:いくひ誌。【1531~1540】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054886784973

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