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いくひ誌。【1491~1500】

※日々徒労を努力と言い張っている。


1491:【増員希望】
5月21日にtwitterをはじめてから2か月と2週間が経ちました。プロフィールへのアクセス数は平均300回くらいに落ち着いています。ひと月だと1万回くらいのアクセス数です。7月は一週間ほど休止しましたが、そのあいだも1日平均180回くらいのアクセスがありました。休止明けから、twitterの使い方をすこし変えました。リツイートやファボをする時間帯を決め、時間も30分~60分と定めました。じぶんとの約束です。破るのは自由です。罰則もありません。いまのところは順調に守れています。ただし、ログインせずに、じぶんのタイムラインを眺めることはあります。癒されるひとときです。いい時代になりました。はい。7月からはじめたinstagramのほうも現在の投稿は20件あります。別個に短編をいくつかつくったので、現在は4万字ほど原稿が溜まっています。このままいけば、50件投稿するころには、本1冊分にまとめられるかもしれません。ひと区切りつくようでしたら、電子書籍にしたいと思います。また、twitterに慣れてきたこともあり、別アカ(https://twitter.com/Man_is_IBUKI)をつくりました。こちらは日替わりで500文字前後のショートショートを投稿していこうと思います。ひとまず200日つづければ、本1冊分の分量が溜まります。日替わりですから、じっしつ、1ジャンルにつき30作前後(1.5万字)つくれば済む計算です。こちらも本1冊分溜まった時点で電子書籍にしていこうと思います。長くつづけるつもりはありません。まずは本1冊分を目標に、毎日あげていこうと思います。その分、こちらの「いくひ誌。」の文字数がすくなくなるかもしれませんが、優先順位ではこちらのほうが上です。まずはどちらもつづけていこうと思います。新作のほうですが、4つの物語が、頭のなかの創作野にて、工房入りしています。タイトルと進捗はそれぞれ、「かってに死んでBAD(進捗5万字)」「文学キラー(進捗5万字)」「傷と夏(進捗3万字)」「雷獣、そらに昇る(進捗8万字)」となります。いずれも物語は佳境に入っています。そろそろ順々に閉じていこうと思います。閉じない物語に読まれる価値はありません(価値がなくとも、無意味ではないでしょう)。いくらたくさん文字を並べたところで、読者に読まれないのでは小説として成立しないのと同じです。ほかにもつくりかけの短編(中編の種?)が10~20程度あるので、そちらも隙をみて結んでいこうと思います。時間はあるのですが、能力が足りません。小説以外の楽しみにも時間と労力をかけたいので、そろそろ、いくひしのなかのひとを増やしていこうと思います(2人くらい?)。


1492:【俎上に載る】
ここ三年余り、組織のトップの不祥事が取り沙汰される機会が多くなった。組織の問題ではなく、そのトップ個人の立ち振る舞いや私生活が問題視されるようになったと言い換えてもいい。組織の質が悪化しているのか? そうではない。むかしから一定数そういった、困った権力者はいたのだ。マスコミがそれを記事として取り上げなかっただけにすぎない。なぜかと言えば、権力者に盾つくよりも、うまい具合にコネを固める方向に尽力したほうが得をするからだ。つまり、あなたの不始末を記事にしませんよ、だから仲良くしましょうね、と権力者とマスコミは暗黙の了解で癒着していた、ということである。では現在は何が変わったのか。一つは、大衆の興味関心の変化である。SNSなどの集合知の登場により、人々の問題意識が可視化され、かつ、格段に深化している点が挙げられる。マスコミは視聴率や話題性を求める性質がつよい。大衆の興味関心が、組織の腐敗や権力者の不祥事に向いていると見るや、権力者におもねるよりも、視聴率や話題性という名の利益に触手を伸ばしたほうが得だと判断するようになった。また、マスコミという名の影響力を誇示する意味合いで、我々にはいい顔をしていたほうがお得ですよ、と権力者へ強請りじみたアピールができる。持ちつ持たれつだった力関係は、いまや傾き、主導権はマスコミが握る構図ができあがりつつある。社会の内部でもみ消されてきた様々な問題が表層に浮きあがり、灰汁のようにすくいとることの可能な社会になってきた。それは好ましいことである。しかしながら、それはけっきょくのところ、マスコミによる印象操作がつよく働いた末の「ネタ」である。その点には注意しておいて損はない。マスコミの機嫌しだいで、潰される権力者とそうでない権力者、或いは個人がでてきてしまっては、これからの情報社会ではますます問題の根は深まっていく。我々一人一人の興味関心が結果として、マスコミという名の拡声器の舵をとることになる。俎上に載る人物の素行そのものが問題だ、というよりも、なぜそのような人物が組織のトップに居座りつづけていられたのか、もしくは、なぜ権力を不当に振るう真似がまかりとおるのか、と、まずは問題が問題として放置される構図を指摘し、改善を求めるのが、議論を煮詰めるにあたってテーマとしていくべき指針となる。議論は、結論をだすためだけのものではない。広く議論されているという事実だけでも大きな影響力を発する。俎上に載った個人を責め、立場から追いやるだけではなんら解決に結びつかない。権力を持った人間が、そのちからを不当に、理不尽に、恣意的に振るまいつづけられる環境をまずは変えていこう。そう声をあげることもむろん有効だが、それだけではなく、自身の日々の生活を省み、問題の種を発芽される環境の一因(一員)に自身も与していないかを、ときおり意識してみることが、誰にでもでき、かつ、本質的な改善策になり得るのではないか。ともすれば、それがもっともむつかしいのかもしれない。(マスコミに従事する者のなかにはむろん、より公正な情報の提供を目指し、日々悪戦苦闘している方もすくなくないはずだ。ただし、マスコミもまた資本主義社会における一企業である以上は、より利益をあげる者が職制の階段をあがっていくこととなる。世俗な話題ほど視聴率があがりやすいのがこれまでの社会であった。まずは視聴者たる我々が自身の興味関心を耕し、個々人が各々に、それぞれの器をより豊かに形成していかねばならないのかもしれない)


1493:【インプレッション】
きのう、ツイッターで初めてつぶやきを投稿しました。アナリティクス解析が利用できるのがいいですね。インプレッションは百くらいです。おそらく、すべていくひしが閲覧した回数だと思います。そこまで何回もTLを開いた憶えはないのですが、フォロワーがゼロなので、そう考えていて大きな間違いはないと思います。ということは、一人につきだいたい、百回なので、一万人から閲覧されるには、百万インプレッションが必要です。とりあえず、本一冊分の分量が溜まるまでのあいだに、それくらいのインプレッションが集まることを目標にしていきたいと思います。無理だとは思いますが、目標に掲げるだけならばタダですからね。まずはやっていこうと思います。(ツイッターやっていない人は、なんの話かがわからないかもしれませんが、検索したらわかるので、気になるようでしたら検索してみてください)


1494:【だってなんだもん】
twitterで絵をリツイートしている。まいにち同じアカウントの方の絵をリツイートすることもしばしばだ。お気に入りなのである。拡散したいのである。多くの人の目に触れてほしいのである。ただ、いくひしのそうした独善的な行いが、絵描きさんの負担になっていることもあると思うのだ。すこしでも嫌な思いをされているのなら、遠慮なくミュートやブロックをしていただきたい。いくひしは人の気持ちを察するのが苦手である。嫌なことは嫌だと言われないと判らないし、ダメなことはダメだと言われないと理解がそこまで及ばないのである。端的にバカである。悪気はないのである。ただ、すこしばかし、じぶんよがりにすぎるのだ。いくひしにかぎっては、気軽にブロックしてくれてよい。むしろ、していただけると、こういう場合はダメなのか、と勉強になるので、ぜひ遠慮なくシャッターを下ろしていただきたい。繰りかえしになるが、悪気や悪意は皆無である。ただし、いくひしの本懐など、相手からすればどうでもよいことである。だいじなのは、絵描きさんのお気持ちである。こうして釈明を並べておけば読んでくださる方がいないとも言い切れないので、この場を借りてお詫び申しあげます。不愉快な思いをさせてしまっているかもしれません。申しわけございません。が、懲りずにいくひしはリツイートをするのである。だってステキなんだもの。勝手ながらにも平素より癒しをいただいております。加えて、深く感謝申しあげます。


1495:【下水道】
鼠老子から、ちょいと頼んま、とお呼ばれした。幼いころに世話になった恩がある。仕事の合間を縫って駆けつけると、鼠老子は街はずれの巨大な側溝のまえに一人でぽつねんと佇んでいた。「どうしました」「うんみゃ。なんかおる」鼠老子は髭を、下水につづく穴に向けひくつかせる。仔細な事情を話す気はないらしい。背中は曲がっており、後ろ手に組まれた手はちいさい。まとっているボロからは細長い尻尾が伸びている。ときおり思いだしたように腰に巻きつけるが、人間でないのは一目瞭然だ。老子もお歳だ。偽装体を維持するチカラも残されていない。「地下街に何かが住みついた、それをどうにかしてほしい、そういうことですか」「うんみゃ」鼠老子は穴の縁に腰掛け、「待っとる」目をつむり、ちいさな呼吸音を響かせるだけとなる。地下街のまとめ役として長らくその座に君臨してきた鼠老子である。さいきんではそのお役目のほとんどを側近たちに任せきりだと聞き及ぶ。鼠老子が手腕を発揮していたころは、流れ者のアヤカシモノや霊体がこぞって地下街に身を寄せていた。いまでは鼠老子の側近たちの後釜争いによって、地下街は大きく分断している。人間界を追われて辿り着いたさきでも、権力争いによって理不尽な扱いを受けるモノたちにとって、もはや地下街は憩いの場ではなくなった。いまでは全盛期の三分の一にまで地下街の構成員は減っているそうだ。来るものを拒まず、が理念の地下街だ。治安の悪化程度では街の免疫機構は働かない。鼠老子はそれを憂うわけでもなく、まつりごとからは距離を置き、隠居生活を送っている。ただし、こうして看過できない事案が起きると秘密裏に事の鎮静化を図るのだ。かつて交流のあった境会幹部やこちらのような専門業者を呼び寄せては、火種の処理を命じる。今回はこちら一人ということで、様子見といったところか。下水道に足を踏み入れる。(つづきはこちら→https://kakuyomu.jp/works/1177354054881060371/episodes/1177354054886588388


1496:【ルビー】
漢字に振られているちいさな文字を「ルビ」と呼ぶ。語源は、かつて文字の大きさを宝石にたとえたことに由来する。ダイヤモンドやパールがあるなかで、ルビーはちいさく、活版印刷ではあまり使われなかった。そのため、比較的よく使われる大きさの文字はどんどん呼び名が変わっていき、結果としてルビーだけが、ルビとして、呼び名が残ったそうだ。なんだか寓意じみて感じられないだろうか。もっとも軽んじられていたルビだけが、いまなおその呼び名で親しまれ、汎用性の幅を広げ、書物の可能性を最大限に引きだしている。「極限」と書いて「きょくげん」とルビを振っても、「リミット」と振っても、「がまんならない」と振ってもいい。読ませたいようにルビを使えば、文章の可能性は単純に二倍にも、二乗にもなる。とはいえ、いくひしはあまりルビを使わない。本来ならすべての漢字に読みがなを振りたいくらいだ。「逃がす」にしても、「に」なのか「の」なのか、区別がつきづらい。日本語は案外、ルビがないと読解困難な言語なのかもしれない。文字というよりも、音と流れで読みとるものなのだろう。日本人は目元を、欧米人は口元を見て相手の感情を読み取るといった話をネットで目にした。おそらく、欧米では、発音を目で見る必要があるのだろう。反面、日本人は言葉を耳で聞きとるために、口元を見ずに済み、また同時に、本心を話したがらない傾向にあるため、ほかの情報から本音を推し量る術を磨く方向に文化が進んだのだと想像するしだいである。ほかにもいろいろルーツはあるだろう。それこそルビの起源がルビーにあったように、本流ではなかったからこそ結果として受け継がれるようになった数奇な道筋があったのかもしれない。


1497:【基本的な傾向】
人間の傾向として、望まなければ手に入れられない、というものがある。たとえば、プロになりたい、と思わなければ、どんなに技術力を高めてもプロになることはできない。プロよりも技術力が高いアマチュアなどいくらでもいる。アマチュア以下のプロも相当数いるだろう。良し悪しは顧客が決めることであり、プロだからどうだとか、アマチュアだからどうだとか、そういうことは評価の指標としてズレている。プロになった人間は、プロになろうとしたのである。プロでない人間のなかにはむろん、プロになりたくてもなれなかった者たちも含まれる。ただし、プロになった者たちはみな例外なく、プロになろうとし、その地位まで昇りつめたのだ。目標を達成しているという意味で信頼のおける職人である。もっとも、それとその者の腕前はまたべつの話になってくる。あなたは何を手にしたいと望むだろう。何を目標に日々を生きていますか? いくひしは、これ以上磨かずに済むくらいにピカピカの何か、或いは擦り切れてなくなってしまうくらいに研ぎ澄まされた何かになりたいです。存在しない存在になりたい。これ以上、肉体という名の器に囚われたくはないのだ。


1498:【劣悪さが理想的な環境】
深層学習を代表とする機械学習において、より劣悪な環境が理想的だとする考えはこれからますます高まっていくだろう。たとえば自動運転システムだ。国によって交通ルールや運転モラルが違うため、その国ならではのAIが構築されていくという理屈は理解できる。ビッグデータのデータそのものがそもそも異なるためだ。しかし、どの国でも、どんな環境下でも有効なAIが構築できれば言うことはないはずだ。あらゆる失敗を織りこむことがそうした、汎用性の高いAIを生みだす基盤となる。極論、幼稚園児の遊びまわる道路で無人の自動運転車を起動させられるのか、が安全性という観点でも重要な課題となっていく。そういう意味では、運転モラルのわるい国や、死亡事故の絶えない国は、AI開発という意味では有利な立場にあるはずだ。ほかの国ではなかなか起きないレアな事故が、データとして蓄積されるためである。この理屈は、ほかの分野のAIや、ビッグデータにも言えることである。たとえば中国はいまや世界トップレベルのIT技術大国である。いっぽうでは、労働者の質がわるいことが、国内外問わず、問題視される傾向にある(常識があまり一般化されていない、多様性の豊かな国だ、という意味である。また、労働者として質が高いことが人間として優れているわけではない)。ルールや規則といった枠にはまらない人間を一律に扱うために、さまざまな実験や試みが日々、現場で繰り広げられている。それらはビッグデータとして蓄積され、共有され、国家に吸い上げられ、AI解析に回される。そしてAIを通じて編みだされた新たな対策を現場に導入し、より効率的な生産活動へと改善をすすめていく。おそらくは、これからさき、新技術が導入される現場は、徐々に先進国ではなくなっていくだろう。近代文明にまだ馴染みのない国々で試験的に導入し、データを蓄積する企業が増えていくはずだ。言ってしまえば、実験場である。ある意味、事故がたくさん起こることを期待し、導入するようなものである。もしこの国で、新たなシステムが導入されることが頻繁に起きるようなら、それはその分野の技術力が高いからではなく、実験的に優位な、劣悪な環境があるからだ、と判断して差し障りなくなっていくのではないか、と妄想を逞しくするしだいである。


1499:【発想の回路】
どうやったら発想が豊かになるのか。長年の疑問である。知識があればいいというものではなさそうだし、ただ閃けばいいという問題でもないようだ。質は量に担保される、と言われれば一見正しいように聞こえるものの、AIの深層学習ですら、同じ情報だけを何兆何億と与えても意味がない。1×1を何回かけても1にしかならないのと同じだ(強化はされるだろうが)。発想の基本は、異なるもの同士を結びつけることにある。共通点を洗いだし、ボタンを掛け合わせるように、或いはファスナーを閉めるように、異なる性質のものを一つに結びつける。どんな共通点を見繕い、結ぶのかが、発想の原点であり、個性でもあるだろう。これは具体的な情報を分析して抽出される類推ではなく、おおざっぱになんか似ているな、と捉える抽象化による類推である。言い換えれば、具体的にここが似ている、と言えるものは、点なのだ。なんとなくここら辺が似ている、と捉えるとき、そこにはある種の流れが生じている。ここと、ここと、ここに到るなにかが似ている、と捉えるその情報の結びつきの流れが、一つの抽象化された像として、発想の土壌となっていく。月を眺めてうさぎやカニを連想するのは、具体的にどこかが似ているわけではなく、なんとなく、ここからここに到る影が、うさぎやカニの輪郭と重なるな、と解釈されるからである。一種の錯誤といえる。表層に溢れた情報だけでは視えてこない、分厚い肉の奥底に眠る骨格じみた線が、流れが、ときおり、ふとした瞬間に視えてくることがある。それは、対象物をただ見つめているだけでは視えてこない、ほかの物との比較である。対象物を目にするとき、すでに脳内には抽象化された流れができていなければならない。対象から抜きだすのではなく、すでにある型を、無作為に当てはめ、ハマるかハマらないかの比較を、脳の演算によって膨大な回数、行っているのである。それは意図して行える作業ではない。漫然と、ただ待つよりない魚釣りのようなものである。水中の魚の数が多ければ多いほど、ヒットする確率があがる。ただし、その魚の数を増やすには、魚釣りという作業以外の営みが不可欠である。ほかのまったく関係のない事象から、関係ありそうな事象まで、手当たり次第に、目に留まるものから、骨格を抜きだし、脳内という大海原に放逐しておく。するとそれらは、知らぬ間に魚のカタチをとって、垂らした糸に食いつくようになる。発想がほしいと望むときに、対象物から何かを得ようとしていても無駄なのだ。それよりずっと前に、魚となる種を海に撒いておかねばならない。そして、そうした魚の種は、あらゆるものから抜きだすことのできる骨格によってできている。骨格の抜きだし方は、学校でも、どこでも教えてはもらえない。自力で修得するよりないのである。しかしながら、ほんのすこしだけ、その抜きだし方のヒントをもらえることがある。読書はまさにそのヒントの宝庫である。そして可能ならば物語であると望ましい。具体的な情報を得たければ、ネットの記事や、新書や学術書を読めばいい。しかしながらそれら書物には、なぜそうなるのか、の情報は載っていても、なぜそう考えるに至ったか、までの作者の思考の道筋は載っていない。なぜなら、そこには脈絡などないからだ。発想がそうであるのと同じように。整理された文面に、骨格の抜きだし方、は宿らない。反面、だからこそ、物語からしか得られないものがある。発想の回路、閃きの軌跡とも呼ぶべきそれは、物語という名の、飛躍と錯誤と漫然とした流れによってのみ、読者の脳内に刻まれる。それは自然に刻まれることはない。流れを読み取ろうとする意思ある者にのみ、引き継がれる秘伝である。発想を豊かにしたくばまず、流れを抜きだすための回路を焼きつけよう。魔法の杖のように、それは、持ち主がじぶんの手で選び取るものである。他者の評価などアテにしてはいけない。物語から聴こえてくる旋律に身を委ねよう。おのずからそれはあなたと呼応しあうようにできている。


1500:【性別はいくひし】
やーやー、ひさびさでござるな。我こそは、いくひしまんでござる。さいきんは「いくひ誌。」をさぼりがちでな、もうひとりのいくひしさんにおねがいして、あたまさげて、いやだと突き放されてもめげずに、バナナ入りホットケーキをごちそうして、なんとか肩代わりしてもらっていたぞ。言うても、どっちもいくひしさんなのだがな。いくひしはいっぱいいるぞ。ふだんは四人でがんばっているのだがな、さいきんはSNSの活用にすこしだけお手伝いさんを雇ったぞ。報酬は、いくひしを名乗れることだぞ。これはすばらしい。第二のいくひしさんが腕まくりするだけでかんたんに集まってくれたので、うれしいかぎりだ。なんか、その、すまんね。twitter(https://twitter.com/Man_is_IBUKI)にショートショートをあげるうえで、こう、テキストを画像化しなきゃならんのだが、それがまためんどうでな。新しいいくひしさんたちにはぜひとも手分けして、推敲と画像化とアカウントの管理をおねがいするぞ。言うてもフォロワーどころか読者すらゼロみたいだが、まあ、いつもの感じで、ぬるくやっていきたいと思うのだ。知るひとぞ知るいくひしさんを目指していくぞ。お? そんなこと言ってホントは一人しかいないんでしょ、さびしいから脳内おともだちをつくってるだけなんでしょ、このさびしんぼさんめ!って思ってるそこのきみーー!!! 図星をさすのはやめてくれーー! まんちゃんしんでまうやろーー!!! はずかしさでーーー!!!!!! はい。男女比は3対3、プラスαがごちゃごちゃのいくひしまんでした。


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参照:いくひ誌。【1001~1010】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054884692789

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