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いくひ誌。【1301~1310】

※日々死ぬときに何を思うかを想像する。


1301:【自己肯定感】
いくひしは自己肯定感がとても低いです。どれくらい低いかと申しますと、何かの大会で優勝してもまったくうれしくありませんし、何かの賞をもらってもまったくうれしく思いません。ポーズでよろこんでみせることはありますが、本心ではどうでもいいと思っています。じぶんが総合でどのレベルにあるのか、よりも、満足いく表現ができたか、満足するしあがりだったか、理想にどれだけちかづけたかが指標となります。評価される舞台にあがるのも、じぶんがどれだけ成長できたかを客観的に知りたいからであり、試金石以上の意味合いがありません。いくひしの行動原理の総じては自己満足です。反面、これまでいちども満足できたことがありません。飽きたことは多々あります。諦めたことも多いです。つど、困難なことから逃げているな、とそのときのじぶんを評価しています。自分を肯定できたことがいちどもありません。その程度か、と失望することが多いのですが、だからといって、失意のどん底に落ちることはありません。やりたいことがたくさんあり、理想ばかりが積み重なっているからです。日々理想ばかりが磨かれていきます。等身大のじぶんが相対的にちいさくなっていきます。自己を肯定できるわけがありません。ただそれがわるいことだとは思いません。嫌でもないのです。どうすれば理想に到れるかを洗いだし、日々やるべきことを選んでいく過程はそこそこ好きです。定めた目標にちかづいたり、路線を変更して、当初とはまた違った道を行くのも、予想外のオコボレをもらったみたいでうれしいのです。SNSを眺めていると自己肯定感が高い低い、といった言説を比較的多く見かけます。いくひしとしては、自己肯定感の多寡よりも、たとい自己を肯定できずとも日々やるべきことに落差がでない、人生の楽しみ方のベースというか、指針のようなものにブレが生じないでいられるほうが生きるうえではずっとたいせつなような気がしています。ブレてもいつでも修正可能であるならば、より理想的です。こんなことを並べていると、それを指して自己肯定感が高いと呼ぶのだ、と指摘されるかもしれません。いくひしとしてはどちらでもよいことです。だいじなのは、自分を肯定できるかどうかではなく、感情の起伏に関係なく、目指すべき領域に一歩でも多くちかづけること、ではないでしょうか。遠回りをしてもよいのです。ちかづくことがたいせつであり、もっと言えば、自分の行動をコントロールできるかどうかがまず優先される事柄です。楽して成果をあげよう、といった言説をさいきんになってよく見かけます。努力はしないほうがいい、や、集中力はいらない、といった内容の書籍も、書店にいけば目につきます。それぞれの意見に納得できる面があります。役立つかもしれない、と感じたならば試してみるのもよいのではないでしょうか。ただ、けっきょくのところいずれの意見も、目指すべき領域へと辿り着くためにどうすべきか、という手法を工夫するためのいち手段にすぎません。いろいろ試しながら、その場その場で考え、実践し、試行錯誤していくほかにないでしょう。いくひしは自己肯定感がとても低いです。ほとんどゼロにちかいと言えます。なんとかしなければ、とたまに思いますが、なんとかなる予定はありません。


1302:【おえー】
まーた分かったような口きぃてら。いくひし、おめぇ、単なるホラ吹きから、こじらせホラ吹きになってんぞ。日々チマチマ進めてるっつー小説はどうなってんだよ。もう五月だぞ。いい加減にしろよな。


1303:【絶不調】
ちゃ!ちゃ!ちゃー! いくひしっす、い”え”ー”!!! きょうヨッタ調子わるかった、ていうか寝坊した、さいあくだ!!! 魂のサイズがあってないみたいな、肉体ブカブカなんすけどーみたいな感じ。わかる? わかって! 今さ2018年5月8日の22時57分なんだけど、あと1時間で小説3000字すすめて、自叙伝1000字ならべてって、ムリじゃない? いや、やりますけどね。はい。絶不調のときのじぶんが要するに、実力ってことですからね。きょうできたならば、どんな日でもできるよってのを基準にして、日々のノルマなり目標なりを定めていくといいと思います。いくひしは日に3000字がムリなくつづけられるラインです。でも今は「いくひ誌。」プラス自叙伝があるので、すこしだけ負荷をかけているかもしれんけど、でもほら、日記とか自叙伝なんか、けっきょくすでに起きたこととか、考えたことをただ並べたらいいだけじゃん? 30分もあれば誰だって並べられるはず。かっこつけなきゃいいだけだから。ただ考えたことを、ダダダーって打てばいいんです。かんたんでしょ? でも小説はそうはいかん。かっこつけたいし、いいとこだけ抽出したい。現実にはない情景や展開を描きたいので、やっぱりすこし負荷がかかる。時間がかかる。3000字打つのに倍の1時間はかかるかなーって思います。削ったりなんだりしちゃうしね。でもなんだかんだ並べても、その間の作者の努力なんか関係ないのですよ。読者がそれを読みたいと思うかどうか、読んだとしておもしろいと思ってくれるかどうかは作者にはどうすることもできんのだ。こう思ってくれたらいいなー、読んでもらえたらうれしいなーって、すこしでもその確率をあげようとあーだこーだ足掻くけれども、やっぱりなかなかうまくいかない。創作のむつかしいところだね。いっぽうでは、やればやるだけ、それなりに実はなるわけですよ。かってになくなったりしない。表現したものは、日々確実に蓄積されていくわけですから、農業とか教育に比べたら、いくぶんも楽というか、やりがいがあると思うっす。この場合のやりがいは、損をしない、という意味だよ。積みあげたなら、積みあげただけ、目のまえに塔が立つわけです。現実にそんなことってなかなかないじゃないですか。料理だって食べたらなくなっちゃうし、この世には重力だってあるじゃないですか、風化だってしちゃうわけでして。賽の河原じみた不毛さが現実にはそこかしこに転がっているなかで、日々確実に実のなる創作活動は、やっぱりいくひしを裏切らないな、と思ったり、思わなかったり、はにかんだり。笑ってごまかすのがじょうずないくひしさんですけども、はい。絶不調ですからね、きょう発揮できた能力がいくひしの底力ってことになる。それが判っただけでも収穫のあった日だと思います。今は23時14分です。ここまで打つだけで17分かかってしまいましたが、絶不調なので仕方なし。はい! あと40分で小説3000字と自叙伝1000字をすすめちゃいたいと思います。できないと思うけど。


1304:【混乱してきた】
あれもこれも、ってなってだんだん混乱してきた。まだ慣れてないみたい。自転車に乗って帰るんですけど、片道8キロの道のりなのに、気づくと部屋にいて、お茶飲んでたりする。あいだのこと憶えてない。ワープする。時間が飛ぶ。思考どこいったって、なる。なんかコワい。あ、多重人格とかそういうのではないっす。意識がこう、ふらーって離れていくみたいな、たぶん作家さんの多くは、あああれねってなると思う、わかってもらえると思います。あるあるー。小説のほうが佳境に入ると、いつも体感速度があがっていく感覚があるんですけど、これはいくひしだけかもしれん。いつもどおりに動いているはずなのに、せかせかしちゃう。思考が加速しているので、身体のほうがそれに引っ張られて、いつもより多く出力されて、駆動率があがってしまう。だから身体とかふだんより疲れるのかなって思います。きょうははやく寝ます。いくひし、零時前に寝ると、寝汗すごいでるんですけど、同じ体験するひとっていますかね。身体から蒸気でてるんじゃないかってくらい熱くなって、ふだんより眠らずに済むんですけど、人間が徹夜に向かないのと何か関係あるんですかね。疲れたときは、多く寝ることよりも、22:00~02:00のあいだに睡眠をとることを優先したほうが、個人的には体調がよくなります。おためしあれ。あ、いくひしね、時間とか金銭的に余裕あったら曲もつくりたいっす。本の装丁とか編集も本格的に勉強したい。旅にでたいし、絵も描きたい。いまは絵のほうは、スケッチブックにえんぴつで描いてますけど、はじめてから二週間経ってないですけど、デジタルで描きたくなってきた。pixiv眺めてるとほんとすごいっす。神さまがいっぱい。創造主がたくさん。絵描きさんまじすげー。やりたいこと多すぎて、分身したくなってきた。いくひし、アメーバになりたい。はい。ガン細胞にならないように気をつけます。なんのこっちゃ。きょうはふだんにも増してハチャメチャやな。これがいくひしさんの正体や。ほんじつの晩ごはんは「柿の種」のわさび味です。あたまの奥がツーンってなる。うまいよね。いくひしの好物。憶えといて。念のため。なんの念かはおたのしみ。いくひし特質系やから。エンペラータイムやから。ハンターを狩る者やから。って、ハンターハンターやないかーい! 思考がぐちゃぐちゃです。おやすみー。


1305:【絶好調】
きょうはいくひし、絶好調でした。きのうひざ痛めて、きょうは手抜き日だなって思ってたら、ていねいに動いていた分、得るものが多かったのかな、と思います。書店さん寄ったら、はらださんの「カラーレシピ(上)」が出てて、まーじーでー!!!ってなった。晩ごはんと引き換えに購入したよ。なのできょうは卵かけごはんです。おいしー! ところで、プロの物書きさんだと、日に三万字とか並べるらしいです。すごいですよね。真似できない。年間にすると、おおよそ一千万字とか並べちゃうんでしょうか(並べるのか?)、十万字で一冊分なので、百冊つくれるってことです。やべーなおい。そこまでいかなくとも、プロはまいにち最低でも一万字は並べてると思います。売れっ子はってことですよ? それでも年間三十六冊はつくってることになります。すごいです。でも世のなかには全ボツというこわーい呪文がありまして、きっと三十六冊分つくっても世にでるのはそのなかの半分とかそんなんだと思います。プロはすごいですね。いくひしはその三分の一以下とかそんなです。手を抜きまくりです。プロじゃないのでね。じぶんにできるペースでやっていこうと思います。勘違いしてほしくないのですが、たくさんつくったら偉いとかまったくそんなことはないです。だって小説創作AIなんか出てきたらすぐに人間なんて敵わなくなりますし、現に絵だったらもう、人間には一生かけても描ききれないような数の絵をAIが秒で生みだせちゃうわけじゃないですか。芸術の価値は、数には還元できません、仮にできたとしてもしてほしくないですね。だいいち、多作のひとは、的(理想)を射ようとしたけっかに、たくさん弓を引いてきただけだと思います――数は結果でしかないのです。数撃ちゃ当たるわけではないけれど、撃たなければ当たらない。創作につきまとうジレンマだと思います。むつかしいですね。話は変わりますが、同じことをやっていると、だんだん精度があがってきて、あまり意識せずとも素早く、的確にこなせるようになっていく。練度があがる、熟練していくわけですが、あるレベルにまで達すると、こんどはどんどん雑になっていくのです。素早さは増し、造作もなくできるようになる反面、成果物が雑になっていく。迫力というか、凄みが薄れてしまう。問題ですよね。ゆえに、ある程度できるようになったら、すこしそのことから距離を置いたり、やり方を変えてみる必要性があるわけです。速度を落としてみたり、べつの要素を取り入れたりすると視点が変わって、何が雑になったのか、何が足りなかったのかが視えてくる。そうした脇道をすることで、せっかく極めた腕前が衰えてしまうこともあります。よそ見をするのですから鈍ります。仕方ありません。しかし、そのままつづけていても、いずれ腕は落ちたでしょう。そもそも、人は腕が落ちる前に、じぶんを見詰める目からさきに曇っていくものです。つねに(じぶんを見詰める)目は曇りつづけていると考えておいて損はないでしょう。腕を磨いても、曇った目をどうにかしないことには、本来磨くべき箇所も見逃してしまうわけです。ではどうすればよいかというと、新鮮な刺激にさらし、目の曇りを払うほかにありません。何が新鮮で、何が刺激になるかは、やってみなければわからないことです。曇った目が払われたかどうかは、自身の成果物を眺めて得られる感想の変化で判断つきます。極端な話、おもしろい映画を観たあとでは、じぶんの小説はドロ水か何かのように思えます。もっとこうすればよかった、と至らない箇所ばかりが見えてくるのです。破り捨ててしまいたくなりますが、放っておきましょう。せっかく新しい視点を得たのですから、新しくつくりあげたほうが手っ取り早く、また損をしません。欠点は、ときに個性でもあります。未熟なあなただからこそつむがれた表現は、きっと新たな視点を得たあなたにはもう出力できない宝物でもあるのです。ですから、過去の成果物はそのままで、まずは新しい何かを手掛けましょう。つくりかけのものがあるならば、修正するよりもさきに、さっさと閉じてしまったほうがお得です。もちろん修正してもいいでしょう。時間のかからないやり方で、まずは「おわり」の文字を打ちましょう。時間は有限ですからね。中途半端に仕上げるよりも、未熟と分かっていても、初めに思い描き、引いた線をなぞるほうが、あとから振り返ったときに、得るものがあるはずです。欠点とはいつだって、何かをやろうとして届かなかった、伸ばした手と、理想のあいだに空いた間隙のことなのですから。せっかく伸ばした手を引っ込める必要はありません。思うぞんぶん飛びましょう。そのあとで、空いた隙間を埋めるように調整すればよいのです。もちろん、こんな助言を真に受ける必要はありません。何も成していない、何者でもない、単なる無銘の戯言です。そんなことをしているから未だにおまえはダメなのだ、という意見もあるでしょう。真実の一側面を言い当てていると思います。長所は、つぎの局面では短所にもなり得ます。特定の何かに縋るのではなく、そのときそのときのじぶんを眺め、何が足りないのか、曇った眼を意識することが、つぎの長所への足掛かりになるのではないでしょうか。もちろん、つねに眼の曇りを意識することもまた、死角を生むでしょう。たくさんの目を持ち、視界を切り替え、死角がないように気を配ることができれば、じぶんにとって足りないものを見落とす確率は低くなるように思います。それがいいことかどうかは、また別の話ではありますが。きょうのところは以上です。ご清覧、ありがとうございました。


1306:【AIと労働】
AIの発展と社会への普及は、人類の働き方を根底から変える影響力を秘めている。しかしながら、すぐさま社会の構造を変えるほどの浸透性はない。なぜなら、AIを使いこなせる層と、そうでない層とのあいだには溝があるからだ。AIになじまない人々を補助する仕事が新たに要求される。たとえば、全自動調理マシーンが開発されたとして、一般家庭にそれが普及したとしても、使い方が分からなかったり、ちょっとした誤作動でうまく扱えなかった場合には、コールセンターやエンジニアの派遣など、労働者の介在が求められる。AIの普及に伴い、なくなる職業として槍玉にあがるのがコールセンターのオペレーターである。しかしながらそれも、新しく提示される問題に対してはAIが対処しきれないため、人間のオペレーターが質疑応答をしなければならず、また、AIからの指示にうまく適応できず、まどろっこしく感じてしまう顧客もすくなからず出てくるだろう。情報が蓄積されていけばAIの問題点は殲滅できる。AIになじまない層にしても、世代交代をしていくにつれて、そうした層はしだいに減少していくだろう。しかしそれでもコールセンターの仕事を完全にAIに代替するには、二十年はかかるだろうと妄想するものである。ただし、その過渡期におかれては、AIを使いこなせる層と、そうでない層とのあいだに、はっきりとした格差が生じることが危惧される。それは知能格差であり、経済格差である。2018年現在、二十代のスマホ保有率が九十パーセントを超えているのに対し、全体での保有率は六十パーセントに届いていない。高齢者がスマホを利用しない傾向にあるため、全体では減少する。それでも年々保有率は増加している。スマホを使う世代が高齢化してもスマホを手放したりはしないためだ。これと同じことがAIでも起きる。問題なのは、スマホの場合は、端末を持っておらずとも格差が著しく生じるわけではないのに対し、AIを使いこなせるか否かでは、ハッキリとした格差が生じる点にある。最低でも、生涯賃金で倍以上の差がつくだろう。そして一般に、高性能のAIは、資本のある人間しか持てず、使いこなすためには専門家を雇う必然性があり、やはり資本の蓄えは欠かせない。富める者はますます肥え、そうでない者たちは、搾取されていることにも気づかずに搾取されつづける人生を辿ることになる。なぜなら、これからの社会におかれては、個々人がちいさなAIを保有し、その端末を通して、知らぬ間に管理されるようになるからだ。手放せばいいという単純な話にはならない。ちいさなAIは、それはそれで利便性が保たれる。健康を管理し、病気は早期発見され、余計な支出や時間を費やさずに済む。しかしその代償に、人々は、高性能なAIを保有し扱う一部の特権階級に、暗黙の裡に支配されるようになる。現にすでにその兆候は現れている。人間の行動原理をつぶさに解析し、魚群や鳥の群れを操るように、任意の時と場所に人を集め、お金を落とすように操作することがすでに可能であり、実践されている。これまでの人類史でも同様の案件は、洗いだせば、並びたてるのに事欠くことはない。ただしいずれもその理不尽さに、民衆は気づき、憤り、反乱を起こした。搾取した者たちは、歴史的に見て、淘汰される定めにある。しかし、これからのAI保有時代では、より狡猾な手法で、一部の人間が得をしつづけるシステムが構築されていく。そのことに気づいても、反乱を起こされないような安全装置がシステムそのものに組みこまれるようになるので、異議を唱える者はなくなる。餌をもらえ、雨風を防げ、衛生面の管理された養豚場が整備される。何も考えず、欲求に忠実な者にとっては、都合がよい社会になるだろう。そこに貧富の差は関係ない。三大欲求にすこしの承認欲求が満たされればそれでいいと考える者たちが社会を土台から支えることになる。ただし、家畜でいられない者にとっては、なかなか生きづらい世の中になっていく。AIの普及に伴い、製造業は、より効率化し、人手を必要としなくなる。同時に、労働力や資本の獲得を絶対的な善として見做す社会の価値感はおのずと変容していくだろう。サービス業の多くが、すでに、顧客の要望の変化に対応しきれず、淘汰されはじめている。物の価値は下がり、情報の価値が相対的にあがりつづけている。モノよりコトと叫ばれるようになって数年が経つ。体験したコトをデータに載せ、自身の付加価値を高めたい欲求が、社会に氾濫しつつある。わるいことではない。物に支配された旧世代もそれはそれで問題だった。ただし、いささか、変化の軌跡が急激な気がしないでもない。モノよりコト、という価値観をつよめて、誰がもっとも得をするのか。手元に何も残らない人生を強いられ、損をするのは誰なのかを想像してみると、日ごろの生き方がすこしだけ楽になるのではないだろうか。(真実こころの底から、「コト」に価値を見出しているのならばよいと思う。しかしそうは思えないので、それでいいのですか、と問いたくなるのである。気分を害されそうなので、問わないが)


1307:【泣き落とし】
え”ーん、え”ーん。いくひしの小説読んでおもじろがっだらいくひしのことおどもだぢに紹介ぢでぇーーー!!! おもじどい小説あっだよっで、紹介ぢでぇーーー!!! くだじゃい!!! おべがいびばず!! んば? おどもだぢいだいの??? きび、おどもだぢいだいのーー?!! ぢゃー、いくひしとおどもだぢにだればよくばい? いくひしにおもじどい小説あっだよっで、紹介じでぇーー!!! おもぢどいっで言っでぇーー!!! したらいくひしこう言うの。しってるーー!!!ってね。あ、石を投げないでください、あたま叩かないでください、いくひし、あほになってしまうので、これ以上あほになりたくはありませんので、いでで、いだ、あだだだ、石を、石を投げるのをやめてください。


1308:【モテ】
じゅわー! いくひしっす、ちゃ! あのね、あのね、いくひしね、こう見えてね、じつはけっこうモテるんすよ。あ、自慢です。や、でも、聞いて聞いて、ちょこっとでいいからそこにいといて。だってね、こんな性格してて、こんなおちゃめで、かわいくて、ときどきクールで、そんなんいたらモテないわけないやろー! モテモテのウハウハです。うそじゃないよ、だったらいいなとかそういう願望とかじゃなくはない。願望。まじりっけなしの願望です。はい! きょうはこのテンションでいけるかなって思ったけど、モテモテエピソードまでいくまでもたなかった、エンジン切れた。事切れた。だってさ。つらいやん? まったくモテないのに、モテるんだぜー、いえーって、やるの、つらいやん? モテたーい。いくひしだってかわいい女の子とイチャイチャちゅっちゅしたいし、イケメンゴリマッチョに押し倒されて、南京錠をこじあけられたーい! まじで、なんで世のふつくしいひとびとはいくひしに魅了されないの? おかしくない? だっていくひし、こんなにいくひしなのに。あ、気づいちゃった。いま、いくひし気づいちゃった。いくひしがモテない理由。いくひしだからじゃない? いくひしがモテないのって、いくひしがいくひしだからじゃない? そうなの? うそでしょ? うそって言って!!! もうね、こうなったら死んで生き返るっきゃない。人生やりなおすしか、モテる術がない。ひどくない? それってなんかずるいし、ひどいし、情状酌量くらいあってもよくない? モテるってなんだー! どうやったらモテるんやー!!! ていうかさ、世のなかにモテてるひとっているの? じつはいないんじゃない? みんなでよってたかって、カッパいた!みたいに言って、語り継いでるだけじゃない? あっちにモテいた!わいは見ただ、うそでね、みたいに言い張ってるだけだったりしない? するでしょ、ぜったいそうだよ。見つけたら二億円もらえたりするんでしょ、ツチノコ、イエティ、モテモテマン、みたいに世界三大珍獣で名を馳せてるだけでしょ、ちがう? 琵琶湖の底とかにいんじゃねーの、ネス湖みたいにそのうち、モッチーとかなんとか呼ばれたりして、おみやげにおまんじゅうとか売られるんでしょ、いくひし知ってるよ。もうね、みんなしていくひしのこと担いでるんでしょ。恋人ってなに? 彼氏? 彼女? はぁ? おまえそんなん幻想やぞ。いくひしだって言うだけならいくらでも言えるからな。おまえのこと彼氏彼女呼びして、小指とか立てちゃうからな。わいのコレや、っておっさんみたいに言うからな。いいのか! え、やめてって、はい。やめますけど。いやいや、全力で首ふりすぎじゃない? 冗談だからね? なんでスマホ取りだしたの? 待って、何番押した? すぐ来てくださいって、誰に言ってんの、やめなさいよ! なーんて、いくひしがモテないのは、こうなるからだよ! みんなしていくひしをバケモノ扱いするー。すぐバットマンとか呼ぶ―、アイアンマンとか来ちゃうー。いくひし、スパイダーマンと友達だからな! うそだけど!!! 特殊スキル、絶望的にモテないマン!の、イクヒシマンでした。じゅわー。こうなったら宇流虎(うるとら)万(まん)に改名するっきゃない。はい! 自虐すぎて笑えない? 笑って!!! おやすみー。


1309:【これ以上、書けない】
きょうの分投稿したのに、記事に反映されなかった。

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