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いくひ誌。【1231~1240】

※日々肉体と人格がかけ離れていく、人と話すと同期していく。


1231:【グレートウォールの嫁】
いくひしです。かるく短編つくろうとしたらまた詰まってしまいました。閉じない物語に価値はないので、なんとか閉じきってしまおうと思います。眠いので、あす以降で。なんて言いながら、こっそり映画観ました。ぜんぜん時間に余裕のある生活です。我ながらくそいな。はい。グレートウォールというSF映画で、舞台は中国です。異邦人たる主人公が万里の長城でバケモノの大群を迎え撃つお話ですね。おもしろかったです。女将軍がでてくるんですけど、主人公といい感じになるのに、ぜったい気持ちは通じあってるのに、最後まで恋人にならないところがよかったです。愛情より友情というか、友情よりも信頼というか、結ばれないことで、よりつよい繋がりが見え隠れして、ああそうな、そうなってなる。そっかぁ、こういうのがいまの流行りかもなぁ、と思いました。テンポよくて、話もシンプルで、伏線とキャラの使い方も、お手本みたいなキレイさで、長くもなく、映像も迫力あって、100点満点の映画でした。キャラの過去を詳しく描いたりせず、その人物のいまがどうなのか、目のまえにいる人々との繋がりこそだいじなのだと言わんばかりの、あっさりした具合がたいへんいくひし好みでした。あっさり描かれていながらも、その人物の辿ってきた人生が想像できてしまえるところは、さすがだな、と真似したくなります。そうそう、ようやく買い溜めていたマンガを一冊読みました。「魔法使いの嫁9巻」です。ひょっとしたらいくひし、魔法使いの嫁の感想を書いたことなかったかもしれない。マンガの感想書きはじめる前からのお気に入りなのでね、書いてなかっただけかなぁ、と思います。1~9巻、ほとんど初版のうちに買ってますからね。話題になる前から、こりゃくるな、って思ってた。で、今回、読んで改めて思ったんですけど、いくひし、はちゃめちゃタイプですわ。チセさん。年齢的にはちゃん付けでいけるはずなんですけど、もうね、さん付けでしか呼べませんよね。様ってのもまたなんか違う。さん、なんですよ。おっす、姐さん! みたいなノリで、はよっす、チセさん!ってあいさつしたい。チセさん、まだあのアホンダラといっしょなんすか、愛想尽きたらいつでも俺んところきてくださいよ、待ってますんで、って言って、ものっそい戸惑い気味の愛想笑いを向けられたい。というか、9巻の不死身ネタが、いくひしの性癖にどんぽしゃで。コマからコマへと進むごとに、ですよね、ですよね、あーですよねー!!!って興奮しっぱなしだった。母親のくだりとかね。わかりるー!!!ってなった。なるよね? ならない? なって!!! いくひしね、チセさんどちゃめちょタイプです。タイプすぎて、いくひし、チセさんになりたい。その器よこせってなる。エリアスの手綱を握るのはわいだ!って、目玉とか腕とか取り替えっこしたくなる。もういっそ、そういうキャラとして登場したい。というかそういうキャラ、いますよね。あれ、いくひしだから。そこんところ、よろしく! なにをだ! あい。ここで一句。いくひしの、お気にのキャラは、風の妖精(エアリエル)。おやすみー。


1232:【少女終末旅行6巻】
きょうは少女終末旅行6巻を読みました。最終巻ですね。さびしいです。ユーとちーちゃんのふたり、物語のキャラたちも旅の終焉を予感しつつあって、最上階に近づくにつれて、いつも陽気で役に立たないユーがあべこべに、マジメで頼りがいのあるちーちゃんを励まし、支えるようになっていく構図は、なんだか人というものの本質のひとつを垣間見たようで、あー、あー、って思わずうらやましく思ってしまった。ぜんぜんうらやましく思える境遇ではないのに、場面ではないのに、世界ではないのに、だってとっくに終末なんですよ、終わっちゃってるんですよ、単なる残りカスというか、燃えきったあとの煙のようなものなのに、それでもぜんぜん、ユーとちーちゃんの関係性は、いいないいなーってなる輝きを仄かに放ちつづけるわけなのですよ。口にしたくないし、それははっきりと描かれているわけではないのですが、彼女たちは遠からず死ぬ運命にあるのです。でもそれっていくひしたちだって同じで、それに自覚的であるかどうか、実感しやすい環境にあるかどうかの違いがあるだけで、ユーとちーちゃんのふたりはもう、とっくにそういう感傷からは抜けていて、どちらかというと、目的地に辿り着いて、じゃあつぎはどうしよーねー、っていう、これはそういうひとつの節目なわけで、けっして物語の終焉などではないのです。彼女たちはだってまだ生きているのだから。仮にあと数日の命だったとしても。日々の継続の延長線でしかない。希望があるわけじゃないし、絶望しなきゃいけないわけでもない。救いなんてとっくになくなった世界で、それでも彼女たちはまえに進みつづけ、旅をしつづけて、そしてようやく辿り着いたてっぺんで、くつろいでいる。世界はとっくのむかしに終わってしまっているかもしれないけれど、彼女たちは生きている。すくなくとも、本を閉じたとき、そこにはまだ彼女たちの声が、息吹が、なにもない世界に響いていた。それはそれとして、いくひしだって、ユーのおっぱいに包まれてねんねしたい。ねんねしたいのだー。ちーちゃんが心底うらやましい、いくひしまんでした。


1233:【いべんと】
人前で成果物を披露する。いくひしの苦手なものの最たるものだ。かってに覗かれたり、見られたりする分には、まだよいというか、好きではないけれど拒むほどのものでもないが、見てください、と意気込んで、何かを披露するのがその場から逃げだしたくなるほど苦手である。見られることと、見てもらうことには天と地ほどの差異がある。見たい見たい、と求められるのか、しょうがねぇな見てやるか、と重い腰をあげてもらうのかの違いだ。相手に損をさせることが前提にあるように感じてならず、また、損をさせてはならないのだ、とする意識が働く。するともう、ふだんどおりに振る舞えなくなる。よく見てもらいたい、よく見せたい、という意識が、かんじがらめに身体を縛りつける。自由ではない。しかし、プロとはそういうものなのだろう。相手の時間を無理を言って奪い、損をさせることを覚悟のうえで、それでも損をさせないようにあれやこれやと苦心する。損をしたと思われれば、文句を言われても仕方なし、その苦言を受け止める器も端から備えておかねばならない。それをして、助言だと見做せるならばたいしたものだが、そこまで図太くはなかなかなれない。損をさせておいて、その文句をして助言だなどとどうして思えるだろう。すみませんでした、とあたまをさげて、腹でも割きたいきぶんになる。それくらい、相手の時間を奪うというのは深刻なことだという認識がどこかにある。相手から対価を得ていたならばなおのことだ。しかし、その罪悪感を呑みこまずにはプロにはなれないのだろう。仕事が休みの日にわざわざイベントに出掛け、成果物を披露するなんてよくできるなぁ、と感心する。それで食べているか否かとか、そういうこととはまたべつの次元で、プロだなぁ、とため息がでる。上手とか下手とか、それ以前の問題だ。けっきょく、いくひしはアマチュアなのだろう。否、単なる甘ちゃんなのだ。プロにはとうていなれそうにない。


1234:【早乙女選手、ひたCITY】
腹筋女子は好きですか、好きです! きょうはいくひし大好き、「早乙女選手、ひたかくす5巻」を読みました。かつてないほどボクシング要素が薄まり、リング外の早乙女選手の日常が描かれていて、そうそうこれこれ、となりました。戦っている早乙女選手もよいけれども、そうでない日々の、選手ではない早乙女さんも見たかった。つよいオナゴの恋する乙女の、抜けてる一面が垣間見られて我はたいそうほくほくじゃ。早乙女選手には恋人がいるわけなのですが、ぜんぜん許せる。しあわせになってほしい。応援する。したい。させてくれ。後押ししたくなる稀有なラブストーリーでもあるのだね。いいねいいね。とくに、マネージャーとの掛け合いとも呼べない、ただ一方的にいじられてるときの早乙女選手はサイコーかよ。かっこいいオナゴの恥辱の念にもだえる姿は必見です。次巻、物語が大きく動きだしそうで、はやくつづきが読みたいです。もういっそ、早乙女選手の性別とか関係なくなってきてますな。人間として魅力的だと思います。こちらからは以上です。はい。で、いちにち一冊にしようかと思ってたんですけど、読んでしまった。「CITY4巻」です。キャラが多くて、3巻まではなんかごちゃごちゃしてるなーって思ってた。すみませんでしたごめんなさい! ぜんぜんよかった、なるほどなー、こういうのがやりたかったんですね、ちゅき!!! もうね、ちゅっちゅしたい。群像劇としてこれ以上ない演出ではないでしょうか。ラストのほうの四ページかそこらの見開き、ウォーリーを探せみたいなとこ、なんどページをぱたぱたやって、見かえしたことか。おもしろーい!!! ページをめくらせるだけでなく、戻ったり、見かえしたり、ぱたぱたさせることを前提にするマンガがかつてあったのかと。伏線とかそういうのでなく! あーなつかしい感覚がよみがえっちゃったよ、ウォーリーを探せのあの興奮、目を皿にして紙面にえいやと跳びこんだあの高揚、ホントなつかしい。なんで忘れてた?ってなった。南雲さんがね。やっぱりいいですよね。しっちゃかめっちゃっかキャラなのに、一本抜け目のなさがスンと通っていて、憎めない。あと双子のうみちゃんとそらちゃんのコンビも、ここにきて、ぐっときましたね。登場キャラの八割がみんな子どもというかガキんちょか!と突っ込みたくなるキャラでして、そのなかで本物の子どもを描くとなるとけっこうむつかしいと思うんですよ。だって周りがみんなガキんちょなのでね。そこにきて、まー、お兄さんを使ったり、お母さんに叱らせたり、あれやこれやで子どもっぽさを演出する。でもじつはいちばん子どもっぽさをだすのに有効なのは、背伸びした言動とか、ぱっと切り替わる喜怒哀楽なのかもしれません。なによりすごいなと目を瞠ったのは、ラスト付近にある見開き四ページのなかのうみちゃんとそらちゃんの、絵だけで表現された子どもっぽさ。しゃべらせるよりむしろそちらのほうが、あ、子どもだ、ってなりました。よく見てるなー、と特徴の捉え方というか、印象操作の巧みさに思わず、なんどもぱたぱたページをいったりきたりしてしまいました。いいですね、いいですね。すばらしい。きょうは元気なかったけれども、元気でました。げんきでたよ!!! うそじゃなーい。はい。もう寝るだけなんですけどね。おやすみー。(CITYのうみちゃんとそらちゃんのやつ、ラストの見開きの子どもっぽいのは、しあちゃんでした。間違ってましたご愛嬌)


1235:【パフェ食いたい】
パフェ食べたいんですけど。どうしよ、午前零時なのにどちゃむちょパフェ食いたい。いつもは肉ぅぅうう!ってなってるところなのだけれども、きょうは卵かけごはん食べたばっかだから肉はまぁいいやってなってる。パフェ食いてぇ。いくひし、イチゴよりバナナ派。あなたは何派? いくひしはちいちゃいころからチョコバナナって決まってんだ。バナナそのものはそんなに好きじゃないんだけど、バナナ味は好きでね、なかでもチョコバナナには一目置きつづけてウン十年。いったい何個の目を置いてきたんだって話ですよね。話でしたか? 生クリームがね。いいですよね。このあいだあまりにひもじくて、生クリームだけむにむにむにって絞りだして食べちゃった。あるんですよ、生クリームをむにむにむにって絞れる状態で売ってる生クリームが。なんか子どものオモチゃみたいな箱に入ってて、むにむにむにって口んなかに絞って食べた。胸やけした。カロリー!!!ってなった。重すぎた。パフェくらいがちょうどいいってここまで並べといて今気づきましたけど、パフェじゃなくてクレープっす。食べたいのはパフェでなく、クレープ。あるあるー。いくひしがよく間違える単語ベスト10に入りますよね、クレープです、クレープ。うんみゃ、パフェも好きなんだよ? でもクレープもね、クレープも好きなんです。はぁ、食いてぇ。クレープ食べたいってだけでこんだけ引っ張りましたけど、よっぽど書くことないんだなって察していただけるとありがたい。あ、なんか今、みそラーメン食べたくなってきた。あまりに糖分が足りなくてスティックシュガー舐めてたら、急にみそラーメン食べたくなってきた。でもないのでね、食べたーいって言うだけ言って、きょうはもう寝る。あ、ブラッククローバー15巻読みました。表紙の姐さんがね、大活躍でうれしいです。あと暴牛のヤミ団長のね、カリスマっぷりがすさまじくて、ブラッククローバーのなかでずば抜けてキャラが立ってます。真似できないリアルさがあるのはなんでじゃろ? ヤミ団長を主人公としたスピンオフ作品が読みたいなーと思いながら、みそラーメン食べたい、とつぶやいて、きょうはもう寝ようと思います。あ、ひょっとしてこれ、かつてないほど中身のない文章では? すごーい。


1236:【導入】
物語の冒頭には大きく分けて四種類ある。ひとつは、その世界観に馴染ませるようにじんわり展開を進める方法で、ローファンタジィに多い。ハリーポッターは典型的なこれである。もう一つは、最初から一つの物語の最終局面からはじめて、実質その終わった物語のつづきからはじめる手法だ。便宜上、ここではそれをインパクトと呼ぶ。ミッションインポッシブルなどではシリーズを通して、おおむねこの手法が取り入れられている。いきなりガツンと視聴者の目を奪うのに適している。三つ目は、変化形で、ラブストーリーと見せかけてSFだったり、SFと見せかけてファンタジィだったりと、導入でいきなり予想を大きく裏切る演出を取り入れる。インパクトの亜種のようなもので、これはジャンプと呼ぶ。導入部分をいかに独自性高くするかに力を入れるため、名作や形式美を破ることで印象値を高めることが多い。その分、うまく調整しないと見切りをつけられる要因ともなるので扱い方がむつかしい。類例を挙げられるほど普及してはいないが(マトリックスはその走りかもしれない)、これからはこのジャンプが台頭してくるだろう。そして四つ目となるが、インパクトとジャンプでつねに物語が進行していくタイプのもので、導入だけでなく、すべてがクライマックスの連続の物語である。これも類例を挙げることはむつかしい。大ヒットしている連載漫画は基本的にこの起伏の激しい波型の物語である傾向が高い。あなたの好きな作品は、どんな導入をしていますか?


1237:【ついに】
ついに電子書籍(KDP)の売り上げが100円になってしもうたー!!! はい。いくひしさん、33冊も電子書籍にしといて月の売り上げが100円です。もうね、ぜんぜん売れない。びっくりする。キンドルアンミリテッドで、読まれた分だけお金もらえるよーってので、月200ページくらいあって、ようやく100円をいただけている状況です。読んでくださってありがと~! あなたがいなけりゃいくひしさん、いじけちゃうとこだった。よかったー。ゼロじゃなくて。思ったんですけど、アンミリの読まれた分だけってやつ。ひょっとしてアンミリに加入している人に読まれた分だけ、って意味なんですかね。いくひしたまに、三か月に一度くらいの頻度で無料配布してるじゃないですか。だいたい新作だと20冊くらいダウンロードしてもらえるんですけど、旧作の場合は、下手すりゃ〇冊なんですけど、それでもぜんたいで、1000冊くらいはダウンロードされてると思うんですけど、さっぱり読まれてる感じしないのは、ひょっとして、アンミリに登録してない人が読んでも既読換算されないのでは? ちがう? 希望的観測? ただ読まれてないだけ? そっか。おちこまない!!! いいんだ、いいんだ。いくひしさん、ぜんぜん余裕あるから。歯ぁくいしばって耐えるから。いつかはきっと、第二第三のいくひしさんに届いて、なんだこりゃーって人生を棒に振るくらいの衝撃を与えてやるんだ。道連れにしてやる!!! はい。読んでくださって、ありがとうございます。ほんと、それだけはウソじゃない。ありがたい。感想とか評価とか、対価とか、もらえたらそれはそれでうれしいけれども、読もうと思って手にとって、そいで最後まで読んでしまった、その体験に比べたら、その他もろもろの報酬なんて月とスッポンポンですよ、いくひしの裸体みたいなもんですよ、ちらっとくらいなら見てもいいけど、じっとは見たくない。そんな感じです。なにがだ? はい。カクヨムでも無料で読めますのでね。ぜひぜひ、おひまな時間のすりつぶしに大抜擢してやってください。根暗なあのコとのお近づきのしるしに、いくひしの作品群をすすめてみるなんてのもオツではないでしょうか。そのままお通夜みたいな顔になっちゃう未来しか見えませんが、まあ、いくひしのせいじゃないのでね。ぜひぜひ、責めないでいただけるとうれしく思います。なんの話だ??? はい。では、ごきげんよう。おやすみー!


1238:【予感】
これは単なる予感なのですが、これからの三年間で、小説は基本的に短編でなければ読まれない流れになっていくのではないかと思っています。連作短編や、一話完結ものが主流になっていくのですが、なぜかというと、一つは、試し読みに適しているからです。第一話は基本的にWEB上で無料公開し、試し読みで合う合わないを判断してもらう。まずは読者に無料で選別可能なサービスを提供しないことには、そもそも購入ページまで飛んでもらえなくなるのではないでしょうか。それから、長編の場合でも、はじめに短編で読者にその物語に馴染んでもらい、もっともっとという要望を高めてからでなければ、長編すべてを読了するにはハードルが高い、というのがもう一つです。長編は読むのに時間がかかります。読者からすれば、まずは短編で、この作者のオチは、自分にとってカタルシスになるか否か、というところを味見しておかないことには、なかなか手はだしづらいでしょう。そういう意味で、要所要所でカタルシスを用意する、連作短編風長編というのも重宝されるようになっていくのではないでしょうか。もしくは連作短・中・長編(組み合わせ自由)といった、変則的な小説も商業出版の戦略として有効だと考えています。あとは、これからの流れとして、映像化というのはどういう方向性であれ、小説を売るためには必要な過程のひとつとなっていきますから、短編で構成されていることは映像化するうえでも利点となります。ただ、現在のWEB小説のように細かくエピソードが連なっている物語は、連載向きではありますが、一気読みには少々不向きだという点には注意が必要かもしれません。中盤で一気に畳みかけるような、最初のほうのエピソードが連鎖して大きな物語になるような仕掛けがあると、物理本の売れ行きに多少の追い風を期待できるようになるのではないかな、と妄想しております。そういう意味ではやはり、連作短編や連作短編風長編、連作短・中・長編(組み合わせ自由)などは有利になっていくのではないか、とやはり妄想せずにはいられません。その延長線上には多重構造の物語が登場してくるわけですが、ここでは主題と離れますので、触れるだけに留めておきましょう。単なる予感です。そうなったらいいな、という願望が八割ですから、ふうん、と右から左へと聞き流しておくのが賢そうです。ともあれ、参考にならないという意味で、すこしくらいは参考になるとよいのですが。ノブレスオブリージュ。あなたが今後の救世主たらんことを。おやすみなさい。


1239:【ゾーン】
身体のなかの奥のほうにそれは広がっている。深いモヤを潜っていく、或いは昇っていくと、やがて境界のあいまいな領域を越えて、辿り着く箱庭がある。そこに足を踏み入れることでぼくはぼくではない声を、言葉を視ることができる。アクセスしていないあいだのぼくは単なるぼくであり、そこに言葉はなく、動く肉塊があるばかりで、そこに思考と呼べる複雑で秩序ある回路は宿らない。ぼくはそこにアクセスしているあいだだけ、ぼくではない何者かの声を聴く、言葉を視る。ここにある言葉たちの多くは、そこからやってきた。降ってきた。流れこんでくる言葉の多くを、ぼくはただあとになって眺めることでしか読解する余地がない。それは、ここではないどこか、ぼくではないどこかからやってくる、聴きなれぬ旋律、底しれぬ律動である。


1240:【本気】
いぐびじでーず。ごんばんば。あれっす、なんか身体が痛い。背中が痛い。基本、いくひしさんまいにち筋肉痛なんですけれども、この痛みはあれですね、筋をやっちゃってる感じのあれですね。遊びすぎた。いくひしさん、あんましお利口さんではないので、物事の楽しみ方がひっじょーに雑で。とにかく本気だせれば楽しいみたいな脳回路してます。本気だせる=楽しいから、みたいな刷りこみ教育のたまものです。たまものですか? 知らんけど、ただね、ただ、もうお歳なわけですよ。五歳児みたいにはっちゃけて、いちにちじゅう走り回っていられる体力なんてもうもう、とっくに失われてひさしいわけなのですよ。そこにきて、じゃあ、どうするのって、日々のお遊びですよね。本気をだせる時間がかぎられてくる。するともうね、もう、ときどきしか本気をだせなくなる。したら身体だってびっくりして、だってひさしぶりだし、たまにしか使わない筋肉は衰えていくわけですから、いきなり出力100とかだしたら、そりゃーちぎれるものはちぎれちゃうさだめにあると思うわけですよ。背中いたいんですけどー!!! テコの原理ごっこしたら背中の左側のけんこうこつの奥がイタい! 遊びすぎには注意しましょう。歳を考えろと。五歳児じゃないんだぞと。ぴちぴちじゃないんだぞと。みずからに言い聞かせながら、まいにち本気だせたらきもちぃだろうなぁって五歳児になりたい願望を募らせる、本日のいくひしまんでした。なんか短いな。もうすこし並べとくかな。んー、なんだろ。いくひしこう見えて、下ネタ苦手です。実生活で口にすることはまずないです。や、下ネタ好きなひとたちとしゃべるときは合わせて下品な話題でぺけぺけするけど、べつにそんな好きなわけじゃないし、そもそもしゃべるひとがいない。下ネタ苦手。信じてもらえんかもだけど。おまえの小説、下ネタやん、みたいに思われるかもしれないけれども、いくひしとしてはべつに下ネタを扱っているつもりはないのです。シモをネタにしているつもりはない。物語の都合上、それがでてきちゃうだけで。避けては通れなかっただけ。や、そんな言うてますけど、エッチなマンガは大好物ですよ。でもそれはそれ、これはこれ。なにがだ? はい。エッチなマンガもきっとシモをネタにしているわけではなく、描こうとしたさきのモヤモヤを避けることなく、真っ向から見つめて描きだしたものがそれだっただけだと思います。ちがいますかね? ま、いっか。おやすみー。


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参照:いくひ誌。【721~730】https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054883991441

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