※日々刻々と未来が消えていく。
891:【いくえみ綾】
マンガ「おやすみカラス、また来てね。2巻」を読んだ。著者は、現代の紫式部、いくえみ綾さんです。いくひしは未だに、いくえみ綾さんの「綾」の部分を「あや」と読んでしまうのですが、ほんとうは「りょう」と読むみたいです。基本的にいくひしは、少女漫画の、いかにも悩みのなさそうな男どもには、無条件に「ケっ」という顔をしてしまうのですが、いくえみ綾さんの「いくえみ男子」たちには、いつだって「こんなんいたら惚れてまうやろ」となってしまいます。物語としても一級品でして、「潔く柔く」のあの、脇役がつぎのエピソードでは主人公になっている、というつくりは、いくひしの小説「群れなさぬ蟻」をつくる上で、今思えば、下敷きになっていたのかなぁ、という気がしています。いくえみ綾さんの著作でいちばん好きなのは(もちろん読んだことのあるもののなかでは、という意味ですが)、「かの人や月」です。たぶん毎年一回は読み返していると思います。あとは、やっぱり「潔く柔く」は名作で、じつはまだ通しで読んだことがなく、全体の構成をまだうまく頭のなかに展開できません。来年のうちには、いちど、通しで読んでみたいですね。「おやすみカラス、また来てね。」は、うだつのあがらないなさけな~い男性が、ひょんなことでバーで働くようになり、周りの女性陣に、なんだかんだモテつつ、振られつつ、まえに進んでるようで、たぶん何も変わらんのだろうなぁ、というお話です。似た作品で言えば、「トーチソング・エコロジー」にちかい構成のような気がします。こちらもいくえみ綾さんの作品で、好きなやつです。ハッピーエンドなのがいいですね。「おやすみカラス、また来てね。」のなかでとくに好きなキャラクターは、一葉さんで、ものすごいドツボなのですが、いっしょにいたいのは元カノさんですね。いったい何の情報だ。はい。いくえみ綾さんの個性は鬼じみていますね、というご報告まで。
892:【なぜ勉強するのか?】
どうして勉強しなくてはならないのか、なぜ歴史がだいじなのか。こうした疑問の答えは、勉強したり歴史を学ぶことで、そうした数々の疑問に自分なりの解を導けるようになるから、となるだろう。ただし、「勉強することになんの意味があるのか」と述べた質問者の真意としては、「なぜこれを『いましなければならないもっとも重要なこと』みたいにして、時間を費やさなければならないのか」にあるだろう。歴史を学ぶことにしても同じだ。なぜ歴史を学ぶことが一番重要だ、みたいな言い方をされなきゃならないのだ、という反発が、「この勉強になんの意味があるのか」という疑問の根幹にある。学びに貴賤はない。まずは興味のあることに目を向け、疑問を増やしていけばよい。学べば学ぶほど、世界は疑問で溢れていく。
893:【誰のことも】
誰からも好かれないのは、いくひしが誰のことも好きでいつづけられないからかもしれない。でもいくひしは、これを読んでいるあなたのことは好きだよ。ずっとじゃないけど。読み終わった? じゃ、おしまい。
894:【恋を知らない僕たちは】
水野美波さんのマンガ「恋を知らない僕たちは」を読んだ。なんだろ。僕はべつに恋を知らないわけではないんだけど、これって恋なのかな、と思うことはあって、それはドキドキするものではなく、不安になる類の感情で、このまま踏み込んでいいのか判らないもどかしさがある。たとえば、ずっと友達だった相手に恋人ができて、なんだか友達とのあいだに視えない壁が、ミルクココアに浮かぶ薄皮みたいにできてしまった感覚にちかい。呑みこもうとすればするほどそれは喉に引っ掛かり、違和感だけを増していく。だから呑みこむ前に、かき混ぜて、それ自体を褐色のなかに沈めてしまう。紛れ込ませてしまう。見て見ぬフリをするために、ただ呑みこむ行為よりも大きな労力を割く。だからけっきょくのところ、喉には引っかからない代わりに、今まで以上の違和感となってつよく記憶のどこかに残ってしまう。それを恋だと呼ぶのは簡単だけど、でも太陽がずっと輝きつづけているからといって、爆発しているとは言わないよね。じっさいのところ太陽は爆発することなく、徐々に温度が下がり、死んでいく。たぶん、そうなることを祈って、僕はそれを恋とは呼びたくないのだと思う。恋は爆発だ。超新星爆発みたいにどこにいたってその輝きが目に届く。でも、恋ではないから一時の錯誤としてきっと徐々に薄れていく。そういう願いを抱きながら、トモダチゴッコをつづけていく。誰よりたいせつな関係だから。ミルクココアの薄皮みたいに取り除きたくはないのだから。だからそっとかき混ぜて、ほかのといっしょに呑みこんでしまおう。恋を知らないわけではないけれど、これを恋とは呼びたくない。水野美波さんのマンガ「恋を知らない僕たちは」は、そういう内容ではないけれど、そういう感情を呼び起こされる作品だ。
895:【ちょっとまってね】
えっとー。あれ? ともだち、いるんですか??
896:【ちょっと待つな】
いるわけないでしょ、あんなのに。マンガとか小説からの受け入りでしょ、現実と虚構の区別もつかなくなってるんだよきっと。ほんとカワイソ。
897:【ちょっと待ってほしいです】
言い方というものがあるとは思いませんか?
898:【THE END】
そういうの自演って言うんだよ。覚えとくといいよ。
899:【空気】
きょうは空気を読みました。褒めてほしそうな男の子がいたので(八歳くらい?)、すごいね、すごいすごい、と褒めてみました。ぎこちなく動き回っていたそのコでしたが、そのあとは活発になって、油がさされたみたいに伸び伸びしていました。ひょっとしたらいくひしはそこにいるだけでちいちゃなオコチャマにイヤな思いをさせてしまっていたのかもしれません。森のクマさんの気持ちがすこし分かりました。きょうのマンガはなしです。すこし疲れました。
900:【文化盗用】
文化盗用問題の根本は、おおむね信仰の問題と呼べる。そもそも文化に著作権などの「それそのものの権利を保護する法律」はない(いくひしの知るかぎりは)。倫理的な問題として、文化の盗用というのは、基本的に成立しない。たとえば、自分たちの文化を他文化に強要することは、文化侵害や迫害として問題となる。また、問題にしていくべきだろう。反面、他文化を自分たちの文化に取りこもうとする考え方は、多様性を助長する意味では、むしろ尊重していくべき姿勢なのではないかと思う。ただし、本質を理解されずに、表面的な装飾だけを模倣されるのは、オリジナルの文化からすれば、侵害に映ることはあり得る。また、そのような憤りを抱くのも、人間として自然な感覚ではあるだろう。その点は留意しておく必要がある。もっとも、基本的には、文化の盗用というものは、「我々の信仰するものと、それは違う」という宗教的(心理的)な抵抗が、その根底に大きく横たわっていると考える。ほとんどイチャモンにちかい。それはたとえば、ゲイを模したキャラクターで笑いをとる芸人を、「けしからん」と言って、「ゲイという属性で笑いをとることは許されないことだ」と非難する構図と似ている。いっぽうでは、ゲイ本人が「ゲイ」というキャラクターを駆使して笑いをとることは許容される。この違いはなんだろう? 大きな違いとしては、多数派が少数派をバカにしているのか否か、にある。けっきょくのところ、大勢の認識がどのようなものか、という極めて主観的な要素が、問題か否かを決めている。そこに本質はない。たとえばこのさき、性的指向の差異がまったく意識されずに、「人は人を愛するのだ、性別を愛するわけではない」という認識が社会共有されたとすれば、「ゲイあるある」などと言って、ゲイにある傾向で笑いをとることが日常化する未来が訪れるだろう。むろんそのときにあっても、その笑いを耳にし、傷つく人はあるはずだ。それでも、そのときは、傷つくほうが繊細すぎる、という評価をされるだろう。或いは、笑いをとった人間を、失礼な人だな、と評価するかもしれない。だが、それは一般にあるコミュニケーションと同じである。基本的に、笑いとは、相手をじぶんより下に見ることによって生じる。安堵によって笑ってしまうときですら、想定していた事態より低いレベルだったと判って笑うのである(微笑のみ、じぶんを低く見せるための笑いである。また、驚嘆を伴う笑いだけは、相手に圧倒されて漏れる魂からの笑いだと呼べる)。笑いを禁じることに意味はない。よって、本質は、「マイノリティを笑いの種にすること」がわるいのではなく、「そのマイノリティに有される属性を悪とする社会風潮および同調圧力」がよろしくないといえる。ゲイは異常だ、という風潮がまず解決すべき問題であり、そこから派生する副次的な問題のほとんどは表面的なものでしかないと呼べる。では、文化盗用はどうだろう? なぜその文化を盗もうとしたのか? 取り入れようとしたのか? そこにその文化への「悪印象」があるのだろうか? むろん、相手側への配慮は必要だろう。しかしながら、ただ真似されただけで「我々の文化を侮辱している」と怒るのは、いささか文明的とは言い難い。そういう文化はいずれ、誰からも相手にされなくなり、知らず知らずのうちに消えていくだろう。真似されたけっか、その文化に「亜流文化」があべこべに流れこみ、オリジナルそのものが変質してしまう懸念は無視できない。とはいえ、文化とは元来的にそういうものではなかろうか。剣術は剣道として変質し、そうして現代へと受け継がれている。元の剣術は形骸化している。あらゆる文化もまた同様である。怒りを表明するのは結構なことであるが、けっきょくそれで損をするのは自分たちなのだ、ということを今から考えておくと、これからさきの百年を生き残りやすくなるだろう。ただし、急激な変化はどんなものであれ、悪影響を及ぼす。模倣するにしても、自制や配慮は必要であることは言を俟たない。(2017年11月16日げんざいでのこれは個人的な考えであり、この考えは、半年後には変わっていることだろう。おそらく、何か大きな問題が発生し、世界的に取り沙汰されているはずだ。たとえば、「文化盗用だ」と声を荒らげる者たちの多くが、いずれも当事者ではなく、第三者である、など)(マイノリティだから弱者だ、守るべき存在だ、という感覚もまた、サジ加減によっては差別を助長する)
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参照:いくひ誌。【81~90】
https://kakuyomu.jp/users/stand_ant_complex/news/1177354054881332081