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いくひ誌。【81~90】

※日々おもったことを無責任に垂れるよ。


81:【先取り】
時代を読んだところで、時代を変えられなければ意味がない。時代を変えるだけならば何かを破壊すればいいのだからそうむつかしくはない。何かを劇的に解決し、進化させることに時代を変える意味がある。言い換えれば時代の先取りとは、今現在問題にされていない、或いは意識されていない事象に焦点をあて、このさき槍玉にあがるだろう問題を(或いは意識的無意識的に拘わらず差別を受けている事柄を)取り沙汰していくことを意味する。ところで、現在もっとも急浮上している問題は、差別をなくそうとした勢力が、却って差別を助長してしまっている傾向にあるという点だ。差別はいけないが、何かを嫌だと思う気持ちや、何かに抵抗を感じる気持ちは尊重しなければならない。重要なのは、じぶんの心情に関係なく、万人に対し平等な態度を心掛けることであろう(平等と同等はちがう。その点は強調しておきたい)。差別する人間を差別してはいけない。批判すべきは行為であり、人そのものではないはずだ。


82:【基準点】
孤独を感じられない人間は悲惨だ。孤独は、どんなに大勢に慕われ、囲まれ、繋がって生きている人間であってもふとした拍子に感じるものだ。しかし常に孤独のなかに身を置きつづける人間には、むしろ孤独はその存在をひた隠しにする。我々がふだん空気を意識しないように、或いは魚が水を認識しないのと同様に、ひとは気温の変化があってこそ暑さや寒さを感じられる。産まれたときから暖かさに触れたことのない人間は、寒さをしらない人間に育つだろう。誰にも共感されない人間は、その孤独の深さに気づくことなく、孤立したまま生きていく。他者から見ればそれは悲惨に映るが、しかしそれがふつうのこととして刻まれている者にとって、今さらのように暖かさを教えられるほうがむしろ苦痛だ。なにがしあわせで、どうすればよいのか。人間のきもちというのはじつに厄介である。


83:【神に抗議】
透けて見える世界観がひとりひとり違いすぎて頭がくらくらしつづける日々を送っている。同じ人間はひとりたりとも存在しない、なんて言説があるけれども、いくひしはしょうじき、いやいるでしょ、いったい何年前から人類いると思ってんの、同じような人間、これまでに何人かいたでしょ、って思ってしまう。でも、今こうしていくひしが触れられる範囲、同じ時代に息づいている人間でって限定を当てはめてしまえば、やっぱりというべきか、まったく同じ人間どころか似た人間さえいないんじゃないかっていくひしは思ってる。好きな音楽はなんですかーって訊ねてみますればそれこそいくひしの趣味と合致する人間はとんとその姿を忍ばせるし、そもそも音楽なんて聴きませんけれど、なんてひともすくなくはないわけで、そうするとじゃあその音楽聴かないひとたちはなにをして楽しんどるの、死んどるの?って話を振ってみますれば、まあそれこそ十人十色の返事があり申して、基本的にいくひしとは相容れない趣味を多くの者どもは嗜んでおられるわけでして、それってぜんぜんべつにわるいことではないのだけれど、もうすこしばかし、ほんのきもちでいいからさー、いくひしと共通点のある人間がもちっといてくれてもいいんじゃなぁーい? ぜんぶ同じじゃなくていいし、同じじゃないほうがいいくらいだし、いくひしの世界をひろげてくれるような、新鮮な、相容れない相手のほうが基本的にはいくひしだってフェルカムよ、望むところよ、好(す)むところ、ぱいぽぱいぽのしゅーりんがんだよ? だけれども、でも、それにしたって、ねぇ? いなさすぎじゃない? あ、あ、待って、待って。なんかこれ、いくひしがまるでともだちがいなくて嘆いてるみたいじゃない? ノンノンそうじゃない、そうじゃないんだって。ひがんでるように映った? 映ったよねごめんね。べつにいくひし、リアルが充実してるやからなんかイギリスEU離脱のあおりを受けてポットクリンに憑かれてトンじまえとか、全身からカブトムシの臭いのする病にかかれやとか、あすからしゃべると出てくる言葉が総じて「にゃんちゅー四六時中オナ中」になぁーれ、とかそんな下品なこと言ったのダレですか! コラっ! ダメでしょ! いけません! と、まあこの程度のシモネタでも怒髪天を発するお方はいるところにはいるわけでして、十人十色どころかずいぶんと色々、異界の住民はいるわけです。ともすればいくひしだけがぽつりと異界に取り残されて、窓枠からぽかーんとみなみなさまの世界を覗きこんでいる、なんてオチもなくはなく、ひるがえってはひとはみな各々好き勝手な家を持ち、そのなかから、独自の窓を通して世界を垣間見ているのではないのかなー、なぞと想像してみたり。家は各々たがえども、見ている風景はみな一緒。とはいえ、家の建つ場所、窓ひらく箇所、ほかもろもろ何かがズレてりゃ見える景色はどこかしらちがってくるわけでして、まあそもそもそを言ってしまえば同じ人間などいないのが当然、似てたら当選、宝くじにでもあたったと思って、その相手とはできるだけ仲良く過ごしたいものである。そんな相手と出会いたくって、いくひしはひょっとしたら、物語というながーいながーいお手紙をつづっているのやもしれぬなぁ、などと孤独に酔った宵には言ってみたくなるふしぎ。組みあげてみたくなる積み木。つぎはいったいどんな家が組みあがるのか、手元の瓦礫を見て思う。ツギハギの家かチグハグな家か、いずれにせよ建てた家を、祈りと共に折りたたみ、窓からそとへと投げ飛ばす、神に抗議するための紙飛行機、きみに不要な旅の動機。


84:【つまらん】
差別はよくないとか、そんなまっとう至極な言論、さっこん幼稚園児でも言えるぜ? まったくなんてつまらない正論だろう、セイロン茶だろう。セイロン茶は関係なかろうってツッコミくらいつまらんよホント。むしろ正論はことごとくつまらんと言ってしまってもいいくらいだが、それだと今こうして正論はつまらんって正論までつまらなくなっちゃうからすこしくらいの例外がはびこる余地は残しておこう。カビだって世の中からすべていなくなったら困るのは人間だぜ? チーズとか食えねぇぜ? ピザ、食いたくね? ねえねえピザって十回言って、くらいつまらない問答ってないと思うんだが、そこんとこモーゼのおっさんはどう思ってんのかね。十戒言って、言えなきゃ処刑ねって、いったいどんな区別の仕方だよ、差別かよ、差別だよ、ほんとつまんねぇことしてんじゃねえよって憤るのもふつうすぎてもはやつまらん。なしてそげなつまらんことするの、ほかにおもろいことなかったの? え、なかったの? ホントに? え、え、マジで、きみたちそんなことあったの? そりゃあちょっとはつまらんこともしたくなるわぁ、一周回っておもしろく見えちゃったりもするわぁ、でもやっぱりよくないと思うよ、おもしろいこともっとほかにいっぱいあるよ、え? 同じ立場でものを語るなって? こういう言動そのものが癪に障るって? ごめんよごめん。そうだよね。ひょっとしたらきみらと同じ立場だったらひゃっほーって誰よりいちばんノリでノリノリになっちゃってたかもしれないよね、きみらがそうするほかに自分たちの存在意義を感じられなかったように、いまこうしていくひしが何かを表現したり創作することでしかひ弱な自意識を支えられていないのと同様に、或いはあなたが社会の風潮に流され、職に就き、恋をし、家庭を築くことこそが人生の意義のひとつだとなんとなしに感じているのと同じレベルで、きっと彼らもそうしたつまらないことに縋ることでしか生きる意味を見いだせなかったんだ。ほんと救いようのないほどつまらない話だよ。結果だけを見て非難するのも大事だけど、もっと過程をだいじにしたい。いくひしのやろうはよく言うけど、人生、死ぬことがゴールじゃねえんだからさ。


85:【作家=クソ】
もし小説家が現代社会でクソの代名詞として扱われていたとして、それでもいくひしは創作活動に専念しただろうか。麻薬中毒者並に蔑視され、悪とされ、小説に魅了されるのは人間として劣っていて、狂っていて、おかしなことなのだとされている社会にあって、いくひしはそれでも小説を好きになっただろうか。しょうじき自信がない。ともすれば作家に魅力を感じるのは、ある種の権力が小説という媒体に魔法をかけ、ピカピカ彩っているからなのかもわからない。それはひょっとすると、ある種の暴力がプロバカンダを用いて人生に疲れ果てた少年少女たちを巧みに鼓舞し、盲目的な兵士に仕立て上げるのに似た構造があるのではないか。我々は果たして、そんな彼らをバカにし、憐れむことのできる立場にあるのだろうか。こんな時代だからこそいまひとつ見つめ直しておきたい(見つめ直すとは言っていない)。


86:【しょせんこんなもん】
うー。さびしいさびしいさびしいさびしい!!! むかしはなんか孤独なのってかっこいいし、孤独なおれっちステキ、他人と交われないのはなんか傷つくけどそれもまたどっかイタきもちいー。そんなふうに思ってた。でもなんか、なんで? どうして? さいきんすっごいかなしいし、さびしいし、きもちくない。なんで? なんでいくひしヒトリ? ねえなんで? なんかした? うーーっさびしいさびしいさびしいさびしい!!! うわぁぁぁぁあああああああああん!!!! もう!!! 泣く!!!!!!


87:【処方箋飲んだもん】
孤独は成熟のためのよき闇であり、癒しである。孤独であれ。孤独を操れ。自ら得る孤独ほど自由にちかいものはない。


88:【平等、寛容】
平等であればいいというものでもない。平等に悪意を向けるということがあり得るのだから。或いは善意のつもりで悪行を広めてしまうこともあるだろう。ひといきにすべてを平等にしてしまい、かえって事態を悪化させるといった顛末は、招きたくなくとも招いてしまうことはある。寛容さがときに、産まれて間もない我が子を踏みつけられようともそれ自体を受け入れ、許容してしまう悲劇を生みだしてしまうように、ともすれば自身が寛容であるがゆえに他人に対してあらゆる刺激を容赦なく振りまいてしまう絶望が成立し得るように、平等というものもよくよく考えて用いなければならない、それもまたひとつの思想であることをいまいちどつよく噛みしめておこう。舌を噛まないように注意してネ☆


89:【ブタもおだてりゃ真珠貝】
よく聞けブタども。世の中にはやっちゃなんねーことがふたつある。ひとつは親よりはやく死ぬことだ。ふたつめはあたしの小説を読まずに死ぬことだ。読め。おいそこの毛深そうなブタ。死んでいいからあたしの小説読め。読んでから死ね。おいそっちの死にたがってる不味そうなブタ。トンカツにしてやっからころも付けて揚げられる前にあたしの小説読め。いいから読め。いや、待て。あんたはいい。あんたはにんげんだ。にんげんは読まんでいい。なんでって、クッソ言わせんなよ。恥ずかしいんだよ。あたしはブタにだけ読んでほしいんだ。にんげんさまは、それこそにんげんらしい高尚なご本でも読んどけよ。よく聞けよブタども。あたしが死ねっつったらてめぇは死ね。あたしが樹にのぼれっつったら樹にのぼれ。夢を叶えろっつったら夢のために努力して、すこしずつすこしずつまえにすすめ。豚箱になんか入んじゃねーぞ。飛んだところでブタはブタだが、あたしは飛ぼうとするバカなブタが好きだ。笑えるじゃねーか。なあブタ。小説、読ませてやったろ。つぎはてめぇがあたしを笑わせろ。


90:【宣伝がへたくそ】
我々は死ぬために生きているのではない。生きようとする道のさきにたまたま死が待ち受けているだけである。ストーカーのようなものである。なるべく出遭わないように気をつけるのがよろしい。しかし。しかしだね諸君。謎は、答えこそがゴールである。過程など些事である。過程が間違っていようが答えが合っていればそれでよいのである。むろん答えがすべてだとは言わないが、しかし謎とは答えを出すために存在する。考えてもみたまえ。我々が、なぜだろう、と思うとき、同時に我々は答えを求めている。否、答えを求めたからこそ、なぜだろうと疑問するのである。したがって、答えへの道のりはできるだけシンプルに、短ければ短いほどよい。たった一つの答えを得るために晦渋な言葉を尽くす必要はない。ただし、たった一つの謎を解明すると、幾重もの答えがひねくりだされるといった摩訶不思議な謎がこの世には存在する。たとえば郁菱万氏の小説「息の根にうるおいを。」がそうだ。いくつもの推理を経て、たったひとつの答えを導きだす――のではない。幾重もの道筋を辿りながらも、そのつど導きだされる答えは、すべてがすべて真実であり、しかし謎はそこで途切れずにさらなる答えを増やしながら最終的な、すべての答えを内包する黒幕へと結びついていく。往々にして謎とは、複数の答えを併せもっている。生物はなぜ進化するのか。自然淘汰なのか、獲得形質の遺伝なのか、はたまたほかの生物との融合なのか。どれかひとつであるとはかぎらない。段階的に、もしくは同時進行で、各々の要因が関係しあい、生物は進化の歴史を歩んできたのかもわからない。あなたはなぜ生きているのか。明確にこうだと言える答えはないはずだ。かといって答えがないわけではない。答えは多重に存在する。魅力的な謎の、それが共通した特性である(共通してるのに特性なの?といった疑問は残るにせよ、「息の根にうるおいを。」はじめ、ほか、いくひしの作品群は総じてそういった謎がちりばめられている。ぜいたくでしょ? ぜいたくなのだ! ってだから宣伝へたくそかよ)

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