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いくひ誌。【291~300】

※日々の活躍を夢見て、夢ばかりを見て、なにかをしたつもりで、してきたつもりばかりが積もりゆく、雪のように儚ければうつくしいわけじゃない、結晶するホコリの核が見当たらず、儚さだけが嵩んでいく、日々は嬉々とヒビを割り、いつまでひた走れば気が済むんだろ。


291:【だいじょうぶ、まだいけるよ】
Ujico*/Snail's House - 君と夕暮れの丘


292:【思考生物】
人間はすてきだ。しかし、この世に人間はひとりたりとも存在しない。世に蔓延る人間モドキは、みずからがケモノであることを忘れた哀しきサルである。しかし人間は、そうしたサルを媒介にしなければ存在できない空虚な存在である。醜さをかたどる瞬間瞬間の閃光が寄り集まって人間はできている。


293:【ひょっとして】
オリジナリティとはもしかすると、何をお手本とするか、なのかもしれない。


294:【ひびき】
あと三年以内に、共有されにくいものが価値を生みだす時代に突入していく。それは現在の、共有されやすいものが価値を生みだす流れが衰退するからやってくるものではなく、そうした流れが加速することで生じる陰のようなものである。本質は、共有されやすいものにあるが、しかしそれは本質であるがゆえに、これからはどんどん一般化し、価値あるものとして見做されなくなっていく。共有されやすいものとは、すなわちやわらかいものだ。しかしやわらかいものは響きにくい。硬くて中身に虚無を抱え込んでいるもののほうがより深く響きわたる。いっぽうで、やわらかさに磨きをかけ、水のようになると、それは波紋のようにどこまでも伝播する性質を帯びるようになる。鐘のような硬さを、水のような掴みどころのなさを。


295:【共有されにくいものとは何か?】
ある一つの物事を共に所有できる状態が、共有されやすい状態だと呼べる。とすると、ある一つの物事を共に所有できない状態が、共有されにくい状態だと言える。つまり、共有されにくい、というのは、何かを嫌悪したり、理解できないと一方的に拒絶する状態を示すのではない。たとえば、うんちさんを見て、汚い、という感情を多くの者が持つならば、それは共有されやすいものだと呼べる。では共有されにくいものとはなにか。具体的な例は浮かばないが、強いて挙げるならば、ある一つの物事を示し、それに対する見解が、個々人によって異なるものだと言えるだろう。現実とはつねに、共有されにくいものである。


296:【負け】
反応したら負けなことを見抜く目と、本物かどうかを見極める目は似ている。ほとんど同じだと言っていい。その人物が何に過剰反応するかでその人物の底が判る。


297:【言葉足らず】
一つ前の項、296にて少々誤解するような言い方になってしまったかもしれない。本物かどうかを見極める目はないほうがいいと個人的には思っている。どちらかと言えば、たとい偽物だろうとうつくしいものをうつくしいと思えるこころのほうがよほどだいじだ。もっと言ってしまえば、底は浅いほうが何かを表現する者にとっては都合がよい。器に入りきらずに溢れた何かをなんとか伝えようとひとは表現という行動に走る。余すことなくすべてを受け入れ、咀嚼できてしまっては、何も生みださないブラックホールになってしまう。足りないから補おうとする。穴があるから塞ぎたくなる。本物であることにどれほどの価値があるだろう?


298:【誤解の誤解】
うえの項、297にて大いに誤解させるような言い方をした。本物には価値がある。本物にしか価値はないと言い換えてもいい。ゆえにひとは本物を追い求める。本物とは、唯一無二であることだ。例外がない存在を示すことが多いが、本質はむしろ、それが唯一の例外である、と言ったほうがより正確ではある。ただひとつきりの例外、すなわち枠組みそのものである。本物とは枠組みである。それがあるから、その他大勢との分別が可能で、言うなれば基準となる存在だ。しかしぼくは本物に興味が持てない。否、本物にはなりたい。ただし、本物になれないことを痛いほどよく知っているからこそ、ぼくは本物なんて大っ嫌いなのだ。本物になろうとあがいている偽物の発する、ほんの一瞬の輝きのほうが、胸を揺さぶられる。だからなのだろう。ぼくの紡ぐ物語がよりたくさんのひとたちに読まれたいと願ういっぽうで、ぼくの物語が必要とされるような世のなかにはなってほしくはない。ぼくは、ぼくみたいなひとに向けて物語をつむいでいるけれど、ぼくみたいな人間モドキは、世のなかにできるだけ少ないほうがよいと思っている。ぼくたちはいつだって人間になりたがっているのだから。


299:【無償ではない】
私は知っている。私の作品たちに価値がないことを。なぜならあのコたちは未完成なままだから。あなたという存在に溶け、結晶化し、展開されることで、あのコたちはひとつの作品として創造の空へと羽ばたける。あのコたちを私はなんとか生みだしたい。あのコたちが生まれ落ちたあとの世界を目にしたい。何かを得るためには相応の対価が必要だ。正当な対価というならば、私は、私こそがそれを払おうと思う。実態を伴なわない情報のままでダメだというのなら、物理媒体に焼きつけよう。そのための費用くらい私がもちます、もたせてください。無償で提供しているつもりはない。私は、私こそが、対価を払って、作品を生みだしてもらっている。今はまだこれくらいしか差し上げられません。いずれすこしずつでも増やします。とるにたらない対価で恐縮ですが、いつもすばらしい世界を、ありがとう。


300:【思想の裏の実体】
弱者への救済をと叫び、権力へ反発する者たちが、資本へのいきすぎた嫌悪感を募らせるがあまり、自らが運営する組織のブラック化を押しすすめるという事態はもはや珍しくもなんともない。あべこべに、そうした者たちがブラック企業だと糾弾している、いわゆる大企業のほうが、実態は、待遇がよかったりする。ブラック企業を叩いている団体が、そのじつ、過度なボランティア精神を発揮するがあまり、超過勤務を残業と見做さず、部長クラスの中間管理職ですら手取り十四万(給料明細の手取りではなく、最終的に家計簿に載るほうの手取り)という本末転倒具合は見ていて滑稽だが、当の本人たちがブラックであることに無自覚であるのがとにかく笑えない。また、そのツケを精算すべくとる算段が、まさしく資本主義社会の権化とも呼ぶべき、自転車操業への尽力ときたものだからますます以って笑えない。

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