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いくひ誌。【141~150】

※日々おもったことしかおもいつかない。


141:【失敗作】
ゲノム編集技術の確立は、生命の進化が自然淘汰という名の結果論の影響だけでなく、獲得形質の遺伝、すなわち生きているあいだに培われた経験値が次世代に引き継がれることで促されてきた背景を示唆している。ゲノム編集の根本にある技術は、獲得免疫機構(細菌などの免疫系システム)を基にしている。細菌は、ウイルスなどの外的なDNAが侵入してくると、そのDNA内の遺伝子情報(ゲノム)の一部を切り取り、自身の遺伝子情報に刻みこむ。そうしてつぎに同種の脅威が自身の細胞内に侵入してきた折には、記憶していた遺伝子情報をもとに、その脅威を識別し、さらにその脅威をDNAごと破壊するのである。注目したいのは、その記憶した脅威の情報が、自身のDNAに刻みこまれる点にある。DNAに刻まれた以上、その情報は次世代に引き継がれる可能性がある。じっさいに、獲得免疫機構の影響とみられる、固有のウイルスへの耐性は、その細菌の第三世代まで引き継がれることは知られている。ほかにも、2013年に発表されたマウスの実験がある。匂いを嗅いだだけで怯えるように条件付けを施されたマウスは、子を産むと、その子どもにも、同様の条件付けの反応が見られたそうだ。すなわち、特定の匂いを嗅いだだけで怯えるマウスが産まれたのだ。獲得形質の遺伝との因果関係は不明だが、すくなくとも何かしらの因子が、親の経験を子に伝えた結果だと呼べる。それ以前の2011年には、ショウジョウバエが、ストレスによる遺伝子の変質を、子に伝えたという実験報告がなされている。ダーウィンの進化論では、自然淘汰の原理を前提に、突然変異した個体が、適者生存ののちに結果として繁栄するとする理屈が唱えられているが、ではその突然変異はどうして起こるのかについての具体的な説明はなされていない。獲得形質の遺伝は、そんなダーウィンの理論を補完するために必要な説なのかもしれない(ダーウィン自身、じつは、後天的資質がなんらかの因子を介して親から子に伝わるのではないかと考えていた。が、のちにそれを否定する理論が認められ、こんにちの生物学の基盤では、獲得形質の遺伝は起こらないとされている)。ちなみに以下の文章は、いくひしが2011年から2012年にかけてつむいだ小説からの抜粋である。【~~(以下引用)~~個もまたその人生を通して蓄積した記憶の一部を情報として、遺伝子に刻みこめる、と考えた。たとえば、とある個が、生きていくうえで幾度もイヌに命を脅かされたとする。するとその個の子孫は、『イヌは危険だ』という情報を、遺伝子を介して親から受け継ぐ。それは、その血筋に特有の性質として、連綿と子孫たちへ踏襲されていく。そのため、逆に子孫たちがイヌに対してそこまでの脅威を抱かなければ、やがてイヌを忌避するという性質は、薄れていく。むろん、これは比喩だ。たかだか一世代では、ここまでつよい遺伝子改竄は行われることはなかろうし、狙い定めたようにイヌのみを条件反射で嫌悪するようにはならんだろう。この『弱点集積機能』というのは、ある意味で、花粉症のシステムと似ておる。ある一定量の危険信号を蓄積すると、個は、その危険に関する記憶を遺伝子に情報として付与する。だから、たとえばたった一度の絶望的体験をしただけでも、生物は、その絶望的体験の要因を、危険因子と見做し、遺伝子改竄を実行する。極論を言ってしまえば、トラウマの形成が、そのまま遺伝子改竄へと繋がると言ってもこの場合はあながち間違いではなかろう~~(略)~~今述べたように、生物には、個の危険を種全体へ伝えるためのシステム、『目安箱』のような機能が備わっておる。それが種族ごとの、独自の進化を可能とする~~(略)~~進化はなにも自然淘汰だけによってのみ齎(もたら)される事象ではない。生物はあまねく、弱点を集積し、弱点を克服しようとする。その果てに進化という変異を得るのだ。そこで人類は、ほかの生物種に類をみない独自の進化を得た。それこそが、意識の発生――すなわち、人格発芽因子の誕生だった~~(略)~~人類はより多様な『弱点』を集積するために、〝意識〟という能力を持った。これは人類に特有の進化だった~~(引用終了)~~】この小説ではほかにも万能細胞を利用したクローンや、そのクローンに意識が芽生えない理由、人工知能、意識の正体など、2016年のいまからすればたいへん興味深い要素がてんこもりである。ざんねんながら、おもしろくはない。いくひし渾身の失敗作であったが、たいへん思い入れのつよい作品である。どこにも出したくない、ずっと箱に仕舞っておきたい、そんな愛娘なのである。噂では、双子の妹がいるという。たいへんお転婆な性格であるというから、いずれ外へ脱走し、その姿をお披露目してしまうやもしれない。いくひしは今から気が気ではない。脱走の隙を与えぬように、付きっきりで見張っているのはつらいので、気が向いたら構ってやることにする。


142:【ネトラレ】
ネトラレ属性をご存じだろうか。最愛のひとを、第三者の手によって奪われる(主観と客観、双方の意)、或いは奪うことに性的快感を覚える性的倒錯のことである。物理的な略取の意味合いもないわけではないが、どちらかといえば、心離れ、強引な懐柔にちかいところがある。いくひしはこれを、三つの要素に分類する。一、歪んだ承認欲求。愛する人を奪われることで、他人から強奪されるほどに価値のある人物をじぶんは手に入れていたのだとする自己承認がなされる。逃した魚はデカいの心理である。二、純粋な承認欲求。これは第三者の手によって懐柔される側の視点である。じぶんは特定の誰かだけでなく、不特定多数から狙われるほどの存在なのだと錯覚できる。歪んだ自己愛と呼べよう。そしてもっとも欠かせない要素が、三つ目となる、過剰な快楽である。最愛のひとを裏切ってしまうほどの快楽が、ネトラレには必要不可欠である。これは刺激と言い換えてもいい。そこには恐怖も含まれる。弱みを握られ、致し方なく身を許す。そこには恐怖や屈辱によって累乗される快楽が忍ばされている。飴と鞭の理想的な関係が成立する。以上、ネトラレでは三つの要素が、通常苦痛に思われて自然なはずの「たいせつな者との離別」を快感へといざなっている。いずれも、屈折した自己愛がその根底にあると呼べよう。(最愛のモノの損われる姿に興奮するというのは、単なるDVの延長であり、これをネトラレの基本理念にするには心理的抵抗がある。むろん、じぶんではできないことを他者を介して実現する行動原理は、ネトラレの基本原理ではあるが、おそらくこのDVじみた要素、嗜虐性は、介入する第三者が人間でなく獣であっても成立するため、ネトラレの基本理念とするにはやはり違うように思うのである)


143:【ゴミ袋】
燃やすゴミの袋にプラスチックを入れても、燃やすゴミになってしまうのだなあ。でもプラ用ゴミ袋に生ごみを入れると回収してくれないのだなあ。人生って感じがするなあ。じつに人生って感じが。


144:【純粋】
いくひしは純粋である。とてもとても純粋である。どれくらい純粋かと言うと、四歳児とおててつないでもドギマギしてしまうほどの純粋さである。ショタコンなのでは、との声には、その可能性については否定するだけの論拠を示せない、と応じよう。ロリコンでは、との声には、そうだが? とキョトンと首をかしげよう。


145:【ムーアの法則】
半導体の集積密度は18~24ヶ月で倍増する。いわゆるムーアの法則である。要約すると、およそ二年で今ある電子機器は、その性能を損なうことなく大きさを半分にできる、となる。同じ大きさが維持されたならば、性能が二倍になっていると言い換えてもいい。じっさいにPCやスマホを筆頭に、ムーアの法則は実現されつづけてきたと言える。だが数年前からこのムーアの法則に陰りが見えはじめたとする声が聞かれはじめた。理屈は理解できる。ムーアの法則を維持するためには、半導体を構成する部品を際限なく細分化しなくてはならず、いつかは分子を越えて原子、素粒子(クオーク)、さらには基本相互作用――と、物質ではなくその根源、ちからの拮抗をシステムの素子として扱わざるを得なくなる。現在の技術力ではむつかしいというのがいくひしの印象である。が、半導体はこれから、ナノマシーンの実用化と相まって、ある一定のちいささ、おそらくは細胞単位でのちいささで機能する回路が開発されていく。そうすると、半導体と半導体を無数に組み合わせた、三次元チップが考案されると期待できる。立体的に組み合わされたそれは、いくひしの考えではらせん構造を模し、疑似DNAとして回路の未来を切り拓いていくだろうとここに予測するものである。


146:【いくひし、星になる】
「うーうー、かなしいよー、うーうー」「どした?」「うー。きいてくれる?」「あ、やっぱやめとく」「なんでだよ! きけよ!」「だってめんどそうじゃん」「いいからきいて! はい、そこ座る」「うっわー。声かけなきゃよかった」「心の声! きこえないようにして、傷つくでしょ」「ムチャクチャかよ。あたし今いそがしいんだが」「あのね、つくりたい物語がね、あるのね。たくさん、たくさん、あるのね」「こっちの都合無視かよ。いいや。で? だから?」「でも時間がね、たりないの」「ふうん。で?」「ひとつの物語をつくるでしょ。すぐにはできないわけ。そうすると、そのあいだに、もひとつ、つくりたいのがでてくるの。そしたら気になって集中なんかできなくなるでしょ」「そういうもんかねぇ。ま、がんばれとしか言いようがねえやな」「がんばってるよ。いくひし、すごいがんばってる」「お、おう。そっか。立派、立派」「でも、時間がたりないの。これってすっごい損失だとおもう。人類にとっての損失」「おっきくでたなー。人類かよ」「だってそうでしょ。時代が時代なら、いくひしに物語つむがせないなんて極刑も極刑。死刑だよ?」「どんな未来だよデストピアかよ」「いくひしのために特注の宮殿までこさえてさー、創作に集中させてくれたもんだよーげんきかなぁ……クレオパトラ」「過去かよ!? 死んでるよ! とっくのむかしに死んでるよ!」「なつかしいなー。あのころの人類、みんなすっごい素直でさー。トイレットペーパーに包まりながら眠るとすっごいエッチな夢みられるよって言ったら、みんな信じちゃうんだもん。あげく死んでやんの。ウケる」「ミイラじゃん! それってミイラの起源じゃん!?」「あまりに人気ありすぎて品切れになっちゃったりして。使用済みでもいいよって言ったら信じてやんの。ウケる」「クレオパトラーー!!! あんたのイメージ、今世紀最安値更新しちゃってるぞー! いいのかー!!!」「まあ言ってもあの時代にトイレットペーパーなんてなかったんだけどね」「言っちゃった! 敢えて触れずにいたのに言っちゃった!」「あーあ。だれかいくひしのために貢いでくれないかなー。すこしでいいんだ。ほんと、おキモチ程度で。毎日すこしのお米と、すこしのお味噌汁と、二リットルのウーロン茶と、食べ放題の焼肉と、たまにカツドンが食べられて、毎日新しいお洋服着られて毎月百冊くらい漫画本買えて、あとはたまーに気分でメイドさん雇えるくらいの金銭でいいから、だれかカンパしてくれないかなー」「くれねぇなぁー。たいへんざんねんながら、くれねぇーなー」「そんなことないもん。あのね、貢がないブタはただのブタなんだよ?」「だからなんだよ」「くれないの豚。なんちゃって」「あン?」「あ、待って。いかないで、座って、もっかいココ座って」「んだよ。それ以上ふざけたらマジで帰るかんな」「ごめんなさいでした。真面目です。いくひし、すごい真面目になりますから。はい、これでも食べて機嫌なおして」「んだよこれ」「スルメです」「いらねえよ」「あ、もったいない。ハムハム」「ッチ。で、どうしたらいいと思ってんだおまえ。愚痴ってばっかじゃラチ明かねえぞ」「うん。だからね。ハムハムクチャクチャなわけじゃない?」「スルメ噛むのやめろ!」「ごっくん。ほら、人類の損なわけじゃない? だから誰かいくひしのためにその人生、ドブに捨ててみる気、ないかなーって」「ないなー。ざんねんながら、ないなー。なんだったらタダでドブに捨てたいなー。おまえにだけは貢ぎたくないなー」「今だって新作、十本くらいつくってるのに、どれも終わりが見えてこない。集中してつくりあげるには期間が空きすぎちゃうのが問題だと思うんだよね」「あーそー。やめればー? もういっそ書くのやめちゃえばー? 誰も文句いわないよー、いっそせいせいしちゃうよー」「そうしたいのは山々なのだけれども」「山々なのかよ!」「でも、いくひしがつむがなきゃ、誰がそれを!つむぐのさ!!」「つむがなきゃだめかなー? それってつむがなきゃだめー? プロの作家ならともかく一介の底辺素人の駄文なんて誰が読みたいと思うかなー? いなくなーい? そんなやつマンに一つもいなくなーい?」「うー。つめたいよー。うーうー」「そっかそっか。正論吐かれすぎてつらいかー」「うー」「よしよし。きょうだけ特別だ。思う存分泣きやがれ」「うーうー」「おーおー、そうかそうか。そんなに哀しいか。よしよし。あたしの胸でいっぱい泣くがいいさ」「うわーん」「よしよし」「…………ちっちゃい……」「揉んでんじゃねぇ!」「はぁあ……」「ざんねんがるな!」「ちくび」「ぶッとばす!」「色は……」「それ以上つづけたらぶっころすからな、マジで、冗談でなく」「わかったよぉ。ごめんなさい。あ、見て見て!」「ん?」「絶壁にぶらさがるひとのマネ☆」「よしきたぶッコロス!」「かくして、いくひしは星になったのであった」「ナレーションっぽくして誤魔化してんじゃねえ! いっそ干しちまうぞ!」「こうして、いくひしは干されたのであった」「業界さまー! 業界さまはいませんかー! ここに干してほしい生意気な新人がいるんですけどー、どなたか干してくださいませんかー!」「あはは、そんなに干されたらミイラになっちゃうね☆」「伏線回収してんじゃねえよ、はやく干からびろ」「その前にひとついい?」「んだよ」「干したところでイカはイカだよ?」「スルメじゃねえか! もういいわ」「かえらせてもらいます」「あたしがなッ」


147:【高尚を哄笑、交渉して考証】
芸術が高尚なものだと勘違いしている者は多い。否、芸術を高尚なものと感じる瞬間はたしかにある。だがそれは飽くまで鑑賞する側の気の持ちようであり、それをつくりだす側が驕っては元も子もない。偉いと高尚は似ている。偉いという概念は、単一では成立しない。偉いモノがあるとき、そこには相対的に偉くないモノがある。構造的にはむしろ、偉くないモノたちによって、偉いモノが支えられていると呼べる。あれは偉いなあ、と思ってもらわないことには、偉いモノは偉くなれないのである。親と子の関係に似ているが、似て非なる関係性がそこにはある。親は子を産むから親になれる。子があるから親になる。これは真であるが、子もまた親があるから子になれるのであり、そこには相互関係がみてとれる。しかし、偉さはべつだ。偉いモノがなくとも、偉くないモノたちは存在できる。しかし、偉くないモノたちがいないことには、偉いモノは存在できないのである。ここには一方的な関係性のみが存在しており、偉いモノのほうが、より支えられていると呼べる。神と人間の関係性にちかいといえば端的だ。芸術が高尚なのは、それが高尚だと受け止めていただけている瞬間だけであり、それ以外の時間は、あってもなくても変わらない、有象無象にほかならない。むしろ、芸術の本質とは、その高尚さの如何を問わず、いかに他者の人生に介入できるか、影響を残せるかにあると呼べる。寄生虫のようなものである。高尚さの欠片もない。


148:【創造】
芸術と創作は似ているが、ちがう。創作は行為であり、芸術は結果である。創作した結果に、芸術になることもあるし、ならないこともある。だが結果のありように拘わらず、創作は創作としてそこに端然と存在する。いかに創作するかといった要素を芸術扱いする風潮があるが、いくひしはそれをこころよしとしない。創作の領域に芸術風情が足を踏みこんでくんじゃねえよって思う。感じわるいよね。ごめんね。でもそう思う。創造する行為は、もっと孤独で、独立して、わがままなものだ。醜くて、歪んでいて、それゆえにおもしろい。セックスとオナニーくらい違う。創作に芸術がすり寄ってくると、身勝手なセックス――他人を使った体のいいオナニーになる。いくひしは、それがすごく苦手だ。芸術家は、もっとも芸術家から程遠い。小説家もまた例外ではない。


149:【自家撞着、自己矛盾に自己嫌悪】
見て見て、上のテキスト。147と148。いかにも芸術家っぽいよね。きどってる。芸術家きどり。いやだなぁ。さらに上見て。146。なぁにが、「うー」だ。かわいこぶってんじゃニャー。いくひし、こういう矛盾したやつ、だいっきらい。矛盾してるくせに論理的ですって顔してるのがますます腹立つ。いっぺん死んだほうがいいと思う。地獄に落ちたほうがいいんじゃない? でもたぶん、言うとほんとうに死にそうな顔して、そこまで落ち込まんでもいいよってくらい落ち込むだろうから言わないでおいてあげる。いくひし、やっさしい。惚れてもいいよ。今だけね☆


150:【懐疑の回避】
基本的に数学を信用していない。数学を基盤にしている物理もだから信用していない。よって今ある常識と呼ばれているものごとをいくひしは基本的には信用しないことにしている。だが、人間社会の範囲であれば、数学の有効性は認めている。ほかのあらゆる手段の追随を許さない精確さには信頼を寄せるに値する実績がある。数学のなにが信用できないのか。一言で言えば、その起源である。人間の指が十本だから十進法ができた。そんな人間原理な手法で、宇宙の神秘、この世の真理に近づけるはずがない。否、近づくことはできるだろう。十進法だろうが、十二進法だろうが、扱っている事象が同じならば、そこに変換され、表現される事象も同じなはずだ。しかしまったく同じではない。僅かなひずみが生じている。それは、真理に近づけば近づくほど大きくなっていく性質がある。円周率を割りきろうとすればするほど、小数点以下が無限に増殖していくように。数ミリのズレが、結果として宇宙船の軌道を大きく変えてしまうように。現状の数学では、ある極限を境に、真理から遠ざかる方向へと捻転せざるを得ない。そうした宿命が課せられている――と、いくひしは考えている。代替案はない。しかし、人間のつくったなにかしらが、人間には扱えない手段でもって宇宙の真理に迫ることはあり得ると考える。おそらく現状すでに人類は大きな誤謬を、数学により抱かされているが、人類の生みだすなにかしらによってその誤謬はいずれ是正されるであろう。人間はいずれ死ぬ、というくらい中身のない予言であるが、人間が死ななくなる日がこないとも言いきれない現状、中身がないことが結果として中身が詰まっていると言い換えられる日が訪れるかも分からない。意味深な言葉でお茶を濁すのがたいへんうまくなったきょうこのごろである。

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