私は「イカロス」(私が考えている)に執着している。大地の束縛に会う己の姿を、イカロスに重ねている。ものすごく単純に、宇宙に憧れていた。そのうち「自分はけっして、飛べないのだ」と自覚した。まず、「イカロス」であるサエコを作った。重力に囚われたものだ。次にエンジェルであるメイを作った。重力から解放されてしまったものだ。
当時二冊の本から影響を受けていた。一冊は「サハラ幻想行―哲学の回廊―」これは今も座右の銘だ。カコウだ。もう一冊は「苦悩と不安の現象学」イカロスのサエコだ。憧れたのはメイだった。
今の自分は、実生活に追われ、何かを志向する余裕がない。「サハラ幻想行」に書かれている砂漠がない。死すらも拒絶する砂漠。惑わすものが何もない状況下で「自分を見つめる」「生きる意味を考える」。情報とものに溢れたこの社会では、それらに翻弄されて自分を見つけられない。
宇宙を「砂漠」に見立てて、そこに身を置くことで自分が見える。カコウはそのために宇宙をキャラバンしている。
「苦悩と不安の現象学」からの一節。人はみなイカロスである。四本足で大地に安定していた彼らは、やがて両腕を大地からはなり二本足で立つようになった。解放され自由になった両腕で空を志向した。「空高く飛んでみたいと」。しかし、高みへ昇れば昇ほど、ふっと自分がいた大地を見降ろしたとき、「自分はなんという高みまで昇ってしまったのだろうか?」とその高さと安住していた大地の重力に呼ばれ恐怖し、降りるしかないのだ。
まさに、人間そのものを言い当てていると思った。私たちは「イカロス」だ。けっして重力から解放されない、安住の地で生きるものだ。だからこそ、重力に呼ばれないエンジェルという、「さすらい人」を語りたいと思った。安住の地がなく、宇宙をさすらい続けるエンジェル。彼女ははたして幸せなのだろうか?