• に登録
  • 現代ドラマ
  • ミステリー

はるの風(短編)解説

※ネタバレあり。作品を読んでからこちらを読んでいただけると非常に助かります。

今回は、犀川ようさんの自主企画「第一回 さいかわ卯月賞」に参加するために一作書いてみました。
テーマは「春」です。

主人公は、私の作品を読んでいただいている方にはおなじみとなったであろう小野篁です。
小野篁は実在した人物で、平安時代初期の公卿であり、百人一首では参議篁の名で「わたのはら 八十島かけて こぎ出でぬと 人には告げよ あまの釣船」と詠んでいます。この小野篁には様々な逸話が残されており、冥府で閻魔大王の補佐をしていたといった話や、同僚に百鬼夜行を見せて脅かすといった話などファンタジー要素満載な人だったりします。

今回の「はるの風」では篁が若かりし頃の話を書いてみました。
篁と一緒にいる藤原良房という人物も実在する人で、後に摂政太政大臣となった人です。なお、皇族以外の人臣として初めて摂政となったのがこの藤原良房で、後の藤原北家全盛期の礎を作った人でもあります。

そんな二人が訪れている場所『神泉苑』は大内裏に接した禁苑でした。禁苑というのは、天皇の管理する庭のことであり、天皇にまつわる行事などが行われたりしていましたが、普段は庶民にも開放していたそうです。神泉苑に関しては史書などに雨乞いの儀式を行った話や天皇が池で釣りをした話、花見をした話などが残されています。

和歌に関しては、源氏物語などを読んだことのある方はご存知だと思いますが、当時は恋の歌を詠んで相手に送るといった文化がありました。現代でいうところのラブレターですね(ラブレター自体が現代では衰退してしまいメッセージとなってしまっていますが……)。当時は恋の歌が上手い人ほどモテたようです。特に身分の高い方々は、顔をまともに晒すことがほとんどなく、簾越しでしか顔を拝めなかったりしていた(当時の人々は顔を晒すことや名前を知られることを極端に恐れていた。特に名前を知られると呪いに掛けられる恐れがあると信じられていた)ため、相手の心を射止めるには和歌が重要なアイテムだったわけです。

百人一首の篁の和歌は、反逆罪で島送りにされる際に詠んだとされる悲しい歌ですが、それ以外にも多くの和歌を残していたとされています(ほとんど現存していない)。だから、きっとモテたでしょうね。ただ、身長が大きすぎる。現代でも188センチは大きいですが、当時の平均身長からしたらかなりの大きさです。現代人の我々が長身のバスケットボールの選手やバレーボールの選手、はたまたプロレスラーなんかを見ているような感じだったでしょう。それだけ大きな人だったので目立たないわけがない。しかも文武両道で、当時の帝だった嵯峨天皇のお気に入りのひとり(藤原良房も嵯峨天皇のお気に入り)。こんな男を世の女性たちが放っておくわけがありません。実際、小野篁にまつわる女性関係の創作話も多く存在しています。

今回の話では、鶯と獺が登場しましたが、こちらは良房が言っていたように春の季語なのです。基本的に和歌には季語などは入れる必要はありません。ただ、その季節ごとの言葉を入れることによって詠んだ際の情景などが浮かびやすくなることは確かです。

鶯は別名が春告鳥と呼ばれる春の鳥なので、春の季語というのはしっくりと来ますが、獺が春の季語というのはよくわかりませんよね。実際には「獺魚を祭る」が春の季語なのですが、これは獺が魚を獲って並べている姿がまるで祭壇に供え物をしている様子に似ていることから生まれた言葉だと言います。獺祭というやつです。獺祭は新春(旧暦)を表す言葉であり、2月の終わり頃。暦の上では春というわけです。獺祭というと日本酒を思い浮かべてしまうあなた、さては呑兵衛ですね。

また冒頭の梅の花ですが、平安時代初期までは春といえば桜ではなく梅だったようです。これは唐(中国)文化の影響が大きいようです(中国では春の花は、桃や梅)。この後、遣唐使の廃止などに伴い日本独自の文化が出来上がっていき、平安中期頃より春の花は梅ではなく、桜という風に定着していったという説があります。

と、いった感じで、今回はテーマが春だったので色々な形の「春」を物語に散りばめてみました。 

2件のコメント

  • こんな歴史的背景があったのですね。
    解説も興味深く読ませていただきました。
    とても素敵な短編でした。
  • ゆげさん、
    書ききれなかった歴史的な話や解説を書いてみました。ありがとうございます。
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する