普段はあまりこういうことはしないのですが、以下の作品を1万字以内に収めるために削ったシーンが、意外に雰囲気良く書けていたのでここでこっそり公開させていただきます。
本編と併せてお楽しみいただければ幸いです。
●【SF短編小説】機械の庭で永遠に ―シャーリアのごくありふれた日常―(約9,800字)
https://kakuyomu.jp/works/16818093087819353694--------------------------
●永遠の午後
木漏れ日の差し込むテラスで、シャーリアは昼食を終えようとしていた。保存食のスープの最後の一滴を啜ると、ルナが静かに前に進み出た。
「今日は、エミリー・ディキンソンの詩を」
猫型ロボットの声は、透明な空気に優しく溶け込んでいく。
"Hope is the thing with feathers
That perches in the soul,
And sings the tune without the words,
And never stops at all..."
メロディーを帯びた英語の韻律が、庭に響く。ルナの声には、微かな機械音が混ざっているが、それが却って詩に独特の魅力を添えていた。シャーリアは目を閉じ、言葉の波に身を任せる。
「ルナ、素敵な詩ね……」
「はい。希望は、羽を持つもの……。今のわたしたちにぴったりかと」
そこへメリルが、はしゃぐような足取りで戻ってきた。朝の見回りで見つけた発見を、今か今かと報告したげな様子だ。
「シャーリア様! 東の廃墟の12階に、新しい鳥の巣があるんです。しかも、今まで見たことのない種類の鳥が」
犬型ロボットは、背中に搭載された立体映像プロジェクターで、巣の様子を投影する。青い斑点のある卵が、枯れ草で作られた巣に静かに横たわっていた。
「それに、瓦礫の隙間から、こんな花も!」
今度は、淡い紫色の花の映像。人類の時代には見られなかった突然変異の新種だろう。
「遺伝子解析をしてみましょうか?」
フローラが、まるで本物の蝶のように花の映像の周りを舞う。その翅から放たれる光が、花の姿を虹色に縁取っていく。
「ありがとう。でも、時にはただ美しいものを美しいと感じるだけでいいのよ」
シャーリアの言葉に、フローラは理解したように光の輝きを変化させた。
上空では、ピピが悠然と旋回している。
「あ、面白い雲! あれは……確かに……」
鳥型ドローンは、自身の高性能な画像認識システムを、遊び心たっぷりに使っている。
「あの雲は、本を読む少女の形です。横顔が、シャーリア様にそっくり」
「ほんとね」
シャーリアは空を見上げ、くすりと笑う。ピピは得意げに、新しい雲を探して飛んでいく。
「あ、今度のは踊るクマです! いいえ、待ってください。風で形が変わって……今は眠る猫になりました」
フローラは、その報告に触発されたように、新たな光の演出を始める。蝶の翅から放たれる光が、空で見つけた動物たちの形を次々と描き出していく。テラスの床に、淡い光の動物園が出現した。
「さて」
シャーリアは立ち上がり、午後の読書の準備を始める。今日の本は、300年前の環境学者が残した手記。表紙は色褪せているが、その内容は今なお輝きを失っていない。
「今日は、第三章から始めましょうか」
機械生命体たちも、それぞれの場所に落ち着く。ルナは足元に、メリルは椅子の横に、フローラは本棚の上に、そしてピピは窓辺に。
「人類は、自然との調和を求め続けた……」
シャーリアは、古びた環境学者の手記を静かに読み上げる。
「しかし、我々の求めた調和とは、真の意味での均衡だったのだろうか。或いは、人類という存在に都合の良い安定に過ぎなかったのではないか……」
最後の一文が、午後の空気に溶けていく。最初に口を開いたのは、ルナだった。
「この文章には、T.S.エリオットの『荒地』を思わせる響きがありますわ。特に、人類の傲慢さを問う部分は、『死者を埋葬する四月』の節を連想させます」
猫型ロボットは、文学作品の記憶を検索しながら、繊細な文章分析を展開していく。
「でも、この著者の問いかけは、もっと実践的な検証が可能かもしれません」
メリルが、尻尾を小さく振りながら発言する。
「たとえば、東地区の運河跡で見つけた生態系の変化は、人類がいなくなった後の自然な調和の一例です。魚類が戻ってきて、水質が改善され、新しい水生植物が繁茂している。これは……」
「ちょっと待って、メリル」
空から、ピピの声が響く。
「その運河の上流で、わたしが観察していた森林地帯の変化と関連があるかもしれない。土壌の流出パターンが、ここ50年で大きく変化していて……」
「なるほど」
フローラが、あたかも本物の蝶のように優雅に舞いながら割り込む。
「わたしのセンサーで検出された花粉の種類も、その変化を裏付けています。特に、在来種と突然変異種の比率が……」
「みなさん」
シャーリアが、微笑みながら手を上げる。
「一つずつ整理しましょう。ルナの文学的な指摘は、著者の心理を理解する上で重要な示唆を与えてくれます。特に、人類の傲慢さについての省察は興味深いわ」
シャーリアは、ページを一枚めくる。日光が、黄ばんだ紙面を優しく照らす。
「そして、メリルとピピの実地観察は、著者の予測の検証になっていますね。人類がいなくなった後の生態系の変化は、皮肉にも著者の仮説の正しさを証明しているのかもしれない」
フローラが、シャーリアの肩に舞い降りる。
「人類が去った後の300年で、わたしたちが観察してきた変化は、新しい調和の形なのでしょうか?」
その問いに、一瞬の沈黙が訪れる。
「それとも」
ルナが、静かに続ける。
「これもまた、別の形の不均衡なのでしょうか。シャーリア様の存在も含めて……」
午後の光が傾きはじめ、影が少しずつ長くなっていく。シャーリアは、本の頁を、そっと撫でた。
「その答えは、きっとまだ見つかっていないわ。でも、こうして考え続けること。それ自体に意味があるのだと思う」
庭から、風が吹き込んでくる。本の頁が、かすかにめくれる音。
「次の章に進みましょうか」
シャーリアが次のページを開くと、機械生命体たちは、また新たな発見への準備を整える。ルナは文学的な記憶を呼び起こし、メリルは観察データを整理し、ピピは新たな視点を探して空を見上げ、フローラは生態系の記録と照らし合わせる準備を始める。
彼らの知的な交わりは、まるで庭に咲く様々な花のよう。それぞれが違う色と形を持ちながら、一つの美しい景色を作り出している。
永遠の時の中で、彼らは学び続ける。人類が残した言葉の意味を、そして、その先にある新たな真実を求めて。
陽射しは次第に傾き、影が長くなっていく。しかし、この穏やかな学びの時間を、誰も急かすことはない。彼らは、永遠の時の中で、ゆっくりと知恵を重ねていけばいいのだから。