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講演録(仮)改め『アウトロ』(タイトル決定!(仮))

タイトルは「アウトロ」。歌が終わって終るまでの後奏のことで、「死」をテーマにする今回のお話にはぴったりなのではないかと思うが、「死」ということは「輪廻」でもあることから、エッシャーの騙し絵的なコード展開を考えなければならないという事情もあって。「アウトロー」の響きもあるのが気に入っている。『風の歌を聴け』だったかに、「歌は終わった。でも音楽はまだ鳴り続けている」みたいな科白があって、それを読んだのはもう何十年も前のことだったけれど、ずっと頭に残っている言葉の一つだ。そのように残っている声は、自分の声ではなくもちろん村上氏の声とも異なっている。
 ところで私がこうして文字を書いているときは、頭のなかで逐一しゃべっている言葉を文字や音声に変換しているという感覚があるのだが、その声は自分の声とは違う。といって全く馴染みのない声というわけでもなく、つねに「誰だ?」と思いながら文を書いているのである。
 「アウトロ」では「音」が重要だ。それは、フランス哲学において「発語」が重要であったようにではない。声は言葉である限りにおいて意味に隷属する、などという観点も今は置いておく。
 「アウトロ」は「音」から始まる。それは、この宇宙が音なき音から始まったことに近似する。ピュタゴラス、ケプラー、ライプニッツ。光が粒子であり波であるとするなら、振動は襞であり波は音でもある。
 音を意味に即応させたがるのは人間の悪癖である。そもそも、人間は意味を性急に要求する。事物を意味というカプセルに封じ込めなければ、シュバルツバルトを生き抜けないと分かっているからだ。
「光あれ」は言葉として発せられたのではない。なぜなら、神は言葉を持たないからだ。言葉に隷属する人間にとって神はロゴスとして顕現するのである。光は波であることから耳でとらえればそれは音である。音は意味を持たない。意味とは言葉であり名前であり比喩でしかないのだ。
 したがって、言葉は常に「間接的」だ。人間自身にとってさえも……

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