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郷倉四季から「さとくら」へ。

 はじめまして、もしくは、こんにちは。

 突然ですが、川端康成文学賞という賞をご存じですか?
 少し前から休止されていたのですが、今年復活して、千葉雅也の「マジックミラー」が選ばれました。

 受賞式がおこなわれ、そこで千葉雅也が「大変嫌な思いをさせられる場面があった。」「この貴重な授賞式を台無しにされるようなこと、同性愛に関するひどく無神経なことがあった。」とツイートしていました。

 その後に「何がLGBTの時代だ、と思う。ぜんぜんですよ、いまだに同性愛表現は抵抗を受けるんです。差別はしてない、という体(てい)での無自覚攻撃。」とも続けています。

 それを読んで思い出したのは、第157回芥川賞の選評にて、宮本輝が温又柔の「真ん中の子どもたち」に対し、

「これは、当事者たちには深刻なアイデンティティーと向き合うテーマかもしれないが、日本人の読み手にとっては対岸の火事であって、同調しにくい。なるほど、そういう問題も起こるのであろうという程度で、他人事を延々と読まされて退屈だった」

 と書いたことでした。
 あくまでこれは「真ん中の子どもたち」という作品に対する評だけれど、あまり質の良い選評とは思えませんでした。
 作家の星野智幸が、宮本輝の選評について「これはもう差別発言」とツイートしてもいます。

 僕は宮本輝の小説は好きだし、こういった発言があったとしても、彼の作品を面白く読んだことは変わらりません。選評に関しても多分、宮本輝なりの素直な気持ちが含まれていたのだろうとは思います。

 そういう場面に出くわしていく中で、僕は違和感を持っていたのですが、うまく言葉にできずにいました。
 その言葉を明確に表してくれたのが、辻田真佐憲の新刊「超空気支配社会」のあらすじで「自由気ままににものを書いて発言する時代は終わったのか?」とあって、これだと思ったんです。

 少なくとも2010年代は「自由気ままににものを書いて発言する時代」だったんですよね。そして、そのテンションで今も多くの人が無神経な発言をして良いと思っているんですよね。

 自分が感じたことなんだから、自分が書きたいことなんだから、それには意味や価値がある。
 なんとなく、そう思っている空気があって、もちろんそこに意味や価値が附与する瞬間を僕は否定しません。
 実際に、意味があって価値ある瞬間もあります。

 ただ、自由にはどうしたって責任は付き纏います。
 千葉雅也のツイートに戻りますと、以下のような内容がツイートされていました。

 ――同性愛なんて存在してると認めたくないという否認は、いまだに健在です。だから僕の小説を無視する人がおり、あるいは、一部だけ読んで、ゲイ文脈は読まないといったことも起こる。それは「読みの自由」ではない。暴力です。

 自由は、ある時、暴力になります。
 暴力となってしまった時、自由に振る舞っていた側としては謝る他ありません。謝って、間違いを正していくしかないけれど、僕は自分が何かを正しく判断できている気がしません。

 それは傷つけてしまった側に大変失礼な態度だろうと思うんです。
 僕は世の中のあらゆるものを、可能な限り正しく判断できる人間になりたい。そうなれば他人を傷つけずに済む、という訳ではありませんが、自分の誤りを正確に把握することはできます。

 ここまで書いてなんですが、僕が書いてきたことで誰かを傷つけた、という訳ではありません。少なくとも面と向かって、あるいはコメントで、そう言った言葉を頂いたことはありません。
 有難いことです。

 だから、今のままで良いとは思いません。
 先日、亡くなられた立花隆のゼミ生に伝えたメッセージという記事を読みました。
 その中で、以下のような文章がありました。

 ――十年選手になってはじめて、自分が考えていることが正しい方向か否かを自分なりに正しく判断できるようになります。自分は一人前の人間になったという自覚を持てるようになるのです。年齢でおよそ30代前半というところでしょう。そのあたりから、若手呼ばわりされていた人間が中堅と呼ばれるようになるわけです。

 30歳になって、4ヶ月近くが経過しました。
 まだまだ、一人前の人間になれる兆しもありませんが、「自分が考えていることが正しい方向か否かを自分なりに正しく判断できるようになり」たいとは思います。

 その為に僕は「郷倉四季」と名乗るのをやめようと思います。
 郷倉四季は二十代の僕が作って、狭い視野と考えのもとに成立していました。

 すごく簡単に言えば、岩田屋町という町を舞台にした小説を書く為のペンネームとして郷倉四季を名乗っていたんです。

 別に郷倉四季名義で岩田屋町とは別の小説を書いても良いのかな、と考えたんですが、少し広い視野に立ってみると、色々と思うところもあったので、名乗るのをやめることにしました。

 とはいえ、じゃあカクヨムのアカウントを消します、と言う訳ではありません。引き続き、「郷倉四季」名義のアカウントは存在し続けます。

 ただ、今ここを一つの区切りとして、僕は郷倉四季と名乗るのをやめます。
 これまで、郷倉四季の小説やエッセイを読んで下さった方、本当にありがとうございました。
 あくまで僕の区切りなので、読んで下さる方々は僕を郷倉四季と呼んでいただいて問題ありませんので、ややこしいですがご理解いただければ幸いです。

 僕自身は今後、便宜上「さとくら」と名乗ろうと思います。noteでもこの名前ですし。

 がっつり小説を書く時や投稿する時はどうするかは考え中です。今年の春に投稿した時は「志木沢ゆきと」にしたんです。

 郷倉四季の次の名前だし、四季(しき)をもらって志木(しき)沢(ざわ)にして、下の名前は「矢山行人(ややまゆきと)」から拝借した訳ですが……。

 君はこれを名乗ったら良いよって言う名前があったら、ぜひ教えてください。

 という感じで、今後ともよろしくお願い致します。

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