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小説家はマゾヒスト?






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 あなたが見ているのは黒い四角です。それは目の前にあるのではありません。それは遥か遠く、遥か下方にあります。
 あなたがその四角に興味を持つ時、重力はその使命を思い出し、あなたもまた重力に応じ、ただ落ちていきます。ここは形而上の世界ですが、あなたの想像力がある閾値を超えているのであれば、息が詰まらせる見えない膜となった大気圧や、慣性によって反対に押し上げられる臓腑から、恐怖を形作ることも可能かもしれません。
 あなたの視界から余白が消え去り、黒一色となって久しく、なおも落ち続けている時、あなたは漸く気が付くのです。
 黒い四角は、近づくことで黒い一面となり、さらに近づくことで文字の羅列であることに気付く。
 その文字はある男、何某の人生を綴ったものです。そしてあなたが見ている傍で、今もなおその先端は拡大の一途を辿っていますが、それをあなたが見る事はおそらくないでしょう。
 あなたは文字曲面に着地します。曲面ですから地平線があり、全周の地平線はどこも文字です。海も山も空もない。
 この世界では歩くことは読むことに相当します。一歩はおよそ千字から三千字を必要とします。
 あなたは試しに二三歩歩いて見ますが、それだけで止めるでしょう。面白味もなく、そしてこれから歩き続けても、何も得る物がないと悟るからです。
 この世界にあなたの他にも動く者がいます。何某です。何某は飛ぶように、軽やかにあっちへ行っては、こっちへ来てと、そんな調子で動き回ります。歩いているのではありません。時にはテレポーテーションし、時には横跳びをして、手にしたクリップボードに何をか書き留めていくのです。
 何某は小説を書いていました。四角の中を飛び回り、そこから集めた文字を使って小説を書いているのです。
 何某は四角を抜け出して小説を書こうとはしません。精々、四角の境界線まで行って、そこから両腕を伸ばして触れた文字を活用する程度です。
 かつては、のほほんと四角の外を歩いたこともありました。一歩踏み出して、そのままの勢いで二歩目を出す。てくてくと進んで振り返ると、四角から伸びる一本のか細い文字列がありました。四角へ戻る道中、文字列の上を歩くとがっかりしました。実に詰まらない文字列だったのです。
 何某は考えました。どうすれば四角の外側で小説を書くことができるのか。一つの仮説が生まれました。それは、四角の外側を耕して、そこに文字列ではなく、文字曲面を拡充させれば、それは小説となるのではないか、と。
 何某は耕そうと決意し、慎重に四角から一歩踏み出します。しかし、ここは曲面ですから、機を抜くと、ままよと二歩、三歩と文字列を作ってしまいます。であれば、今度はこの文字列を起線に面を耕そうと決めます。そうして文字列は分岐しては合流してと、葉脈のような網目状文字構造が出来上がりますが、まだ面には遠いのです。
 何某は諦めました。葉脈を作るだけで、気力も体力も、時間も使い切ってしまったのです。一番は気力を使い切ってしまいました。後の二つは言い訳のようなものです。
 何某は葉脈を基に小説を書きます。いつかは葉脈を面にしなければ、と思いながら。いつかは葉脈が四角に吸収されて、新たな面になってくれればいいのにと祈りながら。
 でも、やっぱり。四角を基に小説を書いた方が、納得のいく仕上がりになります。それに、まだ四角の外の歩き方が覚束ないのです。

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