「ところで……ムッシュ・アキラ」
もやし焼きを食べ終えると、義父の火垂(ほたる)さんがにこやかに話しかけてきた。
「tu(キミ)、お金に困ってるんじゃないのか?」
さすが貧乏神さんのお父さんだ。いろいろとお見通しらしい。
ボクは正直にコクリとうなづいた。
「Oui(やっぱり)! 我が家でも『もやし焼き』はSOSのサインみたいなものでね。ピンときたよ、もうおかずを買うお金もないってね」
なるほど。
「どれ、ここは父親として一肌脱ぐとしよう。それにtoi(キミたち)の結婚祝いもまだだったしな」
「え? そんなお気を使わなくても……」
「なに、これでも芸術家の端くれ。ボロは着てても心は小錦ってね」
それはお相撲さんでは……とは思ったが、海外生活が長いとそんなものなのかもしれない。
少なくとも、お義父さんにはそんな雰囲気があった。
そういってなにやらカバンを開け、小さなカンバスと筆と油絵具をとりだした。
「そうだな……」
お父さんは指先でフレームを作り、部屋の中をあちこち見まわす。
おそらく窓からの光線の具合とかレイアウトとか、そんな感じを見ているのだろうか?
それからフレームを僕と貧乏神さんに合わせ、うんうんとうなづいた。
「よし、窓際にソファーに移動させて」
「はい」
二人して窓際にソファーを寄せた。
「いいね。それじゃ二人とも服を脱いで。もちろん下着もだよ」
はぁ?!
もちろん二人とも目が点になる。
いきなり何を言ってんだこのオッサン?
とは思ったが、お義父さんの目は芸術家の目、そのものだった。平たくいえば大真面目だった。
(ついでに言うと、平九郎さんの姿がパっと浮かび上がった)
と、ここで静かにつむぎさんが立ち上がり、履いていたスリッパを軽やかに手に持ち替え、スパーンと火垂さんの頭を叩いた。
(ついで言うと、平九郎さんの姿が寂しそうに消えていった)
「oh! フランスのジョークです!」
「お父さん、そういうのやめてっていつも言ってるでしよ?」
「desole(ごめんなさい)! ほら、toi(キミたち)を和ませようとね、ハハハ」
とはいえ笑っているのはお義父さん一人。それで気まずくなったのか、ササッと筆を走らせはじめた。
そうなるとさすが芸術家。
内面まで見通すような鋭い視線を向け、熟練のピアニストのように絵筆をカンバスに走らせる。
パレットにいくつも絵の具を絞り出し、一筆一筆を迷いなく塗り付け、時に会心の笑みを浮かべている。
「やっぱりすごいな、本物の芸術家って……」
思わずつぶやきが漏れて、ついお義父さんの鋭い眼光に射すくめられてしまう。
そう。じっとしていなきゃ……僕もつむぎさんもソファで手を握り、じっと指示された姿勢のままで完成を待つ。
「できた。parfait、完璧だ」
お義父さんが静かに筆を置いた。
なんだか後光がさしているように見える。
室内にはいつの間にか夕暮れが忍び寄り、最後の残光のようなオレンジ色がみちている。
ついでにいうと遠くでカラスも鳴いていた。
どんなすごいものが出来上がったんだろう?
実は僕は高校の時に美術部だったのだ。
たくさんの絵を見てきたし、それ以上にたくさんの絵を描いてきたのだ。
卒業してからは一切描かなくなってしまったけれど、いまでも絵が完成した時の感動は覚えている。
それが自分の絵であっても、他人の描いた絵であっても。
「タイトルは【Mariage】、結婚という意味だよ」
お義父さんがゆっくりと完成した絵を僕らに見せる。
そして僕たちは固まった。
そこに描かれていたのは、
あんなにも一生懸命描いていたのは、
パースも構図も、なんなら僕とつむぎさんの姿も、すべてを無視した、線描きの二つの奇妙な生物と四角い枠のソファーらしきものだった。
僕の中の何かが切れた。
「つむぎさん、スリッパ貸して」
「はい。思い切りやっちゃってください」
僕はつむぎさんからスリッパを受け取ると、スタスタっとお義父さんに近づき、スパーンと頭を叩いたのだった。