怪異譚、本日の更新を目指しておりましたが、急遽仕事関係の書類処理が入りまして、ま~間に合いません。なんてことだろう。
提出漏れしていた己が悪いのであった……。
来週半ばにはいい加減更新したいところ。頭の中にあるものがアウトプットする余裕の無い生活は荒むというものです。文字に出力するということは、時間がかかりますね!
悲しいので、春秋戦国祭というツイッタ(X)タグ祭にあげた絵でも置いておきます。春秋五覇(だけど五人以上いる)です。
拙作、『父の仇に許された』に登場しているのは、晋文公、楚成王、秦穆公、楚荘王。斉桓公は設定説明のみで登場しております。楚成王を五覇に数えることはほとんど無いのですが、覇者時代に生きた名君としてあげる人もおられます。
覇者というのは、日本で言うと征夷大将軍に近いものがあります。が、征夷大将軍は官職(元は東北征服の軍事責任者)であり、朝廷が定めたものですが、覇者は斉桓公が周王室を中原以外の民族から守るため、仮の盟主となって諸侯をまとめるために自称し周に認められた、ふわっとした呼称です。
そう、覇者というものは本来、対外戦争、蛮族から中原を守るための軍事行動を目的とした国際連盟のトップだったわけです。
が。晋がみごとに曲げた。周室を棚上げして、諸侯を支配するシステムに変質させた。虎狼の国。
その後、楚荘王が覇者として一時君臨しますが、これは『諸侯を傘下とする宗主国システム』のみを利用したものです。その後、晋と楚の間で覇権争いが続き、覇者という言葉は形骸化します。
春秋五覇というのは、その覇者五人を表していますが、確定している斉桓公と晋文公以外は諸説あり、もっといえば、後世の人間が『五覇って響きがいいよね☆』と勝手に決めたことで、当時にはありません。
候補として必ず上がる楚荘王は覇者である晋に勝ったから覇者扱いですが、ご本人は鼻でせせらわらうでしょう。彼は南方からの征服者です。
それぞれ、なかなかにこじつけがましい感じですので、ご興味あるかたは一度調べてみて下さい。
競馬調なのは、趣味ですし、五着まで掲示板でありますので。