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更新、約一ヵ月半以上ぶりです

更新無理でしたと言い訳したのが、先月初めでしたが、そこから約一ヵ月でございます。

ようやく、更新しました、続きを今書いております。明日には次話公開したいですし、できれば最後まで書いていきたい。

話に詰まったなどでなく、時間とやる気を見失い、探すのに一苦労でした。

今回、賢しらでかわいくなくて、愚かな女官が出てきました。彼女のバックボーンを具体的に書いていないのは、そこは話に重要ではないですし、全て捏造だからです。

さて。その捏造。彼女の字は先姫です。はい、先氏の傍系です。そういう架空の人物を設定しております。

趙武の父、趙朔が(史記ベースですと)族滅されたのではないかと思われる後、『父の仇に許された』終盤に出てきた先縠は赤狄と通じ、晋を攻めようとしました。

先縠は中軍の佐。先年の楚戦で敗北のきっかけを作っており、立場が悪くなっていたのかもしれません。また、先氏は趙盾時代に威勢が弱くなり焦っていたのでしょう。

当時、晋公と六卿の主権争いが表面化していた時です。先縠は、景公(郤缺が最後に仕えた晋公ですね)と緊張状態にあった可能性は考えられます。

そのようなわけで、唐突に赤狄に通じ、まあ、そのため族滅されました。

先氏は重耳の父、献公詭諸から名がある名家のひとつで、おそらく晋公室から分かれた氏族でしょう。先軫というたぐいまれな戦争屋を出し、誉れ高い一族ともいえます。

しかし、まあ亡んじゃいました。しかも、自業自得です。狄と通じて国に害をなそうとした汚名とともに、自爆しました。文公遺臣のひとつが、こうしてまた消えていきました。

趙武との対比も含め、この先氏の傍系の誰かがいた、というていで、お出ししました。

彼女はしばらく『復権して卿の嫁になる』という夢想を現実と信じて、一身に研鑽しておりました。結局、現実は一家離散し、母に売られました。お代は羊の皮一枚なので中々に高い取引だったのではないでしょうか。このあたりは彼女の人生で士匄には関係無いので話にからみません。まあ、楽屋裏ということで記載しました。この程度の経歴がないとさすがに私もキャラ動かせません。

この時代は、どのような身分であっても、運が悪ければ奴隷になり売られます。重耳の弟である恵公夷吾(郤芮が仕えた晋公ですね)の娘は秦ではしためとなり一生を終えたとされてます。

晋女(先女)もそれがわかっていたわけですが、故国に戻ってしまったために、心にヒビが割れてしまったのでしょう。幸福の象徴である過去へ、惨めな己が立つというのは、まあ辛いですね。

更新ができなかった理由のひとつに、創作より歴史オタの掘りたいブームきていたのも原因です。

今、ほぼミリシラだった三国志を掘っています。
ほとんどの人に『中国史をしていて三国志を知らないのか』と驚かれるのですが、知りません。

ここまで有名な時代ですから受動喫煙で、有名な逸話は知っていますが、そもそも黄巾党の乱、反董卓運動まではわかりますが、そこからいきなり群雄割拠です。

仮にも中央集権国家に地方統治を任された地方官が、いきなり私兵を使って自立して好き勝手します。なんだコレ? って三国志好きの人がならないのは、みなさん三国志演義でふわっと流されているためでしょう。原作でなくとも、吉川英治、横山光輝という金字塔、最近なら北方謙三。

私は三国志演義の劉備が受け付けない人間です。はっきり言うと生理的嫌悪感があります。ただの好みの問題です。子供の頃、水滸伝を読んだときに、宋江がマジむりきしょいってなったので、そういう好みです。

たかが、メディアミックスでアレンジされたキャラクターが気持ち悪いからといって、時代に興味がないわけではなく、色んなアプローチをしているのですが、三国志演義というどでかいメディアミックスを『読んでいる前提』という本や資料が極めて多く、かゆいところに手が届かない通史を読んだり、人物はわかるけど流れがぶつ切りの正史を読んで苛々しては撤退する日々です。

今度こそ、

圧迫され続けた教養人たちが作り上げた九品官人法の功罪
董卓の質の悪い貨幣大量鋳造による悪性インフレの果て
中国史上最も餓死者が多いという説の裏取り(死者が多いならわかる、餓死者という死因特定が気になる)
群雄割拠によるインフラ壊滅がどうなったのか
この戦乱の世に文化の革命といえる建安文学の諸々

あたりはすっきりさせたい。

三国志は乱世です。そんな乱世にその後の中国文学の方向性を決定づける文学革命が起きるというのは、とても珍しい。戦乱期の文化革命といえばルネサンスを思い出すのですが、それとは違うものを感じる。新たな文学の発信が、曹操というまさに戦乱の中心者で、その息子のサロンから生まれ、権力闘争を交えつつも一つの完成形を得た。

曹操は法家に位置するとも言われています。儒家系の陳羣が作ったとされる九品官人法は、ざっと見ただけでも法家的発想が盛り込まれており、曹操陣営の文官として陳羣は主君の期待に応えたのでは無いでしょうか。

南方シルクロード海洋線が確立されたのもこの時期です。呉が地縁慣習系のふわふわな国家のわりに地盤が強いのは、こういった経済力があったのかもしれません。

そういった、手作りのような奇跡のような変革の次にくる五胡十六国時代、南北朝。この一連の戦乱を『華やかな暗黒時代』と評した学者がいるそうで、とても素敵な表現だと思います。

その華麗な闇の入り口が見つからず、ウロウロしております。

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