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言い訳と実際のところ。

 えー。いいわけです。

 拙作連載、父の仇に許された、青春怪異譚、今連載中の掌編

 郤缺、士匄、そして荀罃ときまして。

 父親へ重すぎやしないかい? と思う人もおられるかと気づきました。

 郤缺、士匄、荀罃それぞれ、父親のことを史書で言及しておりません。

 ただ、郤缺はなぜか父親の旧領て数年間潜んでたようで、なんでや、お前……という疑問からああいった父親に重い人になりました。

 士匄は自分の好きなものや大切なものに熱い人として書いてます。重いというより好きすぎると暑苦しいんですね。

 荀罃の場合ですが、父親が荀罃を愛しんでいたのが史書に書いてあります。

『甚愛此子』はなはだ、この子を愛す。

 って書いてある……。左伝(成公二年)
 これは、楚の巫臣(青春怪異譚の閑話2参考)が荀首を評し、荀罃は愛息であるというように発言したものです。

 楚にまで親バカが伝わってるんか〜!

 荀罃の軍人気質は父親譲りというところがあるとおもうのですが、父親に憧れたのもあるんじゃないかな? と思い、少々強火の人になりました。

 当時、父親への孝は君主への忠を超えるとこあるので、当然かもしれないのですが、作品三連続変なファザコン来ているので言い訳したくなりました。

 荀罃は父親を尊敬しているタイプのまっすぐさで、ファザコンというのがはばかられます。

 士匄は父親に認められたい! と駄々こねてるので、これはファザコンです。親離れできてない。

 郤缺は父親にとって誇らしい息子になりたいというものと、父親と違う価値観を持つ後ろめたさと、父親のあれはダメだ〜て冷静にわかってるものがある、大変屈折したファザコンでありエディプスコンプレックスです。めんどくさ……欒枝さんに良い子良い子してもらってて……

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