• 歴史・時代・伝奇
  • 恋愛

ゴメン絵*青春怪異譚更新できず

ちょっと文章を書く脳みそでなく、頭パーンして無理でした。この范武子らくがきも、昨日までは輪郭線さえ書けないほど、脳みその処理能力落ちてました。
明後日くらいには更新したい。

2件のコメント

  • どうか無理せず、ご自身のペースで更新していただきたく。

    ※以下コメントするのを我慢できませんでした
    ( ゚∀゚)o彡°范武子!范武子!
    【だから落ち着け】

    そうなんですよねー、士会が正卿やってたのって、正味一年程度しかないんですよね。その一年程度でどんだけの成果出してんのかと。
    軍を率いても、あの楚荘王をボコれるとか……。
    息子や孫はプレッシャー半端じゃなかったろうな、なんて考えたものでしたが、ここの士匄なら心配無用ですね(笑)
    (長文コメ失礼いたしました)
  • ありがとうございます。無理せず楽しく書いていきます。

    ところで、私よりも士会ですよ!
    『法制整え国内から反社会的賊は隣国(秦では?)に逃げた』
    だけでも、すごいね!てなるのですが
    『ちなみに一年です』
    と付け加えると、みんな息を呑みますね。意味がわからないですね。楚荘王をボコった鄭救援戦の詳細がわからないのが惜しまれます。

    士燮はやはりプレッシャーあり、だからこそ丁寧な仕事をしたと思います。が、拙作士匄は無さそうですね!

    士匄、紀元前565年(襄公八年)に魯との外交で文公が覇者のときのネタを出されて

    『城濮の戦いの後に文公が周王に拝謁したときの介添の血筋がわたしです』

    などと即興で返したくらいには、プレッシャーないようです(士会は車右のときに重耳の周王拝謁を補佐してしたことがここで判明するとんでもない伏線回収でした)

    士会と士匄のネタとして外せないこれをこの気に熱くコメントさせていただきました(笑)
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する