僕は、「病む」。
高校生になってから、だろうか。
Twitterを始めてから、だろうか。
どうだろう。友達がいなくなってから、なのだろうか。
好きなものから遠ざかったから、かもしれない。
もう、もうもうもうもうやめてくれ。
人間なんてすぐには変われないんだからさ。
高校生は僕の「黒歴史」ならば、もう変えていかなきゃならない。
僕は生きたいように、生きる。
幸せだと思う方向に、生きる。
人から好かれようとはしない。
僕が自分から話しかけて、上手くいったやつはいない。
やってきたチャンスを摑んで、美しい人に触れただけ。ふれられただけ。
なりたいものは、見つかった。
僕が「病む」。それはそれはとても醜い理由。
自分が、嫌いだから。
でも、ふれられないんだ。誰にも。自分にさえも。
いや、自分ってやつが一番遠くにいるのかもしれない。
それを、僕は知りたい。
宇宙の彼方とか、時空の隅っこよりも、もっと遠く。そこに僕はいる。
一番遠い場所に、僕はいる。
それに、近づく手段。
今の仮初の僕が、最も遠くへ行く手段。
芸術だ。
芸術。
人生は、芸術を模倣する。
また、ここに行き着いた。
だからさ、終着点なんだろう。
でもこれは指針であって、どんな路かは教えてくれない。
そして、どんな路かと問うことは一番馬鹿げている。
仮にそれがわかったとして、安心するか?
どんなにいい結果だろうと、悪い結果だろうと、変えようとするだろう?
わかりきった正解にだって、反抗するだろう?
才能なんかなくたって、やってみるだろう?
僕に才能があるかもしれない。そんなこと言ってやるんじゃない。
天才なんて、ほぼいない。神から与えられた人なんて、ほっとんどいない。
みんな凡人なんだから、君も凡人らしく頑張ろうよ。
とか言ってたらだめだ。
だってさ、そういうってことは「天才」は他者評価なんだろ?
誰かから認めてもらえば「天才」なんだろ??
じゃあさ、お前が天才なわけないじゃん。
天才ってさ。自分で決めるもんだろ。才能とかいう言葉は嫌いだけど。
人は、自分がなりたかったものの能力がないときに、「才能」という言葉を使いたがる。自分勝手だよな。みんな、自分勝手なんだよな。
はーあ。自分の事を天才だと思えって、そういうことじゃない。でも、結局そういうことなのかなって思うよ。何か、譲れないものがないと強くはなれない。人の上に立つことはできない。それは、自尊心。と言ってもいいのかもしれない。自分は天才じゃありませんよって言ってる人だって、自分がやっている分野については誰にも負けないって自信はあるんだよ。少なくともね。
努力するのも、才能か?
人の痛みを知ることができるのも、悩めるのも、才能か?
うるさいんだよ才能だとか天才だとか。ふれられない
例え実在したとしても、ほんとうに遠く。遥か彼方にいる存在。
それはさ、「自分」を見つけた人たちってことなんだよ?
わかるか? わからないだろうな。
だって今の僕は「自分」がいる方向さえもわからないんだから。
これは僕の空想。
みんなみんな、「自分」を持っているんだ。確かに、ある。
そして、「自分」ってやつは、心に宿っているんだ。
僕らが受精卵で、胚で、胎児で、幼児であるときは、まだ近くにいるの。
でもさ、肉体が成長して、精神も成長していく中で、「自分」はうやむやになっていく。遠くに行ってしまう。
肉体と精神は離れていって、「自分」は居場所をなくす。
まるで親が離婚したときの、小学一年生のよう。
わからないんだよ。どうすればいいか。「自分」だって迷ってしまう。
肉体に行くか、精神に行くか。それとも……。
「自分探し」が必要な人もいれば、必要じゃない人もいる。
大体の人は、「自分」っていうやつが肉体と精神の中心にいるんだ。
だから、どちらにも振り切らないで楽しく生きていたような奴らがふと立ち止まるきっかけになったりするんだろう。
「自分」の居場所がわかっていて、ちゃんと見つけられた人、それすなわち天才だ。天才ってさ、神様が何かを与えたんじゃなくて、人間の最も尊い姿だと思うの。もう「自分」がそこにいるから、「自分」のない空っぽな人間よりもできるんだよ。当たり前じゃん。完璧な人と、不完全な未完成な欠けている人、どちらが強いのかはすぐわかる。
そして、たまーーに、「自分」ってやつが何処か遠くへ行ってしまうやつらが現れる。その一人が、僕だと思っている。いや、僕だ。だからわかる。
こういうタイプの人間は、生きづらい。当たり前だよな。
精神の方向にも、肉体の方向にも「自分」を見つけられない。
ほんとうに、わからないんだ。僕。
何処を探していいかも、わからないんだ。
だから、こんな人間がすることは一つしかないんだよ。
探せ。自分を、探せ。
今までは、探し方を探していた。
それでも、知ったことがあるから書き留めておこう。
①空の青さを知りなさい。
②何者にもなれないんじゃなくて、何者にでもなれるということ。
①について、先に示した僕のようなタイプを、「自己不明型」ということにしよう。この自己不明型のタイプは、他人と比べがちなのである。でも、先述の通り、比べる自分さえあやふやで、しかもものすごく遠くにいるんだからわかるわけないじゃん。やめろ。人を知るな。幸せになりたいならね。人に無関心になりなさい。大体、遠くを目指すもの目指すべきものにとって、他人は邪魔だ。孤独が友達だ。そこからじゃなきゃ、見つけられない。井の中の蛙大海を知らず。されど、空の青さを知る。
②について、もうわかるだろうけど、実は、自分ってやつはどこにでもいるんだ。今の仮初の自分を中心にして、でっかい球を作ったとき、その平面上にいる。だから、恐れるな。どんな失敗したって、遠いけれど、「自分」はいるからさ。
間違っても、動かない。ということだけはやめて。
ほんとうに。
生きて。
生きたい自分を、生きて。
妥協しないで。
少しも逃げようとしないで。
未来繋げて。
僕と言う作品を妥協しちゃだめだろ。
別に幸せじゃなくていい。
幸せになんてなるな。
もっとも遠いところに行け。
不幸になれ。
「普通」の人間なんかと同じになるな。
美しさって、ほんとうに儚くて。でもさ、きっと優しいんだよ。ふれられないけれど。