そういえば、2月9日にヨルシカのライブに行った。
行ったら日記にしよう。なんて思っていたけど、なんとなく言葉が生まれてこなかったから、そのままにしておいた。
比較衡量という営みは大っ嫌いなんだけど(そういえば、最近『比較幸量』という題の絵を描いてみた。皮肉を込めて。)、正直期待外れだった。
何故だろうか。芸術と謳われ、何だかんだ評価は高いみたいだから僕が間違っているだけなのかもしれない。
ヨルシカのn-bunaさんは文学に長けていて、読書経験は僕と似通っていたからとても大好きだ。今回のライブは朗読劇のような形で、別れた男女の話であった。まあ、こんなことつらつら話しても多くの人は興味ないだろうけど、僕が話たいからいいこととする。それで、技術的には素晴らしいのだ。舌を巻くほどに。伏線を散りばめたミスディレクションも秀逸だったし、何より表現が美しい。
じゃあ何が不満なのかって。それは、僕が彼を勝手に祀り上げてしまったから。崇拝していたから。生きる指針であったから。
作品の美しさは人に依存するか?
どうだろうか。
ピカソだから価値がある。わかりやすい指針だ。
でも僕が欲しいのはそういうものじゃない。
作品至上主義であれ。
本を人で選ぶな。あとがきは読むな。作品の美しさだけを見ろ。
そういう生き方が美しいとは思っていたけれど、思えば僕が読書にのめり込むようになった衝撃は『こども電車』で、それ以来小学生時代は岡田潤の本を読み漁ったし(学校の図書室だけでは飽き足らず、図書館でも飽き足らず、少ないお小遣いを使って買ったほどに。)、中学時代は恩田陸や三浦しをん。高校時代は川端康成や宮沢賢治あたりだろうか。あと、ヨルシカだ。
結局今どきは「タイパ」とかいう言葉もあるし、つまらない本を読んで後悔したくないって思いも人間共通にあるんだろうな。
あれーーー。言いたいことがわからなくなった。バカだ。あほだ。ドジ間抜け。
なんだかんださ、
【作品の美しさだけを見ろ! そして比べるな!】
それに尽きる。
矛盾か? いやそんなことはない。
要するに、相対的な視点じゃなくて、絶対的なそれを持って作品に向き合おうってこと。
あーあ。こんなこと言ってるの負け組だからだ。
嫉妬だ。そうだ嫉妬なんだ。僕の憧れがn-bunaで。それになれないから批判するんだ。作品を見ていないんだ。バカらしい。醜い負け犬。
文句垂れてないで努力してみろよ。止まってる暇なんてお前にないんだぞ。
憧れと嫉妬は紙一重だ。それなのに、こうも違うんだから……。