この作品は、宮沢賢治の『税務署長の冒険』を読んだことから生まれました。
明治の時代、酒税は国の財政を支える大きな税収でした。その時代に、自家用酒の製造は禁止されました。
では、それから百年以上が経った現在、家庭で自分たちが飲む酒を造ることまで、なぜ国家の免許が必要なのだろう。
そんな素朴な疑問から、この話を書き始めました。
ただ、私は「だから密造酒を造ってよい」と言いたかったわけではありません。
白樺沢村の人々も、自分たちが正しいとは言いません。
「私たちは、正しいから造っているのではありません。おかしいと思う制度に、従わずに造っているのです。」
この一言が、この作品の中心です。
そしてもう一つ考えたのが、「酒を造ったのは誰なのか」ということでした。
米を作った人。麹を入れた人。水を入れた人。種醪を渡した人。温度を管理した機械。条件を配信したネットワーク。
酒造りは、本来一人ではできません。
それを極端なところまで分解したら、「製造者」というものはどこに存在するのだろう。
さらに、その造り方そのものが情報として日本中へ広がったら、税務署長はいったい何を押収すればいいのだろう。
そんなことを考えながら書きました。
法律には法律の理屈があります。
村人には村人の理屈があります。
どちらが正しいのかは、読んだ方にお任せします。
ただし、田代税務署長が六十一杯も飲む必要があったかどうかについては、たぶん本人にも説明できないと思います。
最後に。
百年以上前に『税務署長の冒険』を書いた宮沢賢治に、あらためて敬意を込めて。
濃尾