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衝動と自制心

「私が書いたコイツを読んでください」と、直接一個人に訴えたい時ってのがたまに訪れては、「アカンアカン、それは自重せにゃ」と思いとどまる訳です。

そう訴えたい相手は、例えばコメントを入れて下さった読者さんだったり、友人だったり、ひどい時はこちらが一方的に知ってるだけの有名人だったりします。

我ながら、その幼い衝動に気付いては『こじらせてるなー』と反省しています。
私の書いたものを読んで『面白かったです』とコメントを入れて下さった方に『こっちも読んでみてよ!』的な返信をしてしまう事は、たまにあります。
でも、読むという能動的行為は自発的なレジャーである場合は軽いものですが、他者に要求されると途端に重くめんどくさい行為になってしまいます。

なので、個人一人に向けた『これ、読んでみてよ!』という発信は、大抵逆効果になるんですね。
自分一人に向けられた『読んでみてよ!』は楽しいレジャーへのいざないにはなりにくく、仕事を押し付けられた感、タスクが増えた感が無意識下でのストレスになりやすいものって気がします。

『これ、読んでみてよ!』を、一個人に向けたものにするのは悪手。それは、結構、どんな場合でも。
私も徹底は出来ていませんが、相手にタスクを負わせるような言動には気を付けなきゃと思っています。

読書というものが楽しいものである為には、自発的行為である事、読もうとしているその作品にそもそもネガティブイメージを持っていない事、この二点がきっと大切で。

自分が書いたものを誰かに楽しく読んでもらう為には、その読書が読者にとって自発的である事と、自分が書いた物語に読書体験の邪魔になるネガティブイメージがない事の二つが必要なのだろうと思う訳です。

だから、多くの読者に読まれる為の努力って、ことごとく遠回りで、結果がすぐに出るものってないんでしょうね。
王道の努力はきっと、大きなコンテストに参加して、そこでの結果を目指す事でしょう。
カクヨムでの努力はキャッチコピーとタイトルに工夫を凝らすことだと言う人は多いです。それはたぶん、正しいのでしょう。

でも、読者にとって楽しいレジャーとして認識されるカクヨムでのキッカケって、作者以外の人が書いたキャッチコピーやレビューが大きいなと思うんですね。

ここのところ、有難い事に、いくつかの物語にレビューを頂く事が続きました。すると、その書いて下さったレビューをキッカケにPVがグッと伸びたんですね。本当に嬉しいです。

ほんでもって、自分が積極的にレビューを書いていると、レビューを書いてもらえる機会に恵まれる……、そんな因果があるようにも感じるんですね。それは、決してレビューを書き合うという直接的な相互扶助ではなく。
『この人にレビューを書かれたから、この人にレビューを返そう』じゃない因果があるような気がします。

カクヨムのプログラム的にもレビューを書けば書くほどレビューを書かれる機会を得やすいアルゴリズムが組んである可能性があるかも知れません。

結果はすぐについて来ない、それが読まれる為の努力の真理ではありますが、レビューを書くと不思議とレビューが書かれるというのを私はなんとなく感じていまして。

レビューを書くのはいいことづくめかも知れないな、なんて事も思います。
なにせ、そこでは他者の作品を読み解く読解力と、レビューを書く時のまとめ力と、いい感じのキャッチコピーを生み出す発想力が育まれますからね。それらは今後の自分の作品の糧になる。

ちなみに私が直近で書いたレビューはこちらです。
https://kakuyomu.jp/users/norikyo/review_comments
『レビュー書いてもらったからレビューを書き返す』というスタンスからは遠いトコロで私は生きていますが、『うーっわ!なにこの傑作!この作品の素晴らしさは今のところ、見合った評価を得てないぞ!レビュー書かなきゃ!』って衝動には素直に従ってレビューを書いています。

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