レビューかきてぇな思ってた作品のレビュー書いた。
作品の良さがわかるレビューは既にいくつもついてるし、俺の文章力で何書いてもなぁ……思ってたんだが
全く別件で友人に 「汚ねぇ人間書くだけなら楽だけど大衆に受ける娯楽にするのは難しいし、その点文芸ですと言い張れば、すげー気楽なんだよな。それなら俺でもできる」と愚痴を溢してしまい
文芸を馬鹿にしてるわけでなく、文芸わなびー言い張るだけなら俺でもできるって意図だったんだが
そのあと風呂入って「なんて馬鹿な事を言ったんだ」と自己嫌悪に陥りそうになって。それをちゃんと書いてエンタメになってるやつがあるじゃねぇか、読んだばかりじゃねーか! と思って。
そう。人の複雑さとか不完全さとかクソさとか書くだけならワナビでもできる。でも、それをちゃんといい意味で読者を上手く手玉にとって、安易に「考えさせる作品」とかに終わらせないで、独りよがりではない娯楽に昇華するとなると段違いに難しくなる。
もちろん、読まれている小説の殆どはこれを最低要件としてクリアしているのだろうが。
悩んだ。それがディ・ア・レ・ストの良さなのか、というとおそらくそこではない。これは、作品ではなく創作の姿勢に関する事だからだ。ゲームのレビューを書くのに、プログラマーの技術に触れるようなものだ。レビューを読んだ人に「何を当たり前のことを」と思われる危険性さえある。
それに、こういう切り口のレビューを書くとなると、暗黙にそれが出来ていない作品の存在を示唆して比較するようなニュアンスになりかねない。俺にその気がなくても読む人はそう取る可能性がある。人に何かを勧めるのに、他を下げるのは嫌いだから、クッソ悩んだ。
俺は読者感想文とかの「作者の意図を考えましょう」みたいのもクソくらえだと思ってる人間だし。基本的に学が無くて不勉強なのだ。
ただ、ゲームとかでさ。すげーやりこんでいくと作り手という神の意図を感じられる瞬間があって、それが世界の仕組みの端々に表れてるのがわかった時にだけ得られる栄養素があるんだ。
それは神がユーザーにどう思わせたいかとかでなくて、んー……なんで言えばいいんだ? 作り手の美的感覚? 美という語だと違和感あるけど、世界の設計思想というか。
そら、受け手が勝手にそれを知ったかするのはアレなんですけど、あるかないかで言えば、まぁある。
で、ディ・ア・レ・ストにおいてそれが何かと考えた時、あくまで俺個人の感じ方としては、一つは人間や社会の不完全さを真摯に描くことと。もう一つは娯楽としての両立。娯楽というワードに語弊があるなら言い換えるか。ようは、前者のテーマを読者に伝えるための惜しみない工夫のことだ。まぁ、敢えてそこに触れてみるか、となった。
一人くらい、そういうレビューがあっても、悪くはないだろうと。
で、まぁ書き出しが思い浮かばない。浮かばない。長風呂しながら考えてたら「俺たちはみな、何かに欠けている」というフレーズが思い浮かんだ。急いで風呂から上がってだただだーーっと書いたら一瞬で終わった。
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毛玉ゴーレムの続きは書いてます。
書いてるのですが、完結に向けてめちゃくちゃ「ぎええええ」「きょえ」「にゃーん」してるのでもう少しかかります。