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書けないとき

書けないとき、なんとか頑張れる理由。
自分の場合、ぶっちゃけ絵の成功体験しかない。あーあとは強いて言えば格ゲーかな……

絵ってある程度描けるようになると、敢えて大物を狙いに行って、難しい描けねー!になる。

「このめっちゃかっこいいメカをかければ絶対に強い」
とか
「摩天楼から街を見下ろしてる美少女、背景も書き込むぞ! 一ヶ月かけてでも完成させるぞ」
とか。

これ、なんで頑張れるかというと、出来上がったときの攻撃力の高さがそれまでの経験で確信できてるから。

経験値が入ってくることも経験的に確信できてるから、自分の画力ギリギリの大物を狙いに行くようになって経験値が入るっていう正のループ。(常に大物狩りしてるわけじゃないが)

文の場合、実際絶対かけないと思うものに挑戦するほどの気概はないです。全然知識ない専門分野ものとか恋愛ものとか。
でもあまりに人生経験がスカスカすぎるせいで、あらゆるものが「書けねー」になりがち。本当に何かしらで無理やり筆を動かさないと何一つ書けない。

そこで、下手に絵の方で経験があるので「書けるまで書けば書ける、経験値入る」という謎の自信でゴリ押しするという。

なんだけどそんな書ける筆力じゃないから文章の書き方ほんとひどいです。遅いし。

こういう時、闇雲に「鍛錬が足りん!」っていうのは正しいトレーニングと分析をぶん投げる事にもなるので、全部鍛錬不足のせいにするのは危険なんですが(絵や格ゲーの経験上

ぶっちゃけ現段階は「で? 生まれてから何万字書いたの?」レベルなので、まぁ鍛錬が足りんわ。

大体文字書きって子供の頃から本読んだりなんか書いたりしてるからな。自分の場合、そういうの全然なくてこの歳なってからなので。

結局ゴリ押ししてでも書くしかない。
正直、絵やってなかったら、折れてました。

1件のコメント

  • 絵の場合、例えば銃器を描くなら銃の扱い方を知っておきたいし、女子高生を描くなら現代の若者の心理を知っておきたい。というのは確かに理想なんですが、文章の場合それがもっとシビアに要求されるというか……

    空想で描く回路を作るには、資料を集めたり体験を積んで一次情報を観察する眼力を育てるのも重要で、これを怠ると空想で描くのもなかなか伸びないのですよね。

    これって一見地味で人によっては折れる作業なんで。
    そこで止まってしまうと伸び悩みがち。

    文の方はとやかく言えるレベルにないのですが、似たようなものはあると思います。
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