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戦闘、難しすぎん?

難しすぎなので、余程気が向かない限り多分今作品ではもう一切戦闘シーン無いと思う。

まず、戦闘にならない。戦闘する理由を作るのが難しい。

理由があるとしても、試合ではなくガチで抹殺しに行くなら究極的には戦闘しないのが最善。最良が戦闘しないで解決できることで、するとしても圧倒的有利条件での暗殺とか。まともにやりあうと言う時点で、積極的にそうする理由がないと胡散臭くなってしまう。

PvP だから暗殺なんて言い方になるだけで、マタギの狩りとか考えたらわかりやすい。

まぁ、なので、一章の戦闘は主人公が「本能がそうしたいから、楽しみたいから」という動機に終着させてるわけです。ただ戦うだけならもっと圧倒的有利な手段を取るべきだし、本人も言ってる通りそもそも戦闘するのがおかしい。そこに理由がないと読者にご都合主義を感じさせてしまう。特に今作は冒険とか切った張ったの時代観ではないので。

じゃあ、本能でそうしたいから楽しみたいからいう理由にどれだけの説得力があるのか。

これのために色々論文を漁ったりしました。で、色々調べてたら興味深いものがあった。知能の高い霊長類ほど、狩りの収穫もないのに危険な外敵にちょっかいかけたりそれでたまに死人だしたりもするらしい。

何のために?

強敵に勝つと群れが盛り上がり結束力が高まるとか、訓練として有用で群れの練度が上がるという説でした。多少のリスクを冒してでも結果的にそういう群れの方が強く生き残るって感じですかね。

人間においても、極限環境に置かれた、しかも訓練された人間が常に生存に最適な判断だけをしているかっていうと全然そうではないことは戦場の現場から上がってくる情報をみると素人目にも明らかです。

結果的に勇敢で英雄的行為だったけど、失敗してたらただの愚か者だったという選択やその逆は物語の中だけでなく、実際の戦場でも起きている。

リアリティを求めるあまり、こういった非合理な或いは感情的な選択を全て削ってしまうのはやり過ぎかなとも思う。非合理な選択が多すぎると何でこんな阿呆でこれまで生き残ってきたんだ?思われるだろうしストレス要因にもなるので難しい所ですが。ただ、現実の人間は全員が全員、そこまで理想的に動かない。

生物として、個としては生存にあたって非合理な判断であっても、群としてはリスキーな判断をする個体もいることで利がある。って面もあるんじゃないかな。これは戦闘だけではなくて、未知の土地への冒険や登山や航海なんかも。本当に個の生存だけ考えてたら人類はアフリカから出たか怪しいし、ポリネシアの隅々まで原始的な船で星を頼りに航海なんてする訳ないと思うのです。

生物というのは多様性や発展の為に、イレギュラーな個体が時として出現したり、好奇心が猫を殺したりする。群としてはその方が今日まで生き残ってきた、くらいに考えてます。まぁ、これもロマンチスト過ぎると言われると否定できないのですが。

まぁ、そういう感じでリスキー行為は変にその正当性を普遍的な所に求めず、俺がやりたいからするんだという所に帰結すれば、なんとか説得力は持たせられる気はします。言い換えると登場人物は完璧超人にするより、若干の愚かさやちょっと戦闘狂なところとか、押すなよ押すなよ言われたら押してしまうところとか何かあった方がリスキー行為を自然にさせやすい。

これもやり過ぎるとヘイト要因になるので、パーティそのものが挑戦志向だとか、明確なリターンがあるとか、そんなの何も考えられないくらい気になる探求対象が挑戦の先にあってその楽しさを読者と共有できてるとか。うまくヘイトにならんようにしないといけない。

まぁ、ファンタジー作品でそもそも戦闘という選択を取る段階に対して「そんな非合理で愚かな選択をする主人公には説得力がない」まで冷徹に判断する読者はそこまで多くは無いと思う……割と簡単に戦闘する作品が多いように思われるので。(自分の読み込みが足りないだけで、実際は巧妙に説得力を持たせる仕掛けがあるのかもだが)

本人が消極的な場合、ダンジョン攻略ものみたいに、よりリスキーな階層にいかないと生活が難しいとか生存競争に負けるとか追い詰めるのもまぁまぁ説得力出ると思う。まぁその場合そもそもなんで探索者なんてやってんだって話になるが……

軍隊のようなケースを考えてみる。

自分は軍の運用について詳しくはないし、ファンタジー小説の読者も作者も大体俺よりは詳しいと思っている。あくまで素人の個人的意見なのでふわっと!

で、これも外野から見て常に合理的な選択を上層部が取るかというとそうではないことがわかる。

人員という育成コストもかかるユニットを使い捨てるのは愚かな選択にも思えるが、ろくに育成コストをかけず国のその後を考えないのであれば、中世ではなく現代に於いても兵の使い捨ては行われている。ウクライナでのロシアの徴集兵の運用を見れば明らかである。(実際にどんだけアレなやり方してるのかは長くなるので割愛する)

逆に戦争の初期においてのウクライナ側は数での不利をゲリラ的な戦術で対応したりもしている。これもリスキーな選択なのかもだが、限られたリソースと期限においては結果的に今に繋がってるわけで、どこぞのネットリベラルみたいに「危険に晒した」などと頑なに否定するのは現実的ではないと思う。

ファンタジー作品において「こんな山賊とか実際いるわけねぇだろwww こんな生き方してたらとっくに死んでるだろ」みたいな意見もあるが、ロシアのカディロフ軍団とかみてたら「あー山賊、いるわ〜めっちゃいるわー」なる。

そもそもプーチンが侵略戦争仕掛けたこと自体が非合理にすぎて専門家にも有り得ない言わせるような行為だったわけで、現実にはあり得ない選択をする人間も歴史もあるのをリアルタイムで見ているわけだ。

軍隊というのは統率されているからこういう展開はあり得ないとか、ここまで上層部がアレだとこうなるはずとか、そんな運用がありえるわけがない!とかその手のツッコミの殆どが今回のロシアで「いや現実に起きえるんだが?」なってるので、語弊を恐れず言わせてもらえればファンタジー書きには勇気を与えたのではないだろうか。

(侵略を正当化する意図はない。俺自身は今回の侵略はどんな歴史的信条があれ正当化されないと考えているのを断っておきたい)

でまぁ、なんとか戦闘する理由ができたとしよう。で、戦闘。

思うのがファンタジー小説書いてる作者ってみんな武道とか何種類もやっててサバゲーとか甲冑で戦うやつとか中世武術の交流会とかパルクールとかクライミングとかで勉強してるんですかね?
あと猟友会とかにも入ってそう。

いやマジでみんなやってそうくらいに思ってるんだけど……やってないと書けなくない?

こっそり異世界行ったりしてない?


今作の主人公のイルくんは「殴り合いのケンカさえしたことない」って言ってますけど、作者は武術はさっぱりで逆に戦闘行為とかヤンキーの殴り合いのケンカ”しか”したことがないので、その辺の知識はさっぱり。ヤンキー、すぐ顔面殴る。


ちなみに他人の作品読むときはこんなこと全然考えてないし、理由なく戦闘してても戦闘シーンかっこよかったら勢いで読んでる。

でも自分で書こうとなるとあまりにも人生経験が薄味すぎてあと色々不勉強なもので、いかんなぁって感じです。

戦闘シーン、難しすぎ!

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