いつもお読みいただきありがとうございます。
おかげ様で続いております。
さて今回はちょっとかたいお話になりますが、ご容赦ください。
題して、応援コメントの削除基準についてのお話です。
応援コメントの削除について、それに対する考えを記載したいと思います。
これまで触れることがなかった点になりますので、お読みいただけると嬉しいです。
☆まず初めに。
「何故消したのか?」等、個別の事案については、一切回答しません。
以下に記載する内容は、一般的な内容としてご確認ください。
☆消去の基準
まず、消去の検討は「不快」と感じる方がいるかどうかで始まります。
これは私だけでなく、一般の閲覧者が不快と感じるかどうかです。
しかし私の「不快」の感じ方は、どうも一般からズレているらしく、あまり基準になりません。どうして消さないの?とツッコミが来るくらいです。
消去の検討は身内のdiscord等で共有されてから始まります。
コメントは誰でも見れる公開状態ですので、ここは一般の方が見るのと変わらない状況です。
消す前には一旦確認します。
・一般的な感覚で、「不快」に思えるか?
・コメントに「不快」にさせようという意図が見て取れるか?
表現がどうとでも取れる場合、それは意図的に含めます。
――――
●不快かどうかの判断について
一般的な感覚で「不快」に思えるか?どういう言葉なら不快なのか?
これに具体的にお答えすることはありません。
ですがクタクタに疲れて乗った電車の中吊り広告、それがそのコメントで埋め尽くされた時などを想像してみてください。
●コメントが意図的かどうかの判断について
読解の不足や、誤変換などは事故です。
「確かに言う通りです死ね。」などは純然たる事故ですし、もし誤変換に気づかれたら、その場で修正するでしょう。
また意図的にないにしろ、言葉を強く言うのは他者の感情に配慮した行動とはいえませんし、意図的ではないにも関わらず、嫌われたり、トラブルになって何も良いことがありません。
――――
☆コメントの削除は作者による報復、私刑ではない。
コメントの削除は、読者をもてなす作者に与えられた権利です。
作者は、小説を読む他の読み手に対して、作品を読むための快適な環境を維持する責務があります。
夢を覚まさせるような指摘コメント、場違いなチラシの裏に描くようなコメント、興ざめするような罵声コメント。
それらは読み手の没入の邪魔になると判断されれば、削除の検討に入ります。
・
・
・
☆削除の基準は公開しない
何で消されたのかがわからない。どういう言葉遣いにすれば良いのか教えてくれ。
そういったことについて、お答えしません。
こういった言葉は、削除に対しての、根本的な誤解があると考えています。
気をつけるのは「他者の感情を推し量り、不快にさせないこと」です。
「削除されない言葉つかいを使ってほしい」からではありません。
・
・
・
☆最後に
小説は暇つぶしであり、ただの娯楽です。
ストルガツキイの言葉を借りれば、感覚的な「飢え」を満たすための精神的な食事です。
そのようなもので、不快を感じるべきではありません。
とはいえ、これは人間の感情が絡む部分で複雑なところです。
これが今、不快の色に染まっている私の心です!
そう言って、取り出して見せることはできません。
私自身、文章で他者を不快にさせていることはあるでしょう。
いやむしろ、そうでしょう。
私の心はおそらく、私以外の誰もが住み着くことができないほどに荒涼としています。しかし、だからこそ生み出せるものもあります。
私は数あるネット小説の中から、私の書いたものを選んで頂いた皆さんに感謝しています。だから、選んでよかったと思ってもらえるように、出来うる努力をしています。
皆さんの評価、コメントで、私の作ったものをどう捉えて頂いたかの言葉は、大変うれしく思っています。
だからこそ消したくはないのです。
しかし、読み手の皆さんが、安心して読める環境をお届けしたいのです。
叱責、怒号、嗚咽が飛び交う中で、12時間以上仕事した経験がありますか?
私はあります。
カップラーメンの汁や、ワキガ、ヘアワックス、他人の体臭の臭いがついた寝袋で深夜2時に寝て、4時に起きて作業をする経験がありますか?
私はあります。
元社員が自殺したのを笑って話す上司と食事したことがありますか?
私はあります。
こういう体験を思い出すような世界を、小説の周りに作りたくないのです。
皆さんと一緒に楽しめる環境、それを維持したいのです。
長くなりましたが、以上です。
より多くの方に読んでいただき、何かを得て欲しい。
その想いでこれからも続けたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
ではでは!