カクヨムに限らず、この世に存在する創作物の多くが主人公を作中世界を変革する、あるいは何らかの問題を解決するヒーローとして扱っていると思います。
力は手段であり、真の英雄はその力をどのように使うかが問われる。
そんな事がよく言われます。
しかし、実際のところヒーローとは何なのか?
何がその人をヒーローたらしめ、何がそうでなくするのか。
それについて雑想を思い浮かべてみようと思います。
まずヒーロー、英雄的な人物といえば何か?
英雄や勇者と聞くと、多くの人は魔王を倒す勇者を思い浮かべるでしょう。
歴史や神話には、力強い英雄たちが数多く登場します。
例えば、ギリシャ神話のヘラクレスや日本昔話の桃太郎なんかがそうですね。
彼らはその力で敵を打ち倒し、多くの人々に尊敬されました。
しかし、力が強い、強大な敵を打ち倒せるものが英雄(ヒーロー)だ――という定義はいささか早まったものでしょう。それが英雄の資質ならば、ミサイルや現代戦車も英雄ということになってしまうからです。
尤も、ウクライナとロシアの戦争では対戦車兵器、FGM-148、通称ジャベリンが特別視され、聖ジャベリンとしてインターネットミーム化したことは記憶に新しいです。
それに、国旗にAK47やサーベル、斧が描かれる等、古来より武器、兵器が英雄視、神格化された事例は数多くあります。
ですが、これらはその力を称えるというよりは、自分たちより大きな力に立ち向かった際に手にした道具を象徴化したものです。
つまり、武器そのものではなく、「立ち向かった」という行為を象徴しているのです。
語られ、記憶に残される英雄としての資質は、どうやらこの辺りにありそうです。
もう無理だ。終わりだ。私たちにはできることはもはや何も無い。
――と思わせる困難。
それに立ち向かう姿を見せてくれるのが、英雄なのではないでしょうか。
困難や逆境は、角の生えた悪魔だけではありません。
細菌やウィルスによって引き起こされる疫病。
環境の破壊によって干上がってしまったた湖や枯れ果てた森。
そういった形の困難もあります。
例えば、新型コロナウイルスのパンデミック時に最前線で働いた看護師や医者たち。彼らは装備と人員が不十分だったにも関わらず、その献身と勇気で多くの命を救いました。
なるほど。英雄なるものの姿が見えてきた気がします。
英雄とは、困難に立ち向かう姿勢を持った人たちのことでしょう。
英雄と勇者はたびたび同一視されますが、それも頷けます。
困難に立ち向かうには勇気が必要です。
その資質を備えた英雄が勇者と呼ばれることに何ら不思議はありません。
これにより、ヒーローらしくない主人公像も見えてきました。
自分勝手に力をふるい、困難に立ち向かわず安易な道に向かう。
稀有な力を持ち得ているのに、その使い道が自分とその周りに限られる。
例えば、ある戦いに介入するに当たって、その戦いの原因(民族的な不和や資源の枯渇など)を無視し、より安易な方法である敵対者の撃滅のみを選ぶなど。
そうしたキャラクターが活躍するお話は、痛快な展開がいくら続いても、どこか後ろめたさを感じそうです。
敵対者を救いようのない相手として、悪魔化する演出方法もありますが(天空の城ラピュタにおけるムスカのように)個人ではなく、主義主張が異なるのが当然の集団が相手となると、悪魔化は難しくなります。
最悪の場合、主人公が悪役に見えてしまうという自体も発生してしまうでしょう。
それだけは避けたいところです。
まとめると、ヒーローとは困難に立ち向かう勇気を持ちえた存在です。
それは人のみならず、ロボット、動物などでも同じです。
困難に立ち向かう勇気を携えてさえいれば、彼の者はヒーローたりえる。
そう言ってよいでしょう。
さて、今日の雑想はこんなところで。
ではでは!