心を病む商社マンの賢人と自称巫女・翡翠の「クランケ・ミーツ・クランケ」で物語が始まり。
それはいつしか「事実」へとすり替わって行く。
このやや難解で沈み込むようでいてそれなのに急上昇と急転直下を繰り返す小説を大勢の(現時点で900pvちょっとですが・・・)方々がお読みくださって本当に不思議な思いと感謝とでいっぱいです。
そしてわたしには後のことを考える責任がこの小説に対してあります。
なぜならばこの小説はわたしという人間の指先を使ってタイピングはしましたけれども、プロットの段階からわたしの脳と精神とに『何者』かの意図や意思が捩じ込まれて来ていたと自覚できるからです。
埋もれさせたらダメだとかそういう次元の話ではありません。
この小説を知らせないことはわたしの罪だとすら感じます。
ですので今はカクヨムさんに掲載させていただいていますけれども、カクヨムさんの趣旨に合わないものであれば載せ続けているのは却って申し訳ありませんし、では他の場所としたら文芸誌の新人賞がいいのか、LINEノベルがいいのか、それとも自費出版してわたしが辻説法のように、あるいはストリートライブのように街中で叩き売ればよいのか。
不遜でも大風呂敷でもなんでもなく。
この小説に触れないならば、事実の世界に触れずに生きていくことになると思います。
どちらが幸福かは人間ごときのわたしには判断ができませんけれども。
「日月(にちげつ)の交わり」
@naka-motoo
https://kakuyomu.jp/works/1177354054889304694