最近、奇妙な姿の幽霊を見かける人が続出している。
「ムラサキ色のドレスを着た幽霊?」
手芸店の奥の作業部屋で、衣装作りの手伝いをしていたヤスは顔を上げた。
「本当に幽霊?」
噂を初めて耳にして、まっさきにドレスを着た正体が幽霊なのか疑った。
あまりに多くの人が目撃しているので、悪戯好きの犯人が面白がって噂を広めていると思ったからだ。
「手を止めるな。明後日が締め切りなんだ」
しかし話題を持ち出したケントの意識はミシンに注がれていた。気晴らしに雑談をしたいだけなので、手を止めてまで思考に集中してほしくない。
「少なくとも生きた人間じゃない。手足がないからな」
ヤスに噂を教えたケントも目撃者の一人だった。
彼の場合は、坂の上から見下ろすように、ドレスが宙に浮かんでいた。遠目からでは手足を確認できなかった。
まばたきをした一瞬で消えたので、幻覚や幽霊といった不可思議な存在に違いないと確信した。
「ほら、オレって仕立て屋だから。もっとあのドレスを見てみたかったな」
葡萄色の泡を纏ったようなドレス。
服の大きさとデザインから想定して、中高生の少女に着てもらうための服だろう。
「服を見るために幽霊に会いたい? ぼくには理解できない感覚だ」
また、ヤスは幽霊の気持ちも理解できない。
せっかく派手な格好で注目を集めているのに、要求はなさそうだ。
そもそも口はきけるのか。
「どんな顔だったか覚えてる?」
「服しか見てなかった。覚えてない」
「それは珍しい」
ケントは女の人に会ったらまず顔を見る。
幼い顔だちの可愛い系がタイプだと言っていた。
いくら服が魅力的でも、どんな人が着ているのか顔を見ないというのは、彼らしくない。
「遠目だったからな。でも……」
ケントはヤスに話をする前に、他の目撃者から情報を集めていた。
頭部を見たという人は「全体的に真っ白」、「頭髪はない」、「目はついてなかったような気がする」と答えた。
しかも誰もがうろ覚え。全員が服に注目していた。
派手な服を着ていたせいだろう。幽霊に直面した驚きより、着ている服に意識が向けられている。
「その幽霊はかなりのオシャレだ」
着ている服も見かける場所もバラバラで、【もう一度】はない。
つまり一度見かけた場所には二度と現れず、奇跡的に再会しても初めて見た時に着ていた服ではない。
「日常では着ない特別なデザインなんだよ。斬新だからもっと見たくなる……って、ヤスにはわかんないか」
「そうだね。でもさ、きっとその幽霊は服を褒めてほしくて人の前に現れているのかも」
「お茶目な霊もいるんだな」
もっと服を見てほしいのなら、神出回数をあげてほしいとケントは望んだ。
これは彼個人の要望ではない。他の目撃者も、奇抜で魅力的な服を見たがっている。
「パプリカみたいなドレスや薄緑のティッシュペーパーを重ねたようなドレスもあるらしい。ぜひ参考に拝見したい」
劇団の衣装を担当しているケントは、普段着とは違うジャンルの服装をたくさん製作している。
バリエーションを増やすために、いろんな服を見ておきたい。
そして最近、一目惚れした着物姿が似合う少女に、最高のドレスを着てもらおうと心に決めている。
しかし現状は挨拶をしても、会釈されるだけの関係。もっと親睦を深めるべく、少女を見かけるたびに声をかけているが手応えを感じない。
「ケントくんは陽気で優しいから、きっとその子とも友達になれるよ」
幽霊から気になるあの子へ話題が変わると、ヤスの相槌も変わる。
ほとんど「そうなんだ」しか言わなくなってきたころ、彼は会話で散漫になっていた集中力を取り戻し、装飾をつけるスピードがあがった。
ヤスは助っ人として呼ばれたので、会話はほどほどに役目をまっとうしてくれる。
集中力が持続すれば、明日の昼までには仕上がるだろう。
日が沈みかけてきた夕暮れ時に、帰宅していたヤスは道路のど真ん中に倒れた白い胴体を見つけた。
手足がなく、茹で卵のようなのっぺりとした頭部がついている。
このマネキンが神出鬼没のお洒落な幽霊の正体であると気づくまでに時間はかからなかった。
それにしても肝心の服がない。
よく見るとスタイルが悪く、猫背で頭が重そうだ。なぜ、こんな姿勢の悪いマネキンにドレスを着せようとしたのか。
「おい、お前。着せていたドレスはどうした」
怒号に顔を上げると、男が肩をいからせて近づいてくる。
伸ばし放しの髭のせいで年齢の推定が難しい。
「すでにドレスはありませんでした」
「なんてこった。そもそも、どうしてマネキンが外にある」
取り乱す男の態度から、ヤスは一刻も早くドレスを見つけないといけないのだと察した。
「この人形はどのような服を」
「たしか紺色、いや紫色だったか。たしか、球体がたくさんついたようなドレスで──おい?」
すでにヤスは動きだしていた。
遠のく男の説明を聞きながら、周囲に紫色の布をかかえた人はいないか歩きまわる。
だが人を見かけない。すでに、追いかけられない距離まで離れてしまっている。
おそらく誰かがドレスを剥ぎとった。でも、誰なのかまでは見当がつかない。
あきらめてマネキンのもとに戻ると、男は冷静を取り戻していた。
「仕方がない。他にもやるべきことはあるから、問題が起き次第、対処する」
妙な物言いだった。盗難という問題はすでに起きている。
だが男はべつの問題を気にしている。
「とりあえず、この子を家に帰しましょう」
ヤスはていねいにマネキンを起き上がらせると、自分の上着を羽織らせた。
その行動は、男にとってもの珍しいものだったらしい。怪訝な目を向けた。
「この子は追い剥ぎにあいました。ぼくはそのドレスを見ていないけど、きっとこの子だから似合うドレスだと確信しています」
「……なんで、見ていないドレスがそいつに似合うとわかる」
「マネキンにこだわりを感じるからです」
「いい着眼点だ。だから余計な指摘をさせてもらうが、【順番が逆】だ。まず衣装があって、それから、釣り合う人形をつくった」
男は乱雑にマネキンを抱えた。明らかに物のような扱いであり……どこか担ぎ慣れているように見えた。
「もし町中で奇抜な服を見かけたら裂いてくれ」
「本当にいいのですか」
「かまわない。でないと被害がでる」
「わかりました」
そして翌日、手芸店に向かう途中で、赤いパイナップルのようなドレスを身にまとったマネキンに出会った。
持参していた鋏では歯がたたなかったので、裁ち切り鋏を借りるべく手芸店まで運んだ。
「そんな残酷なことに手を貸せるか」
「手じゃなくて鋏だよ。あとはぼくがやるから」
昨日の出来事を聞いたうえでケントは首を横に振った。
服作りに人一倍情熱を注いでいるケントには服を裂くことは非道行為だ。
ヤスなりに配慮して、鋏だけを拝借するだけのつもりなのに、必要最低限の要求さえ通らなかった。
「オレは幽霊なんて見えないけど、作り手の念がこもっている作品はわかる。ぞんざいに扱っていいものじゃねぇぞ」
ケントは赤いドレスを見た。
彼の感じ取っているピリピリした警戒心は、ヤスも受け取っていた。
ただ、ヤスの場合はもっと具体的で、ドレスで隠れている背中を直視してはいけないと本能が訴えかけていた。
「だいたい、その男はなんだ? なぜ衣装を廃棄したがる?」
「さあ、ぼくは詳しい理由を聞かなかったから、質問に答えられないね」
「オレはちゃんと事情を聞いて納得できるまでは協力的ではない」
「そっか。でも、いちおう確認はとったから。本当にドレスはズタズタにしてもいいって」
「お前は、人形に意志が宿ると考えるタイプだよな。ドレスを壊したら間違いなく恨まれるぞ」
「それに関しては、ぼくも同感だ」
ヤスが運んできたマネキンには、意志のある気配が漂っている。
心のある人形は動き、念力を飛ばす。
服を見せびらかすために、マネキンが町を転々と移動していたら、服の破壊は逆鱗に触れる。
「人形が動いていたのか。それはそれでホラーだな」
「ドレスが気に入ったから見せびらかしていたのかと思うと、ほほえましいね」
会話をしながらドレスをいじっていたヤスは、あることに気づいた。
このマネキンは布製で、ドレスを固定するために直接肌に縫われている。
それに服の下の体の輪郭も人間離れしていて、サイのツノのような出っぱりがついている。
昨日のようにドレスを盗られる心配はないので、あの男に回収してもらおう。
「今日はお客さんがくるから、オレは表で仕上げ作業をする」
ケントはたまに、ぬいぐるみの修繕や人形の衣類をこしらえる。
今日はヤギのぬいぐるみに服を着せてほしいと依頼した少女がぬいぐるみをとりにくる日だ。
だが、その少女の母親から電話がかかってきた。
「ヤス、ついてきてくれ」
「今日までに完成させないといけない服より緊急?」
「たぶん、憑かれている」
ケントは外出の準備を始めている。
いそいで裁縫道具を片付ける彼の手つきを見て、ヤスはただごとではないと察した。
容態を聞くと、朝から口をきかずに四つん這いになっているらしい。おそらく、動物に憑かれているのだろう。
言葉の通じない動物は説得ができないから少し厄介なだけで、この手の対処法は慣れている。
ヤスは必要な道具だけ用意して店を出た。
家に到着したケントとヤスは、さっそく浴室へ通された。
なぜなら少女が服を着たまま、頭からシャワーを浴びていたから。
母親が声をかけても無反応。
たしかに四つん這いだが、頭が重いせいで起き上がれないようにも見える。
水を吸ってへしゃげているが、少女が着用している紫色のドレスは、シャボン玉のような球体がたくさんついている。
「裁ち切り鋏を貸してください」
ヤスは迷いのない声で頼んだ。
母親はいそいでリビングに向かい、ケントは今度こそ止めなかった。
背骨に沿うように一直線。鋏でドレスを裁ち切ると、少女は我に返り、内気で真面目な本来の性格を取り戻した。
だが冷静になっても、ドレスを着ているいきさつは説明できなかった。記憶がないという。
「まあ、もともと盗みを働くような人柄でもないからな」
「うん。そもそも華やかで小洒落た衣服を着たがるようなタイプでもないと思うよ」
「ヤスは娘さんと初対面だよな?」
とにかく少女の件は解決した。
家を出たあと、ケントは同情めいたため息をついた。
【魔が差して盗んだドレスで酷い目に遭った】というより【魅入られたからドレスを奪った】のだろう。
その推測にヤスも同意した。
「こんにちは。じつは紛失していた紫のドレスを回収したところなんです。店にも一匹いるので、それも持っていってもらえるとありがたいです」
店に向かっていると偶然男を見かけたので、ヤスは挨拶のついでに報告もした。
相変わらず仏頂面だったが、「一匹」のところで眉が動いた。
一体でもなく一着でもなく一匹。
「ごめんなさい。言い間違えました。一着です」
「べつに怒っていないよ。でも、よく一匹だとわかったな」
「さっき、このドレスを着た人の姿を見ました。服も脱がずに四つん這いでおとなしく水を浴びていました。それなのに、ぼくは異様だと思いませんでした」
「え? そうだったのか?」
ヤスの打ち明けた事実にケントは驚いた。
人間として、あの様子はおかしい。
そう言いかけて、ヤスは普通の人と違う見方をしているのだと思い出した。
「豚が泥をかぶるように、鳥がメスに気に入られようとして巣を作るように、習慣で動いているように見えました。おそらく動物です。人間ではありません」
「そうだ。あいつの作るドレスは、人間が着る前提じゃない」
男は、オーダーメイドでマネキンを作る人形作家である。
顧客でもある異形被覆作家の訃報を知り、男はドレスを破棄するべくこの町を訪れた。そのように頼まれたという。
「最後のメールに、服が動くと怯えていたが、精神の衰弱による錯覚だろうと思っていた。だがアトリエに残されたドレスは減っていた」
「逃げ出していたのですね」
「オレやみんなが見ていた幽霊は……怪物?」
皮膚(服)があって、来歴(設定)がある。
宿る条件が揃っている。さらに縫い物は同じ作業を繰り返すので、念がこもりやすい。
動き回る服を一人で捕獲するのはなかなかに骨が折れるので、ケントとヤスも見かけ次第鋏で切り裂くと約束した。
服が人を選ぶ。
着る人に軸がないと服に振り回される。
このように、まるで服に意志が宿っているような言い回しがあるのは、服にだって念がこもりやすいからなのだろう。