それから数日が経った昼休み、ぼくとヨウタくんは校舎のカベによりかかって空を見上げていた。
青い絵の具をとかしたような空に、わたがしをちぎったような雲が浮かんでいる。
「ありがとうススムくん。こんなところで一人でつっ立っていたら、みんなにジロジロ見られてしまうんだ。いやー、居心地が悪いんだよ」
ヨウタくんは、ぼくにしか聞こえない声でお礼を言った。
「そりゃあ、〝こんなところ〟でつっ立っていれば、なにしているんだろうと怪しまれるよ」
ぼくたちは新聞クラブの部屋の窓ぎわにいる。
それも、室内ではなく外だ。
室内には、佐藤さんとチャンピオン、そして公平にジャッジするためのカオルさんの三人がいる。
開けっぱなしの窓から、佐藤さんの上ずった声が聞こえてきた。
声だけで、キンチョーが伝わってくる。
「は、はじめまして。佐藤ココアです。きょ、今日は、その……ありがとうケンジさん。あたしのワガママにつきあってくれて」
「ワガママじゃなくてクイズ対決だろ。それくらいならつきあうよ」
なんとクイズチャンピオンは、この前図書室で知り合ったケンジさんだった。
一回だけ会ったことがあるけど、イケメンでやさしいお兄さんだった。
まさか、あの人がクイズ王者だったなんて。
ぼくと仲良しなモモカちゃんをねらっているからライバルだ……なんて思っていたけど、こりゃかないません。
「ねえ、ヨウタくん。ぬすみ聞きなんてやめておこうよ」
「つれないなあ。読者のみんなだって勝負のゆくえが気になっているというのに」
「読者のみんなもぬすみ聞きはよくないと思っているんじゃないの?」
「まあまあ。どこまで答えられるのか、みものじゃないか」
ヨウタくんは人差し指を口にあて「シー」とささやいた。
クイズを作った張本人として、チャンピオンの反応が気になるのだろう。
ぼくはかんねんして耳をすませた。
「二人とも、肩がこわばっていますね。まずはお茶を飲んで落ち着いてください」
カオルさんのおだやかな声が、ピリピリした空間に広がる。
姿は見えなくても、お茶を配っている様子がありありと想像できる。
その場を和ませるお茶のチカラってすごいな。
「のどがかわいた。ボクもお茶飲みたい」
「ヨウタくん。今はカベになりきって。ヨウタくんは天才だから、なりきれるよね?」
「カベの気分じゃない。こういう時にかぎって、カオルのお茶が恋しくなるね」
「はいはい。あとで飲もうね」
お茶で一息ついたあと、佐藤さんのキンチョーした声が聞こえてきた。
「ヒントはなし。問題文をよく聞いて答えてね。Aさんはフルーツゼリーを作ろうとしましたが、失敗しました。それはナゼ?」
え? それだけでヒントなし? そんなの作り方や材料をまちがえたんでしょ?
でも、それ以上くわしく推理できないよ。
「〝フルーツ〟ゼリーか。わかった。ゼリーは固まらなかったんだな」
しかしケンジさんは「失敗」を「ゼリーが固まらなかった」という意味だと見抜いた。
しかもそのカギがフルーツだとわかっている。
わけがわからないぼくは、とりあえず続きを待った。
「キウイやパイナップルは、ゼラチンを分解するから、ゼリーが固まらないときく。ゼリーと相性が悪いくだものを入れたから失敗した。どうだ?」
……なるほど、こういうタイプのクイズか。
世の中には、雑学や知識を知らないと解けないクイズがある。
これはひらめきではなく、知っているかどうかで答えが決まる。
ヨウタくんは知識が必要なクイズでいどんだけど、ケンジさんはなやむ間もなく答えてみせた。
「正解だよ。よく知ってるね。ケンジさんもお菓子を作るの?」
「お菓子作りはしないな。たまたま知っていただけだよ」
しれっとケンジさんは言った。
じまんしないところがカッコいい。
ぼくもいつか言ってみたいな。
べつに? たまたま知っていただけさ。
「うーん、ススムくんのキャラではないね?」
ぼくの表情から勝手に心の声を読み解くなよ、このエスパー。
にあわないってことくらい、ぼくが一番知っているよ。
「そうなんだ。じつはあたし、お菓子作りにハマっているから、ケンジさんの好きなお菓子を作ってみたいな。ねえ、リクエストしてよ」
「え? いいのか? 最近和菓子にハマっていて、せんべいのおいしさに目覚めた──」
「他のリクエストがいいな! それは、作りがいがないというか……」
「プロになるとせんべいなんてラクショーなのか? すごいな!」
ケンジさんはせんべいが好きなのか。
しぶいな。カッコいい。
「じゃあ、ようかんはどうだろう? 小さいころから、ようかんが好きなんだ」
「なんとまあ地味なチョイスを……。まあせんべりよりマシだと思えば……うん。でも、クリの季節じゃないからアレンジしてもいい? ピンクとみどりの二層にしたいな」
「なにそれ! すごい!」
「サクラ味とまっ茶味なんだけど、どうかな?」
ぐるおぉぉぉ……。
となりから、お腹の鳴る音がひびいた。
しかも音がデカい!
ぼくはヨウタくんに体当たりをしながら、窓からはなれた。
「ヨウタくん! 静かに!」
「おかしいな。ちゃんと給食を食べたのに」
うん。あんなおいしそうな話を聞いていたらベツバラがはたらくよね。
それでもさ、ぼくらの存在はヒミツだから、ケンジさんにバレないよう、息をひそめておくべきだ。
「いま、外からお腹の鳴る音が聞こえなかった?」
なんで聞き分けられるの? ケンジさんってじごく耳?
そんなことより、逃げた方がいいよね?
見つかった時の言いわけなんて思いつかないし、むしろ気まずくなるだろう。
しかし、立ち上がった時にカオルさんがフォローしてくれた。
「きっと、ラクダのあくびでしょう」
「だれがラクダじゃー!」
おーちーつーけー! ぼくは、あばれるヨウタくんをおさえこむ。
おねがーい。静かにしてよお! 怒るならあとにして!
「ラクダなんて学校内で飼育していたか?」
「ケ、ケンジさん! ようかんは後日わたすね! とりあえず今日は〝これ〟でかんべんしてほしいな」
佐藤さんが強引に話をすすめる。
たのむ、佐藤さん。この状況をごまかせるのはあなたしかいない。
「この日のためにお菓子を持ってきたんだ。口に合うといいんだけど……」
「わざわざ作ってくれたのか。なんだか、もうしわけない……え、これって……」
なにかを見て、ケンジさんがとまどっている。
なんだ、なんだ? 聞き耳をたててもわからないよ。
「ゼリーですね。キウイとパイナップルが入っています」
まるでぼくらに知らせるかのように、カオルさんが解説してくれた。
ようやく佐藤さんのお菓子のお出ましだ。
でもそのゼリーには、相性の悪いキウイとパイナップルが入っているみたい。
「本当にゼリーなのか味見してみて。あ、ついでにヒメさんもどうぞ」
「え、いいのですか? 俺はお茶をいれるためだけに、ここにいるのに」
「多めに作ったので、ぜひどうぞ」
「ありがとうございます」
佐藤さんはお菓子作りに真剣だから、だますようなマネはしない。わざわざ味見しなくてもゼリーにちがいない。
「うお! おいしい!」
ケンジさんがさけぶほどのゼリー。ぼくも食べてみたい。
もし多めに作っていたら、あとで分けてほしいな。
「ここでクイズなんだけど、どうしてゼリーは固まったのでしょう? このクイズもヒントはナシ。三日後の放課後、ここで答え合わせをしよう。待ってるから」
それからドアの開く音が聞こえた。
佐藤さんが部屋を出た。
? ? ?
「終わったようだね。もしものためにカオルをつかせていたけれど、余計なおせっかいだったみたい」
「え? それって、どういうこと?」
最後まで言い終わらないうちに、ヨウタくんは歩き出した。
そそくさと校内へ向かう姿は、まるでぼくの質問から逃げるように見えた。
おしゃべりなヨウタくんが何も言わないということは、しつこくたずねないほうがいいだろう。
「終わったよ。うわあ、キンチョーした」
ゲタ箱から佐藤さんがあらわれた。
はりつめた部屋から解放されて、いつもよりニコニコしている。
「ココアちゃんよ、気を抜くのはまだ早いぞ。これからだろう?」
ヨウタくんの言うとおりだ。対決はまだ終わっていない。
ケンジさんは佐藤さんのゼリーにおどろいていた。
豆知識を知っているだけに、ありえない組み合わせにとまどったのだろう。
二段構えに不意をつき、みごと作戦は成功した。
だから佐藤さんは、すぐに部屋を出ないで、答えを求められていれば勝っていた。
どうして〝三日も時間を与える〟のだろう?
「そうなんだけど、一番大事な目的が達成できたから、肩の力が抜けてるよ。早乙女くんも、とんだ茶番に巻きこませてごめんね」
「え、いや、その……」
この場にふさわしい相づちってなんだ?
言葉につまったぼくは、「茶番」の意味を思い出す。
くだらなくてバカバカしいやりとり。そういう意味だったような……。
クイズを出すことがバカバカしい?
心の中がモヤモヤしている。
ただ、このモヤモヤは今にはじまったことではない。
お菓子のクイズを考えていた時から、なにか引っかかっていた。
ヨウタくんもカオルさんも、しめし合わせたかのように共通の目標に向かって動いている。
佐藤さんの目的はなんだ?
? ? ?
そしてぼくはずっと考えた。おかげで授業中もボーッとして、夜になってもなかなか眠れなかった。
なんというか、佐藤さんたちにとって、クイズをだすことは〝オマケ〟のようだった。
そう、だからぼくはモヤモヤしていたんだ。
ひねりのあるクイズがいいからと言って、お菓子にこだわる理由もわからない。
佐藤さんはお菓子作りが趣味だから? でもそのアピールポイントはクイズ対決に必要?
「おっと、クイズはオマケなんだっけ」
「早乙女くん? ひとりごとが大きいよ?」
放課後、図書室で本を読んでいると、佐藤さんがとなりのイスにこしかけた。
昼休みのほかに学校が終わってからも図書室はあいているけれど、この時間はあまり人が残らない。
たいていの子は本を返すだけですぐに出ていく。
だから、図書室にいるのはぼくと佐藤さんだけだ。
聞きたいことがあるから人の少ない場所で話したいとぼくが言ったから、わざわざここまで来てくれた。ありがとう。
「今日が約束の三日目だけど、ケンジさんは答えがわかったの?」
「うん。正解だった。まあ、インターネットや本で調べれば答えはでてくるけどね。そうそう、早乙女くんが読んでいるその本にも書いてあったね」
佐藤さんを待っているあいだ、お菓子のレシピ本をかき集めて、ケンジさんに出したクイズの答えを探していた。
どうやら、パイナップルは缶づめのものを、キウイは加熱すればゼリーは固まるらしい。
どうしてもキウイのゼリーを食べたい人が、たくさんの失敗をのりこえて、この答えを見つけ出したのか。すごいな。
「さすがチャンピオン。ところで、お菓子は受け取ってもらえた?」
「もちろん! 黒くないようかんは、はじめてだって、よろこんでくれたよ」
佐藤さんはしあわせそうに笑った。
チャンピオンに答えを当てられたのに、くやしがっていない。
〝そんなことより〟、ようかんを受け取ってうれしそうだった。
もしかして、クイズ対決をもうしこんだ理由って……。
「早乙女くんも答え合わせをしたいんだって?」
「うん。でも、ぼくの場合は佐藤さんの目的を知りたくて」
「え? そっち?」
佐藤さんはキョトンとしていた。それって、わざわざ聞くことかな、と顔に書いている。
そうだ、こんなことを確認するぼくはデリカシーがない。
それでも、気になって他のことが集中できないんだ。
ここでスッキリしておかないと、テストでゼロ点をとる。
そしてあだ名がゼロ太郎となってみんなにからかわれてしまう。
「佐藤さんは、ケンジさんにお菓子を食べてほしかったのかな?」
「うん」
佐藤さんは小さくうなずいた。
やっぱりそうなのか。
ケンジさんはカッコよくてやさしい。もしぼくが女子だったら一目ぼれをしていたかもしれない。
佐藤さんはケンジさんにほれたんだ。
でも相手は学年がちがう。話しかけるには勇気がいる。
そこで、クイズ対決を持ちかけた。
ケンジさんはクイズチャンピオンだから応じてくれると信じて。
「お菓子作りをはじめたきっかけは、ケンジさんに気に入ってもらうため。ほら、好きな人の胃ぶくろをつかめって言うでしょ?」
「だからゼリーのクイズの時にケンジさんの好きなお菓子を聞き出して、答え合わせの時にリクエストのお菓子をわたしたのか」
けど、少しだけ回りくどい。
ケンジさんはやさしいから、いきなりお菓子をわたしても受け取ってくれそうだけど。
「今のうちに、わたせてよかった」
佐藤さんは心から安心していた。
「どういうこと?」
「ケンジさんは好きな人がいる。だからクイズのついでにお菓子をわたしたっていう風にしたかったの」
「あ……」
佐藤さんのお菓子作戦は失敗した。
お菓子を通して好きになってもらう前に、ケンジさんはほかの人を好きになった。
でも佐藤さんは落ちこんでいない。
ムリに笑っていない。
むしろスッキリしていた。
「お菓子作りに時間をかけすぎちゃった。でもムダじゃなかったよ。だって『おいしい』って言ってくれたんだから」
「……ごめん。佐藤さん」
「え? なんで?」
「ぼくが確認をとらなければ、悲しい事実を口にしなくてすんだのに」
「悲しいとか言わないでよ! その発言は、あたしがかわいそうな人だって教えているんだよ」
「あ! ごめん!」
あらためて無神経な自分にいや気がさした。
ヨウタくんとカオルさんは、いつから佐藤さんの本心に気づいていたのだろう?
佐藤さんは、「本物のお菓子を利用してクイズを作りたい」としか言わなかった。
本当の目的を話すのは、はずかしかったからだ。
だから、たとえ気づいても、よけいなことは言わずに協力した。
こんなむずかしい活動をヨウタくんたちはしていたのか!
ヨウタくんは、その活動のメンバーにぼくを加えたがっているけど、ぼくにつとまるとは思えない。
「早乙女くんは、向いてるよ」
無力な自分に打ちひしがれていると、佐藤さんがとんでもないことを言った。
向いている? ウソでしょ?
「本気で言っているの? ぼくだけ佐藤さんの気持ちがわかっていなかったのに……」
「最終的にわかったじゃん。しかも、だれにも聞かずに自力で真相に気づいた。目の前の問題に取り組むだけじゃなくて、そのウラまで考えてくれる早乙女くんたからこそ、いっしょに考えて答えを探す側になるべきなんだよ」
佐藤さんはウソをついているように見えない。
なる〝べき〟か。ぼく自身、その実感がわかない。
「早乙女くんがイヤだったら、ことわりなよ。やらされるのは、ちがうから」
「佐藤さんはやさしいな」
そう。決めるのはぼくだ。
しかし、ことわるにはちゃんと納得のいく理由が必要だ。
でも、なんて言えばヨウタくんは納得するだろう?