祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理りをあらわす、おごれる者は(人も)久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
和泉式部に続いて平重衡の墓に参ろうと原付バイクで木津川市に行ってきた。
台風がすぎたあとの清浄な空気は視界を明瞭にし、灰色の雲で覆われる空にもかかわらず生駒山から見える大阪平野を通常より鮮明にする。走行中に流れる秋の風と景色を楽しみながら、ノロノロと時間をかけて重衡の墓が安置された安福寺の駐車場に到着。
外塀の上から墓石である十三重石塔の先端が見えた、しかし気軽に入れる雰囲気じゃなかったので墓参りは断念、門徒でもない一般人が突然きて寺内に踏み入るにはやはり勇気がいる。こんな時『堂外の参拝はご自由に』と書いていないかと駐車場にあった掲示板を覗いてみたが、そんな都合の良い言葉はない。
代わりに重衡の首を洗った池の場所が明記されていた、徒歩でも行けそうな距離だったので好奇心に駆られバイクで直行。車の侵入が不可能な細道を抜けるが、最初場所がわからずもう一度掲示板までUターンし再度確認。やはりあの場所だと思い2度目の探索、個人宅の敷地内っぽい場所に小ぶりの雑木林を発見、不審者扱いされないよう慎重に静かにバイクを駐輪して雑木林に視線を集中させると、チラっと説明板みたいな物が見える。
歴史スポットとは思えないぐらい目立たない場所に首洗い池があるようだ、あるようだの表現が正しい。なぜなら鬱蒼としげる雑木林に池らしきものを確認できなかった。背丈以上の植物を押し除けて奥まで行けば水たまりを見つけることは可能だろうが、虫や毒蛇のマムシが出そうな感じだったので池の確認作業は諦める。
重衡はこの世の最後に柿を食べ、残した種を哀れに思った村人が供養のためにそこに植えたが、その木は実が実らず『成らずの柿木』と今に伝わる。栄華の果てに潰えた重衡の魂が柿木に乗り移り、成らずの柿木にしたのかとしみじみと思い、私は代替わりして小さな実を成らす柿木に無言で手を合わせた。
源氏に捕縛され一度は鎌倉で生きる道を模索したであろう重衡は焼き討ちに恨みを持つ東大寺・興福寺の僧徒の嘆願で木津川の辺りで白刃の露と消える。
功罪は別として木津川まで連行される道中、彼は何を思い何を感じたのか、そんな事を考えると歴史と人生の悲哀を感じてしまう。
とりあえずどうにかこうにか不完全ながら目的を成就したのでバイクにまたがると、雲間から降りそそぐ日の光が自分と成らずの柿木を照らしてくれて、なんとなく救われた気分になった。
次はどこに参ろうか、そんなことを考えながら家路につく行程を楽しんだことは言うまでもない。