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斉賀 朗数
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2018年4月14日 21:22
違いってなんだろう。
散文詩と小説の違いが、自分にはあまり分からない。
昔、詩は短く纏められたものだと思っていたけれど、そうじゃない。
長い長い詩はいくらでも存在する。
その一方で、短い短い小説も存在する。
自分にはいまいち違いが分からないので、散文詩を書いたつもりで小説になるし、小説を書けばそのまま小説だ。
でも、詩だと思って書いた小説はなんだか自信がなくて、表に出せない。
いつか披露出来ればいいなと思いながら、最近は、詩を、よく読んでいます。
って、お話。
斉賀 朗数
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2件のコメント
湿原工房
2018年4月26日 10:18
斉賀朗数さま
フォローしてくださりありがとうございます。
詩ってなんなんでしょう。人の詩を読んで、詩だと思うことはあるのですが、自分が書いた行分け文章が、詩と言い張れる自信が一向もてません。
詩の捉え方が詩人によって違いますしね。吉増剛造なんかは芥川龍之介を詩人と捉えていますし、吉本隆明は「口にすれば世界を凍りつかせてしまうほんとうのことを書くという行為で発言すること」だといいます。朔太郎は「病める孤独者の慰み」のように『月に吠える』序文で書いていました。田中宏輔は「詩ってのは技巧だよ」とツイートしていましたし、城戸朱里の『潜在性の海へ』では詩は何か存在に近いものとして捉えられていたように記憶しています(これは記憶が曖昧で不確かですが)。私が好きな宮沢賢治は『春と修羅』に刻印された“詩集”を削って消したともいいます(これは詩を高く見積もっていたのか、低く見積もっていたのか分かりませんが)。また、詩は飛躍だというのもよく聞きます。各々わかる気がするけど、言い切れていない気もまたする。
私は一度(もう10年以上も以前ですが)、見える景色の一々が詩なのだと思ったことがあります。そのときのことを詳細に話せるだけの記憶がありませんが、いまは詩と小説は別ジャンルというより、小説の文学性というものも、詩人のいう詩なのかもしれないと、ときどき宮本輝の「泥の川」を思い出したりしながら思います。
現代詩は行分けや行数、音数律や韻律にも制約されませんし、散文詩となるとエッセイや小説とどう違うのか分からなくなってきます。
斉賀 朗数
2018年4月27日 14:14
湿原工房さん、コメントありがとうございます。
僕自身、詩を書いているという感覚が薄いので、「これは詩だ」と思って書いて、それがいくら詩に見えなくても、書いたものは詩として認識するようにしています。
でも、後から見返してみると、小説を書いている時の方が詩に近いなと思う事もあり、感覚的で曖昧なもの・自分の中に線引きが存在しているのだなと、考えている時に感じました。
詩人といわれる人たち、小説家と呼ばれる人たち、どちらにも、それぞれにも、自分の気持ちの強さが心にあって、それが自分が影響を受けたジャンルというものに惹きつけられてしまっているのかなとも考えたりしました。
結局のところ、分からず仕舞いという事に変わりはないのですけれども。
制約や違いが薄くなっていったり、混ざり合ったりしているのが、余計に分からなくさせていっている要因なのかもしれませんね。
これから先、ジャンルというものはどんどん細分化されていくように思いますが、その実、全ては一つに集約されていっているようにも感じられる気がします。
的外れなコメントになってしまったかもしれませんが、僕の思うところです。
コメントありがとうございました。
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『俯瞰した樹の根っこ』について。
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