7年間続いたTwitterアカウントに、実質お別れしました。
もともとは、仕事で持っていた専門資格の交流アカウントとして持っていたものですが、趣味の読書や写真、持病つながり等々で、いつのまにか大きなアカウントになっていました。
Twitter自体には別の鍵アカウントで棲息しているのですが、やっぱり寂しいですね・・・。今のところフォロー/フォロワーともにゼロの壁打ちアカウントですが、それもたぶんすぐに寂しくなるだろうし、古参のフォロワーさんとのお別れも、時間差でもっと寂しくなるでしょうし・・・。
不釣り合いな・・・無理がたたるアカウントになってしまったのです。
「いいね」やフォロワーの数に一喜一憂しすぎ、自分の受け止め方次第なのですが、もう限界でした。
カクヨムさまでの作業は、楽しくもあり、苦しくもあり。
やっぱり、「自分」を試すことには変わらないです。
評価だって、どんなものでも渇望してます。
文章も、もっともっと磨きたいから、もっともっと意見がほしい。
ほら、Twitterとあんまり変わんないじゃないか・・・。
でも、転機にすると、決めたのです。
とはいえ、特に登理たちは、どれだけかかっても、最後まではしります。
私はそれを作者として、それを見届けますし、
「丹奈枷 らす」は、そのことを忘れないための名前です。
(「丹」は、「牡丹」の花がモデルです)
ひとの弱さと残酷さ、そして生きるということ。
自分の文章がそれらにどこまで追いつくのかをたえず問いながら、
これからも筆を重ねたいと思います。
皆様方の新年度が、よいものにつながっていることを、
こころより願っています。
お読みくださり、ありがとうございます。