今回は第16話に出てきた「5.25事件」の元のお話を紹介します。
5.25事件は未だもって日米ともに政府非公表の歴史、だそうです。
更新にあたりもう一度ソースを確認しようと思ったら、たどり着けなくなったくらい情報量としては珍しいもののよう。マジモン(ポケモン?)。
山の手大空襲は1945年4~5月にかけて都心部が受けた米軍による大規模空襲です。
有名な3月10日の東京大空襲は「下町大空襲」を指し、品川・目黒から皇居、赤坂、渋谷など都市部をターゲットにした空襲は「山の手大空襲」として記録に残りますが、ほとんど取り上げられることがないそうです。
どちらも「東京大空襲」です。
最大の被害は「下町大空襲」で、あたかもそこがラストスパートのように印象付けられることが多いですがそれは始まりで、東側の下町が前期、西側の都市部が後期となると防災センターの記録には記されています。
米軍の爆撃計画も「最も燃えやすい『1号(下町)』から攻撃し、次に『2号(品川・渋谷)』であることから本格的な東京大空襲は3.10で始まり5.26で終わる。という見方の方が正しいのかもしれません。
山の手空襲5月24日、25日は皇居を含めた広範囲で焼失し、渋谷もまた、焼け野原になりました。
物語の中に出てくる捕虜62名が亡くなったのもこの日とされています。
内容については清明さんが語ったのがそのままであり、特に物語用に改編などはしていません。
事実を活かす。それがせかぼくクオリティ。
2.26の慰霊像がどうして出て来たかというとそこは少しは本編に絡むわけですが、同じ東京陸軍刑務所で死んでしまった2.26は慰霊されているのに、5.25は史実すら公表されないというのは、少々やるせなさを感じます。
そういったところも含めて本作は紡がれていますので、最後までお付き合いいただければ幸いです。
ちなみに慰霊像の土台である赤いれんが造りの壁は当時の刑務所の一部だそうです。
それにしてもここを読むのは本当に「本」が好きな方なんだなと、むしろ読んでくれてる方がすごいなと思います。
東京大空襲は3.10で始まり、5.26で終わる、
筆者は割と適当に授業を受けていたためこのお話を書かなければこんな大事な事実でさえも知らずに過ごしていたのだな、とマスコミの影響力に少々恐ろしさを感じます。
でもこんなお話を「知って」書けることは幸いに思います。
これからも物語にそっと事実を練り込んで、書き記していきますのでよろしくお付き合いください。
完全娯楽系も構想中です(*‘ω‘ *)ノシ