おはようございます。
月瀬澪です。
夏休み(8月)くらいから毎日、「わたしはどんな小説が書きたいのだろう?」と自問自答しています。
1日1短歌生活も3か月以上続いていて、100歌を達成し、意外に継続しているなと自分を褒めているところですが、
↓100歌達成したので、2集目へ移行しました。
<言の葉に湧く水と影-其ノ弐->
https://kakuyomu.jp/works/16818093086193799855<言の葉に湧く水と影>【100歌完結済】
https://kakuyomu.jp/works/16818093080193827847 音楽が好きなので、流行りの歌の詞の考察記事でも書いてみようかなとか、イヤホンなどのガジェット紹介記事の勉強でもしようかなとか、小説執筆の合間に書き始めては「うーん、これじゃない」ともやもやしています。
結局、「わたしには小説しかない。小説の中で、日々思ったことや言いたいことを表現しよう!」と、結局、いつもの着地点にたどり着くのです。
すぐSNSとかで愚痴とか批判とか吐き出したくなるけれど、そこはグッと堪えて、小説のネタを貯金する日々です。
ところで、最近見たアニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の第4話~7話のエンディングテーマに『カラカラ』という楽曲があるのですが、この歌詞を見て頭がズガーンと殴られるほどの衝撃を受けたので、その時に思ったことをつらつら書きますね。
以下、引用**********
「カラカラ騒ぐ思考飛ばして
前借りしてるこの命を
使い切らなくちゃ今この瞬間も
ダラダラ過ぎる日も愛して
きっと君に会いに行く
いつか消えてしまう前に」
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↓全歌詞はこちらから
https://www.uta-net.com/song/328189/ 生きている限り、「今、わたしがやっていることは、果たして正しいのだろうか……?」と自問自答することから、多くの人は決して逃げられないのだろうな、と思っています。
わたしなんて、20歳を過ぎて大人になってもその答えは出ていない気がしますし、そもそも、その悩みの正体は、一体何なのだろう? と、空気と液体の間でふわふわしています。わたしは決して固体になれず、落ち着かないのです。
この曲の歌詞に出てくる『光』の部分が言わんとするのは、
「他人の生き方は眩しいけれど、わたしはわたしの道を生きていく」
これに集約されるのだろうと考えました。
でも、この曲の本質は『影』の部分にあるとわたしは思っていまして、
前述したように、いくつになっても「自分がやっていることの正しさ」なんて誰にも証明できなくて、自分自身も証明できないのです。
けれど、わたしの目の前で光っている誰かを肯定することはできます。だからこそこの歌は「いつか消えてしまう前に君に会いに行く」と叫んでいます。
光(君)が消えてしまう前ではなくて、光(君)が消えて影(私)も消えてしまう前に会いに行きます。こう叫んでいるのです。
だからこれは、
「他者がいるからこその自己肯定」
を歌っている曲なのだと気づきました。
小説なんて、独りぼっちで生きていたら絶対に書けなくて、物語は誰かと出会うことから始まります。
物語は人vs人のお話なのだと心の奥底で汲み取りながら、誰かから贈り届けられた日々の想いを、小さな指から文字一つ一つ丁寧に変換して、これからもわたしは吐き出していくのです。
「きっとやれるわ」
うん。
やれる。