• 詩・童話・その他
  • 現代ドラマ

たまにふと食べたくなる

どうも、めいき~です。(´・ω・`)



今や一部のドライブスルーや某タイヤ市場や博物館等の僅かな箇所でしか生き残っていないレトロ自販機。

私は、内部遠心力でお湯を切るタイプの自販機が好きでした。(傾けてお湯を切るタイプとかもあるけど)

今仮に自販機を発注しようとしても新品では私が子供の頃親に買ってもらった安っぽくて色あせたなんの派手さもない器が出てくるあの自販機ではないし。
中古で手に入れても、自分が中身を入れてとなると何のために自販機買うか判らない。自販機だけのレストランとか田舎にはたまにあったけど、やっぱり遠出になってしまいます。(´・ω・`)


こういう事がある度に「金がいくらあっても欲しいモノが買えないのでは意味が無い」という事を私に思い出させてくれます。

思い出も、若さも買えはしないのです。まだ食べたいものが食べられる健康や読みたいものを読める視力を失っていないだけ感謝しなくては。

さっき、そんな訳で自分で袋の乾蕎麦(茹でたらいいやつ)を茹でて出来るだけあの頃の様にネギ少量でつゆ薄めで油揚げ二枚をのせたやつを作って食べてます。

※蕎麦食べたくなったのは昨日ですが、色々ありまして実際食べるのは今日の昼近くになった。

近くにあっていきつけだった、手打ち蕎麦のお店が店主が亡くなって店もなくなってから私は旅行等の遠出以外で蕎麦屋に行く事は少なくなりました。

色んな蕎麦やうどんは沢山ありますが、駅でかきこむように貪ったしょーもない安さと速さだけが取り柄だったような立ち食い蕎麦が本当に懐かしく。
逆に、美しいうどんや蕎麦、写真映えしそうな店内、より取りみどりの具材の数々は私にしょーも無いあの頃の蕎麦が遠いものであると感じさせます。

私は、それこそ店のたゆまぬ努力であり。私以外の客には、素晴らしいものに映るのでしょう。硬い小学校の工作室にあったような、小さな四角い木製の椅子の様に長居させる気ゼロの椅子でゆっくり食べなさいと祖父に背中をさすって貰ったようなあの頃の雰囲気はありません。

私は、父親が亡くなった後。母と親戚は犬猿の仲だった訳ですが、祖父には好かれよく外食を食べさせてもらってました。(晩年、祖父は脳をやって記憶が消えていくような病気を患いましたが。殆どの人間の顔を忘れても私の顔を死ぬまで覚えていてくれたことを考えれば余程大切に扱われていたのだと思います)

自身が老いても、モノを食べられる健康があるうちは。

私は、YouTubeなどでレトロ自販機の影を思い出と共に追うのでしょう。
画面の前で、乱暴に作った袋麺をあけながら……。

(/・ω・)/めちゃんこおいしかったよ♪

コメント

コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する