いつもお読み頂き、誠にありがとうございます。
新作「雨の音、風の音(あめのおとかぜのね)」
https://kakuyomu.jp/works/16818093079492956383厚かましくも見切りで投稿していましたが、推敲がやっと終わりました(ほっと一息)。時間がかかってしまい、物語に頂いたコメントや近況ノートのコメントへのご返信が著しく遅れております。誠に申し訳ありません。
そして、今気がつきました。
「あっ、もう誰も読んでない……(哀)」
そうです、既に前回の近況でのCMのおかげか、ほとんど皆様にお読み頂いて(ありがとうございます、五体投地で感謝です!)、そして鑑みれば新規さんもほぼいないです。
つまり、もはや誰も読まない物語を、私はまるで気付かずにコツコツと仕上げていたのでした。
私は思いました。
「この見返りを求めない孤高なストイックさ、これぞ物書きという存在の神髄ではないだろうか!」
そう考え至った私は、部屋の隅で膝を抱え、誰よりも早く「小さい秋」を口ずさみました。涙で視界が曇って何も見えません。
人生はそんなものです(笑)
ところで、皆様は推敲ってどうされていますか?
誤字脱字のチェックくらいで終われるといいなぁといつも思うのですが、私の場合は違法建築を懸命に誤魔化す工務店の様に、それはもうどうしょうもない状態に陥ったりして、慌てふためいて、いきあたりばったりの突貫工事を繰り返す気分です。
要約すると駄目な子です(笑)。
さて、少しだけ真面目な話をしますと、書き直すという単純な選択もありながら、ギリギリまで踏ん張って「自分が意図したモノ」を推敲で修正しながら、より深めていければいいなぁって思っています。
それは何も言葉を直し、ひたすら「足す」作業ではなくて、容赦なく「引く」作業も大切で、無闇に砂糖を入れ続けても、決して美味しいケーキが出来るわけではないんです。
また、こう書いてしまうと適度適切さが大事だと思うかも知れませんが、自分の持つ「適度」という尺度が果たしてどうなのかとも思います。
例えば恋愛において「適度」の基準なんて完全に人ぞれぞれで違います。そして、物語を書く時に感じる「適度」さは、時として大いに邪魔に感じ得るものです。
論文を書いているわけではないのです。
ゆえに私は物語の推敲をする時に、「適度」という尺度は使わずに、ましてや「過度」でもなく、「別の尺度」を用います。
それは「楽しさ」であったり、「喜び」であったり、「寂しさ」であったり、「陶酔」であったり様々です。人によっては「それにも適度があるのでは?」と思うかもしれません。
ですが、一番大事なのはその用いた尺度を「ありのまま」に使う事なんです。「ありのまま」に自分を出す。これが言葉に生命を宿す方法のひとつだと思っています(間違ってたらすいません)。
あっ、すごくわかりにくい事を書いてしまいました。すいません(汗)。愚かなWEB作家の戯言とお流し下さいませ。
さて、皆様は推敲ってどうされていますか? ( ;∀;)