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鮮度

ネタには鮮度が存在します。それは生魚に限らず、こと表現においても同様です。自分が大切に温めていたネタを、ふとテレビを点けたら既にやっていた、というのもそうですが、ぼくが言いたいのは、それよりも内側の話です。

よく聞く話で「深夜に思いついた面白ネタを、寝て起きて思い返してみると全然つまらない」と言いますが、果たしてこれは正しいのでしょうか。それはネタとしての鮮度が落ちてしまったからではないでしょうか。もちろん思いついた段階で、冷静に判断出来る状態まで仕上げて面白くないと言っているのであれば、それはそうなのでしょう。しかしネタの鮮度という点から考えれば、昨夜よりも今日、今日よりも明日の方が落ちるのは自明の理です。

作品を作る上で、自分が面白いと判断したものが、全然面白く感じなくなる瞬間は、普遍的なものであるとぼくは思います。その時点で手を止めてしまえば、どんな名作だろうと日の目をみることはありません。ある種心を殺して淡々と迅速に、自分が判断出来る状態まで作り上げる。それが重要なのでしょう。まあ中々難しいんですけど。
ネタの鮮度=自分が面白く感じる心といった解釈で良いでしょうか。
願わくば鮮度が落ちても『熟成』出来るネタを育てたいものです。

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