小盛り、小森、子守、籠り……。
年末までには長編一本出したい……。
と言う訳でまた最近、他の人の作品あんま読まないで籠っている。
籠っているからと言って書いてるとは限らないし、
出せるとは決まってないがな、げっへっへ。
なんとか書き終わったら、また川上りしませう。
最近と言うか、常時、知識人だか大手メディアだかしんないけれど、
選挙で選んだから彼等、彼女等自身の責任だ、
等とおほざきになられていらっしゃる方がそこそこにいる。
責任の対象、本当の意味で積極的に自発的に関わった対象を認識出来ないからと言って、
十把一絡げにして考えるのはバカの極致だし、
そこそこ発言し、そこそこその言葉を信じるバカ共がいるのが、果てしなく呆れる。
結局そう言うぼんくら共は、何かで聞いたり読んだりして、
多くの人に共感を得られていると思うものを取り入れて、
責められるのを避け、
一定の評価を安全に取ろうとしているに過ぎないのではと思う。
色々な組あわせをして考えているのはわかるが、
その一言に於いてはそうだと信じている。
だがその一言をいう人間がなんと多い事か。
選挙云々でなく、どこの国、どこの企業、どこの一族とか。
そう言う判断が正常だと信じている人は愚か者だ。
自身で物を考え、見て、個別に判断せず、他人の方程式に乗っかって、
状況によって内容が変わるのに、
また、今まで解かれていない問題に対してさえ、
既存の方程式にあてはめようとし、新たな解法を模索しない。
国内も正直統一教会なんてどうでもいい。
というより、統一教会も含み、「そういう」事を起こし、
また未来起こし得るものに対してどう対処すべきかを考えるべきなのに、
本当にバカでマヌケでトンマだと思う。
もう起こってしまった人の、犯人捜しよりも、今後の対策がすべてだ。
勿論犯人がいるのなら、それへの対処は必要だが、
政治家の本分はそこなのか? それも報道していいけれど、
他のを削いでまでやるなという感じ。
政治なんて一例で、どこでもそうだけれど、
自分の味方陣営に当たり障りないように自己防衛をして、
対峙する何かに一方的攻撃をどこもかしこも行っており、
相手を黙らせる事に主眼を置いて、
その先の、じゃあどうするかに辿り着けないものが多すぎる。
自由、平等、平和、民主だなんて言っても、
欠片もその要素はその言葉には混ざっていない。
自己を安全とし、自陣営を強化しようとしているだけだし、
そのような行為にならざる得ない状況を、
互いを警戒し恐れる事によって作っている。
上手く立ち回る事が大人なようだが、
そんな事だから延々とこのような事が起こっているのではないかと思う。
こういったものは個人の生活から、国の遣り取りまですべてに出る。
人間の限界なのだろうか。
そもそも常識とか今の生活が当たり前と感じているのが謎で、
昔は肉をそいで殺し、釜で茹で、矢の練習の的に使い、塩漬けにして食い、
不敬による死や、身分によって快楽の為の殺人すら見逃されたのに、
今はこのようになっているのは何故か。
何者かの意志があり、また意志なく偶然にそうなった事もあったろうが、
多くの屍の上に積み上げられてきたものだろう。
改革者と呼ばれ暗殺された者も多数いただろうし、
今までの常識とそれを打ち破ろうとする戦いは、
太古から今に至るまで常日頃であるのだろう。
とは言え、多くの人は、平等とか民主主義とか、
気にしてもいないし、誰かが言ってるからそうなんだろうと思っている位だろうと思う。
概念に基づいて、仮組されただけのそれがいかにもろいものか。
そもそも、自由、平等、民主って至高のものでないし、
束縛、差別、寡頭なども同等に貴ばれてよいと思う。
良いニュアンスと悪いニュアンスが偏って塗りたくられているようで、
お反吐が出てしまいますわん。
ホントに、そんな耳障りのいい言葉だけで踊らされる程愚かなのか?
と問いたくなる。
と、毎度ながら、にゅ~すとか色々見て思いますた、まる