ホラーの主人公は無力であれば無力である程いいと、
受動的であれば受動的である程いいと、
どこかの誰かが言っていたような。
でもどうしても気になってしまうのです。
そう、ドラえもんが危機の時、
取り寄せバックやどこでもドアを使わない位気になるのです。
いや、そこまでなったら、さすがにこうするだろとか、
ああするだろとか、小説なり映画なりドラマなり、
漫画なり、何でもいいけれど、見ていると思うのですよ。
確かに無力で受動的であれば、
恐ろしさや、それの絶対性が強調されて効果的かも知れないけれど、
演出の為のご都合主義で、作られてる感が半端ない。
造りものだから造り物じゃないように見せないとです。
恐怖演出と呼ばれるものはわざとらしく見えてしまう。
後映像だと、音で怖がらせようとしているのが非常にあざとく見えちゃう。
B級映画とか言われるヤツは、まあ、あれ、ホラーの皮を被った、
お祭り映画的なものだと思っているのですが、
ネタ要素がなくなっちゃうので、おバカキャラでいいんですけどね。
いや、あれはむしろそうでなくてはならない。
で、ネタ要素なく、確りとしたホラーや怪奇にするとなると、
そうなる仕組み、構造の構築こそが必要なのかと。
無力であり、受動的にならざる得ない、理由付け。
心的な枷がいいのかなと思っておりまして、
一見関係ない、トラウマだったり性格だったりが、
危機の時にじわじわ効いて来るみたいなのを出せればいいのですかね。
色々試して見よぅ。
後怪物もの。怪物が目に見える形で出て来ると途端に安心しちゃう。
見える、認識出来ると言う事は、本能が対処可能と捉えてしまうのだろうか。
見えない事ってとても重要。形は出すべきじゃないのかも知れない。
得体の知れない、把握出来ないものの不安感を増幅させる事が肝要なのかと。
こう淡々と淡泊に、それで見ている人の心を突き刺せるようなものは何かないものか。
人の怖さとか、殺人鬼の話しとか、そう言うものではなく、
幻想分野、怪物や幽霊や怪異みたいなので、人を怖がらせるってとても難しいと思うのです。
故にどうにかしてみたいなぁ、とか。