いや、今回の以外何も知らんけど。
保身で周りの目ばかり気にして、
自己を守り優越感を得、
それによる根拠のない安心感に縋り付く為に
他者を貶めて喜々とする輩が目立つ所で特に溢れていますが、
そんな中でいいですねぇ。
てか声が大きいのに流されるって言うのもどうにかならんのか?
そうでなくとも日常から国を動かす所まで多量にいる、
党派利益とそれに拠る自己の地位保持と安寧の為に汲々とし、
人を足蹴にしてまで生き残ろうとするやつらは
やはり叩きのめすべきだ(ぉぃ
そもそもこんな事はあるはずがないとか
こんな事は当たり前だと信じ込んで、
その逆の存在の可能性を信じないばかりか
欠片でもその存在を臭わすものがあると
激昂して排除しようとする者は、想像力が欠如し、
精神の余裕がなく自己を守るだけで必死なんだろう。
多様性じゃなく同化だと正しく言えばいいのに。
抵抗は無意味だ、とかw
昔は良かったとか言う人いますが嘘つけでんがな
だからって今の時代がいいかと言うとそんな事はなく、
その時々の問題が多量にあるでしょうよ。
ネットが普及し、今は隠れていたものが露わになっただけで、
人の精神のベクトルと言うか動く原理って
変わっていないのではないかなと思う訳でして。
歴史を見て今はわかりあえる時代だからぁ~、
とか言う言葉等聞くと怖気がする。
現在も確り歴史の中の過程であり、
未来人から蛮族呼ばわりされる事でしょう。
逆になる時代もあるかもだけれどね。
昔と今は何が違うかと言うと、
積み上げて来た書物の量、データが違う訳で、
これは人の頭に蓄積できるような遼じゃないから、
突厥!
遼じゃなくて量だから、
何らかしらの形で残されて来た訳で、
それがどういう方に作用しているかはわかりません。
発展か退化なのか。
ただ影響を受けていて、そう言った多くのものが
現在と言うものの形成の要素の一つとしてある訳で、
ただそれで未解明の部分が拓けて来るのは面白いかなとも思う訳で。
知識ってやんちゃさせないようにする為の、
ある程度の拘束具にはなるかもなぁとは思う。
ちなみに最近書いた判決なやつで、
「過剰であってはならず、不足していてもならず、ただ適当」の適当ってなんだよ。
誰に取っての適当だよっ!! って自分でつっこみ入れながら書いてましたw
基本善悪って、個々人の心の中にしかないんだよねぇ。
言い換えれば好きか嫌いかにしかならない。
他部族の首を多量に刈ったヤツは正義!!
勇者じゃ英雄じゃってあった訳でして、
腰蓑に弓矢と短刀持って、腰から数珠繋ぎに怪物の首を誇らしげにぶら下げて、
血みどろになって歩く勇者が主人公のRPGとかいかがです?
誰か作って!!