• 現代ドラマ
  • 現代ファンタジー

小説の書き方全般。

長編の書き方および短編のコツ等々、自由闊達に書き込んでください。


①あくまで参考にするだけで、どれを取捨選択するかも自由

②初心者の方は混乱なさらないように

③ ①②を踏まえ、特殊でも些細なことでも森羅万象すべてが参考になると思いますので、思いついたら自由に書いてください。

④性質上、一旦書いてもらったものはコピーして上方にもっていく性質のコメント欄になります。

49件のコメント

  • 創作論・技術論はカクヨム上にも多種多様に存在するので、小説を書く「感覚」の話をします。

    私にとって小説を書くことは、降ってきたり湧いてきたりするものではなく、「既に体験したことを思い出して書き起こす」感覚です。
    さらに言えば「書き起こす」ことは、役者としてその物語を「演じる」感覚です。

    演じるための素材である「体験」とは何か。むろん自分自身の体験ではなく、登場人物(特に私は歴史物をよく書くので、歴史上の人物)の人生の体験です。
    自分ではない人間の人生を仮想的に体験するための手段は、ひたすら資料を読むことです。阿呆か、というほど読みます。

    例えば、最近書いた『夢見るエンジン』(約10万字)の資料一覧が以下です。機械工学も戦時史も初めてなので、執筆期間より資料読みの期間の方が長かったです。

    ・鈴木孝『エンジンのロマン―技術への限りない憧憬と挑戦』三樹書房
    ・池田良穂『造船の技術』サイエンス・アイ新書
    ・門田和雄『基礎から学ぶ機械工学』サイエンス・アイ新書
    ・三田鶴吉『立川飛行場史』西武新聞社
    ・野沢正『日本航空機総集』出版共同社
    ・『世界の傑作機 (No.73) 「陸軍九五式練習機」』文林堂
    ・藤沢数希『「反原発」の不都合な真実』新潮新書
    ・小出裕章『原発のウソ』扶桑社新書
    ・『飛行機工場の少女たち〜女学生勤労動員の記録〜』(都立武蔵高女青梅寮生の会)のウェブバージョン。https://sensounokioku.jimdo.com/
    ・wiki、戦闘機等や太平洋戦争の専門サイト、戦争体験者のブログ、写真、動画、祖父が遺した書類

    資料を読み込むうちに、ぼんやりとした「書きたいな」から、その人物の人生を「体験した」という具体的な手応えに変わってきます。
    体験の手応えを得てからプロットを作ります。今回の場合、1章(1万2千~1万5千字程度)につきメモ帳1ページでした。思い出すための取っ掛かりという程度で、短いです。
    逆に、資料をさほど読まずに書けるタイプの現代ドラマや現代ファンタジーの場合、プロットを書く作業が「体験する」過程に当たるので、プロットは長くて詳細です。1回では不十分で、3回くらい重ね書きします。

    最初から最後までプロットを作り、話の筋道に曖昧な点は残しません。論理的矛盾はプロットの時点で潰します。ただし、登場人物の感情はロジカルではあり得ないので、「演じる」過程で、思わぬ方向に揺れることがあります。
    勉強ノートからプロットまで全部、手書きです。手を動かさないと、頭が働きません。

    体験を「演じる」感覚なので、必ず声に出して文章を確認します。文章のリズムは悪くないか、台詞回しは不自然ではないか、耳から入る音だけで意味が通じるクリアな文章になっているか。
    ゆえに、私の文章の主成分は「肉声」です。聞いて即座に理解できる簡潔な文章、舞台演劇のように熱量と緊張感のある文章、と分析されたことがあります。

    以上、長くなりました。
    主に長編の書き方ですが、短編も同じ手法・感覚で書いています。
  • 短編のコツ。

    短編において一番大事なことは明確なものに対する起伏の大きな流れを作ることです。

    何が明確であるのかは書き手次第ですが、それは例えば雰囲気であったり行動であったり心情であったり場面や出来事であったりします。
    昔話や近代の文学作品では、読者が最終的に「教訓」を得るのが好ましいとされていました。現代では当てはまりませんが、参考にはなると思います。

    明確なものに対して流れを作るとはどういうことか?
    それは物語の展開です。
    短編において物語の展開を丁寧にすることは本質的には向いていません。文字数の問題です。逆に言えば文字数以内で丁寧に説明しても収まるような内容である場合、文章量に対して内容が薄い可能性があります。

    では、展開を雑にするのか?
    それも違います。正解は無限にあるので一例しか挙げませんが、例えばテンポよく展開を行って納得してもらうことが解決策のひとつです。
    「話が長い」と言われるとき、話が長いのではなくテンポが悪いことが多いです。

    どうやってテンポよく書くのか?
    無駄な説明は省きましょう。無駄な描写は省きましょう。無駄なシーンは省きましょう。意味が伝わればいいので、必要以上に細かく描写する意味はありません。それが短編のコツです。
    また、必要以上に細かく描写することが目的の短編は手法としては例外です。基本と例外は分けましょう。

    起伏はどうやって作るのか?
    短編では語れる量に制限があるため、物語の起伏の大きさは大事です。
    まず、物語の原案をメモしてください。
    そこから心情の変化に関する説明を抜いてください。
    客観的な出来事だけの状態にしてください。
    そこで起伏がなければ読者には起伏の少ない物語として見えます。
    起伏の大きな物語は心情の変化だけでなく、その心情の変化と共に周囲の状況が変わることによって物語の起伏として認識されます。
    心の変化の機微は美しいですが、それは結局のところ機微であるがゆえに起伏としては小さいのです。作者には心情の変化がとても大きな起伏に思えてしまうため注意してください。読者目線で考えるのが重要です。

    以上、こんな考え方をしている人もいるなあ程度に。
    わたし式の短編のコツでした。
  • 誘われたので書きますね。自分自身は、苦手なことや迷っていることやわからないことが多すぎるので、本当はこうだといいんだけどなあっていう、どちらかというと願望です。

    1.脇役を書割(背景の絵)にしたくない。
     アクション映画で簡単にやられちゃう悪役にも家族がいたり青春時代があったりすんだろうなって思うんですよ。で、そういうのが書けるといいなあ。なるべく心がけたいです。できればひとりひとりに見せ場を作りたい。ミュージカルとかだと主要なキャストには必ずソロ曲があるじゃないですか。ああいう、そのキャラのイメージを代表する見せ場みたいのいいですね。まあ、あんまりやりすぎてキャラクターの紹介が並んでるだけになると本末転倒なんだけど。

    2.カメラの距離
     ぐっと寄って、逆に遠く引いて、みたいな。ぐっと寄った時は細かい動きだけでなく息づかいや汗や匂いを、引きの画の時は周囲の情景だとか。そういう描写が自在にできるといいなあ。難しいけど。気持ちをセリフで語らせるとか直接説明しちゃうのではなく画として見せたいです。常にそう思ってます(全然できてないけど)。でも、最近は「ひょっとしてセリフで語っちゃったり説明しちゃったりのほうがわかりやすいのかも」とも思い始めています。わかりやすさについては後述。

    3.自分のことは書かない
    私小説自体は面白いのもあるとは思う。自分のことは無理だなあ。自分のことでどうにかしないってなると調べないといけないんだよね。「調べて書く」が苦手なんですよ。最近は色々挑戦してるけど、正直、あまりうまくいってません。調べるの大変だよ。氷月さんも含めちゃんと調べて書ける方、本気で尊敬します。まあでもあれか、文系の学問ちゃんとやってりゃ「調べて書く」はそんなに負担でもないのか。学生時代もっと真面目に学問しておくべきだった(反省)。

    4.わかりやすさについて
    わかりやすいって大事な話だと思うんだけど、本当に難しいですよね。自分は比喩とかお約束とかあんまり使いたくないんですよ。そういうのって前提が共有できていないとまったくわからないじゃないですか。なんだけど、共有している前提があれば比喩でもお約束でも非常にわかりやすい。でもでも、自分はそういうわかりやすさではないわかりやすさに憧れます。理解不能なものが理解不能なまま提示され、理解不能なまま受け入れられる(もしくは拒絶される)、そういう話が読みたいし書きたい、です(現状、自分にそんなことができているとはまったく思えない)。

    もっと書かないとなあ。書かないとうまくならないですね。書く量が全然足りない。最近はつくづくそう思います。
  • プリンぽんさんおひさです!

    既にほかの作家様がポイントをお書きになっていますので、僕の方からは、イロイロと自分が書く上で、プロ作家さんや編集さんから指摘されたことで、皆様の参考になりそうなことを以下羅列してみます。

    内容はプロを目指すための「ワナビ」向けになります <(_ _)>

    ですから、これから賞に応募する、あるいは新作を書いてプロを目指す方の「ヒント」となれば幸いです。



    1>コンテストや賞の応募について。

    まず、どんなに優れた作品を書いても、その「賞やコンテスト」にマッチしないと、受賞は困難です。

    編集さん等とお話してると。
    「せめて募集している雑誌や、過去受賞した作品には目を通してほしい」とのご意見でした。

    最近は応募作品のレベルが上がっているのに「ウチのレーベルには合わない」作品の募集も増えているそうです。

    ここは、最低限? の礼儀のような個所だそうです。



    2>カテゴリーやジャンルについて。

    「小説」と一言でいってもカテゴリーやジャンルは多義にわたります。
    そして、「賞やコンテスト」の審査ポイントも、このカテゴリーやジャンルで見る場所が変わってきます。

    此処ではおおざっぱにカテゴリー別のポイントをあげてみます。


    「純文学系」の応募の場合は、

    <文学小説ルール>からはみ出した文章を入れた場合、そこで選考から外されます。例えばラノベで多用される「記号的表現」は、入れた瞬間にアウトです。
    また、テーマに芸術性が認められるモノが入っていないと、高評価が得れません。一般的には「愛」や「憎悪」や「友情」などの人間的な感情です。


    「大衆文芸」の場合は、

    文章的な書式に大きな縛りはありません。
    もちろん、日本語が間違っているのは論外ですが……

    ただテーマに「新しさ」が求められるのが特徴です。
    この商品は売れる! と、出版社側が感じるモノがキーになるので、
    時流ネタ(最近話題になった事件やニュース)やトレンドを上手く利用しないと、評価を得るのが難しいです。



    そして「ラノベ」ですが……

    これはご存知の通り「読みやすさ」「テンポの良さ」が命で、「記号的表現」「会話文」が多用されないと、構成が成り立ちません。
    またラノベ特有のトレンドが存在しますので、そこから大きく外し過ぎると、同じように高評価が得れません。



    また、ジャンル「ミステリ」「恋愛」「ファンタジー」など、トレンドや作法上のルールが存在するので、事前に書きたいものの調査が必要になると思います。



    >最後に、テーマの「ニーズ」について。

    「賞やコンテスト」に応募する場合のテーマとして、

    「今読者が見たい主人公の『主張、思考』が共感できるか。
    実社会などで倒したい敵『社会的問題や読者にとっての悪』が存在するか。が、ニーズの決め手だそうです。

    例として言われたのが、
    「ジェームズ・キャメロンは、今映画を見たい人が感じる『強力な敵対者』さえ表現できれば、それが遭難・恋愛でも、宇宙人・バトルでも、映画はヒットする」

    と、言ったそうです。

    タイタニックやアバターの監督さんの言葉ですが。


    ですから本当に共感できる、読みたいテーマを「作者」が見つけれるかどうかが……

    「賞やコンテスト」に応募する際のポイントになるようです。


    長々と書きましたが、上記は投稿作品を作る上での注意点…… トレンド? の様なモノです。


    まったく無視しても問題ないと思いますが、何かの一助になれば嬉しいです <(_ _)>
  • 全然、こんなの書けるほどちゃんとしたお話が書けている気はしないので遠慮していたんですが。でも、だらだら書いている人の話も参考になるかもしれないので。
    えーっと、お話を書くと決めたらそのお話用のノートとちょっと大きめの付箋紙を用意します。
    それで、まずノートに大体の流れを書きます。1ページぐらいずつ間を開けて。流れは一行の時もあれば、結構しっかり書く時もあります。でも8割ぐらいのページは他の人が見ても真っ白です。
    歴史ものを書く時には、年表も作ります。
    そして、そのノートと付箋紙はできるだけどこに行く時も持って歩きます。
    シーンや会話を思いついたら付箋紙に書きます。
    調べるべきことも思いついたら1アイディア一枚で書きます。そして、ノートの中の該当箇所に貼っていきます。
    時々、話の流れで入れたかったエピソードが移ったりする時には、付箋紙を動かします。
    子供を公園で遊ばせている時や、歯医者の順番を待つときなど、ちょこちょこ付箋紙を埋めていきます。
    「これならエタらない」と思えるくらい付箋紙がたまったら、書き始めます。本当はストックを作るべきなんでしょうけれど、書けたら書いて出していくかなあ。
    あと、長編に取り掛かっている時は出来るだけその時代に関するラジオ番組やオーディオブックを家に流しています。妙なことがイメージをかきたてるので。
  • [短編は書けないので長編に限らせていただきますm(_ _)m]


    ●私はもともと、全体テーマがぼやっとできて、冒頭の文章が浮かんだからさっさと書き始め、書きながら考え、興が乗ってはじめて自分で「いいな」と思えるものができてくる、という執筆タイプです。

    その代わり、勢いで全体を書くのでダメなところが多々あり、あとから何度も直していく必要が出てきます。
    致命的なのは、ラストがろくに決まっていないのに書くので、しっくりした終わり方にならない時。
    学生時代などは純文学系を書いていたので、このやり方でもまだよかったのですが(といって何かの賞に通ったわけではない)、ストーリーものだとオチが決まらず四流作品になり、ほんとに時間と労力の無駄になります(涙。

    ラノベ、ライト文芸ほか、大衆文学系にはお勧めできないやり方でしょう。
    昔の西洋の小説家が「精霊が降りてくる」なんて言って、なんだか人知を越えた感じで魅力的なんですが、それに頼って書くのは無謀というものです。
    というか、今の書き手はそもそもそんな書き方をしないでしょう。

    今ウケるようなものは、魅力的なストーリー展開がはっきりあって、ラストがすかんと(ある種)気持ちよく決まっているものでしょうから、事前にそうしたものを決めてから書くことが当然とされているのではないでしょうか。

    (ちなみに、純文学と大衆文学という分け方自体、今では社会的にはっきりしていないようですが、自分の中ではきっちり決まっているべきだと、書き手ならそうでなければいけないと思っています。私は文章を読んで、「これは非常に純文学に近い大衆文学」「これは芥川賞受賞だけど確実に大衆文学」などと、勝手にしかし絶対的に決められます)


    ●自著『フクシノヒト』の場合、編集部との企画もので社会的テーマがあったので、関連本をいくつか読み(全部読んだのは1冊)、取材を4時間したぐらいで、全体の構想を練って書き始め、要所要所で資料に当たりつつも一気呵成に書き進める、という方法でした。

    そうしてできた第一稿に対し、編集部から様々要請が来て、あとの部分を最初に持ってきたほか、けっこう重要と位置づけていた登場人物を削除して書き直すなど、大幅な改稿をしました。
    当時は筆がかなり速かったので、数日で改稿して、また編集部に提出し、少しの訂正依頼があって……ということで実質一か月もかけずに脱稿した記憶があります。


    ということで、人(編集者)の知恵を借りて完成した作品です。
    とはいえ、初稿と完成稿とどちらがよかったのか? はわかりません。
    初稿はかなり笑いの要素が多く、酒飲んでわははの部分はもっと長くありましたし、社会派的深刻な要素が少なかったと思います。

    おそらく、現在の形の方がうけるでしょうし、まとまっているでしょうし、売れるものになっているとは思いますが、初稿にも「降りてきて書いた」勢いのよさはあったことでしょう。

    当然ながら、そうした「良さ」は本にも残っており、その点を評価する評も多くあります。
    残念ながら私の場合、興に乗って勢いで書く、というやり方は必要不可欠、というか宿命のようです。

    今度書くときは、全体構想をしっかり練り、そのうえで興に乗れれば、ある程度はいい作品になるのではと思っています。
    それでも、「前よりは」あらかじめストーリーを練っておこう、というくらいのものです。
    これは私の書き方として、仕方ないものかもしれません。自分のスタイル、というものなのでしょう。


    ●長編推理小説を書いたときは、当然ながら全体を通すトリックははっきり決めました。
    主要人物の設定もけっこうしっかり決め、ストーリー展開も作っていました(B4用紙一枚でしたが)。
    しかしいざ書き始め、筆が進んでいくと、登場人物が勝手に動き出し、そっちのほうがいいなと思い、人物もストーリーも変わっていきました。
    結局は、これです。こうなってしまうのですね。
    逆に言うと、私にはあらかじめストーリーをきっちり作る能力がないということになります。


    ●こうして考えてくると、いま小説を書くにあたり必要不可欠なのは、やはりストーリー作りの能力ではないかと思うのです。
    「興が乗って思った以上のことが書ける」なんてことは、きっと普通に誰にでもあることで、私のように事前にストーリーがしっかり作れず、興に任せて書いていては、せいぜい「ここ」どまりで終わるということではないかと思います。

    これまでの私の文章を見ても、重複もあり整理されておらず、こういう文を書くだけでも、流れで書いてるなー、と我ながら思います。
    やっぱり、頭がよくないとダメです。つくづく思います。



    以上、まとまりなく、しかもなんだか愚痴みたいになってしまいました。
    ほとんどお目汚しで申し訳ないですが、もしや参考になれば幸いです。。。。。。
  • 物語を書くとき失敗しないコツは、見える範囲だけを描写する事です。余計な設定はつけない。つけていても描写がされていないのであれば後で訂正が効きます。矛盾を回避するにはこれが一番確実でしょう。キャラすべての行動原理をしっかり決めましょう。全員が可能な限り最善の行動をとるようにしましょう。その上で起きても不思議ではない程度の運不運を入れればストーリーは勝手に転がって行きます。敵対するキャラクター同士がいれば勝手に彼らは死力を尽くして戦ってくれるはずです。配置の仕方にだけ気を配りましょう。
    後はもう一つ。語彙力が重要ですね。
    同じ物事を表記するのに何種類もの言い回しができるだけの幅広い語彙力があれば、文章を書くのに大変助けとなります。
    細かいところは気にせず一度全体を仕上げます。
    その後読み返しておかしなところを直していきます。間違えるのは当然の事なので気にせずに。
    一通り修正を施せば物語は完成します。
  • 小説を書くコツは私も模索中ですので現在のやり方を書かせていただきます。

    まずはテーマを決めますが、これはほとんどフィーリングです。こういうものを書きたいな、と散歩しながらでも思い浮かべます。
    テーマが決まったら資料集めです。とにかくそのテーマに則した資料を集めて読みます。私は基本的に二、三のテーマを常に持ち、その資料を読んでいます。普段から資料を読んでいれば基礎体力のようなものがつくと思います。
    資料をある程度読みましたら、今度は資料整理です。ノートを一冊用意し、その一冊を丸々使い切るくらいまで書き込みます。
    だいたいこのときにプロットも作ります。プロットを作ってそこに資料を付け加える、といったやり方です。そして一冊のプロットノートをつくり終わったら、小説を書き始めます。
    現在私が書いているのは歴史小説ですが、歴史小説を書くときは事実関係の整合性を重視します。歴史小説は事実も大事ですが、わからないところは想像で補います。事実の嘘の中間のような話が歴史小説だと思います。

    また、ファンタジー小説などのラノベを書くときはテンポと読みやすさを重視します。
    歴史小説などと違い、ラノベは過度な描写や長いセリフは嫌われると思います。さらっと読めるくらいがちょうどいいのではないでしょうか。

    とりあえず考え付く限りではこのへんですかね。
    また何か思いついたら書き加えます。
  • 内容が内容なので問題が起こったら消すかもしれません。
    書く情報について

    ネット小説、特にファンタジーで顕著に感じられることの一つに「読者が原典や元ネタを全く知らないことを前提に書いている」ことがあげられます。
    有名な武器を例とします。グラム、エクスカリバー、グングニル、ミョルニル。ファンタジーが好きな人、いえ、教養がある方はそれぞれがどのような神話に出てきて、どのような武器であるかを知っているでしょう。
    ミノタウロスと言えば人の体に牛の頭です。住んでいるのは迷宮です。常識と思うかもしれません。
    しかし、ネット小説ではそれらは「読者が知らない」という前提で書かれます。
    太陽が西に沈むことさえ「読者が知らない」という前提で書かれます。
    一般小説なら「太陽が沈むのをみなが見ていた」と書けば、西を向いていることになります。
    でもネット小説では「太陽が西に沈むのをみなが見ていた」と書きます。明らかに冗長ですが、ネット小説ではこちらが主流です。
    もう気づいたかもしれませんが、グラムを出すときは「グラム」ではなく「ものすごい切れ味の剣グラム」と書きます。「ミノタウロス」は「体の上には頭の代わりに牛の頭が! それに斧を持って、迷宮を徘徊している! あれはミノタウロス!」と書きます。
    基礎教養を前提にしないのです。例え教科書に載っていようと、歴史上の有名なことでも、全て「読者は知らない」という前提で書くのです。
    これは、学校教育がある程度の層に対して機能していないということも示唆していますが、今はもっと大切なことを推測すべきです。
    そう、ネット小説を書くにおいて、読者が教養として持っているものは何もないと考えるべきなのです。
    織田信長? 名前だけ知っている可能性が高いので説明すべきです。尾張? どこか知らないはずなので現在の地名で説明すべきです。現在の地名? 知らないはずなので、本州の東のほうとか、そんなレベルでもいいので説明してください。下手すると本州について説明を入れたほうがいいかもしれません。
    この文章を読んで、何を言っているか分からないかたは、小説家になろうなどで異世界ファンタジーなどを読んでください。そして、教養が必要になる場面を探してください。必要になるのは教養ではなくゲーム知識や、槍は長い武器とか、その程度のはずです。

    書籍で通用するような文章を書くかたは、まず読者を信頼します。ある程度の教養を持っていることを前提に書くはずです。教養を外れそうなら説明を入れるはずです。
    ネット小説では多くの読者に読まれることを目的にするとき、読者の教養はゼロと考えてください。
    読者の教養をゼロと考えた場合、あなたが思う「程度の低い内容」になります。でも、ネット小説において期待できる教養がゼロである以上、程度の低い内容になるのは状況が生み出す帰結にすぎません。

    ネット小説に書く情報は、教養がゼロの人、太陽が西に沈むことを説明する必要がある人向けに書いてください。
    それだけであなたの作品を多くの人が「読める」ようになります。
  • 私の場合。
    書き方のコツ、などを意識して執筆しているわけではないですが、上記、石宮さまが書かれているように読者の方への情報の提供の仕方には気をつけているところがあります。何もないフラットな状態からスタートして自分の描く世界をこつこつと丁寧に説明して情報を積み上げていく。それをいかに重苦しい“お勉強”の状態にならないように書くかは作者の匙加減が必要なところかと。人物の紹介一つをとっても、一度に何人もの情報が出てきては混乱します。私自身が、読み手としては一度に情報を把握しきれない質なので、提示する情報量に関しては留意しています。

    執筆のスタイルというか、ネタ出しに関して言うならそれはもう、日々アンテナを張り巡らせているタイプです。テレビであれ本であれ景色であれ、ふとしたときに湧いてくる諸事案をとにかくノートに書き留めていく。没になる件が山盛りあって、でもそれをものともせずに箸にも棒にもかからない雑多なアイデアを量産していく。
    そのうちにふと、それが真珠の首飾りのように連なって物語に変わっていく時があります。(というとなんかかっこいいみたいに聞こえますが実際にはうんうん唸ってひねり出すことの方が多いかも(笑))
    大筋が決まったらそこから細かなエピソードを立ててそれをさらに細かく物語に仕立てあげていく。これがプロット作業になります。プロットは文章ではなく図面に近い。年表のように縦に時系列の事象を並べ、そこに矢印や吹き出しでそれぞれに盛り込まれている要素を書き加えていく。伏線とその回収所などもこの時に配置しています。
    そういうふうに、いろんな思考やエッセンスやを組み合わせて物語を作るようにしています。単一なテーマだけでは行き詰まることも多く、読者の方も飽きがくるかもしれないと考えていますので。
    長くなりましたのでこの辺で。何かのご参考になれば幸いです(*^^*)
  • ☆☆☆☆☆個人的に非常に参考になるかと思い紹介します。

    坂東蚕、氏著 

    Web小説が書籍化されても、同じ小説とは限らない
    https://kakuyomu.jp/works/1177354054881145538

    ☆☆☆☆☆

    カクヨム内の作品につき作者検索からもお読みいただけます。
    小説を読む媒体、発表する媒体が多種多様になった今日の状況下、紙媒体にしか接してこられなかった方、ネット小説主体でやってこられた方、その双方に戸惑いや悩みがあると思います。どちらに重きを置くかはさておき、”違う” という現実に目を向けて、自身の創作に対峙するきっかけとしてご一読をお勧めいたします。

  • プリンぽん様。ツイッターではお世話になっております。
    ダルマ班長こと、南風禽種と申します。
    カクヨム様で、『破壊の天使』と『少女と剣と裁きの女神』という長編を2作、連載させていただいております。

    長編や短編の書き方については、すでに投稿された皆様が持論を披露しておられますので、私は校正者という仕事柄、「校閲」と「改稿」について述べさせていただきます。

    まず校閲ですが、校正が原稿通りにできているかを確認する作業であるのに対し、校閲は特定の原稿がなく、ただ「事実と相違ないか」を確認する作業であるという前提があります。

    例として、ファンタジー世界でよく登場する「両手剣」ですが、実際にはどんなものだったのか、使われた背景、使用された戦役、その勝敗など、それを詳細まで調査し、もし作中で誤った描写や使用法が見いだされた場合、徹底的に指摘します。
    例えばスイス傭兵が使用した「パイク」という長い槍ですが、あれは社会情勢を変化させるほどの影響を後世に与えました。最低限そのことを知らずして、小説に登場させるわけにはいきません。

    また、例えばカール大帝を主人公にした歴史小説を執筆する場合、カールをはじめとした登場人物の実際の生涯はもとより、彼らが生きた中世という時代背景、社会情勢、経済や軍事、キリスト教などの宗教思想、庶民の生活や風俗、そして「カールは還暦まで読み書きができなかった」などという裏話までしっかり調べて、もし誤りがあれば指摘します。
    それがたとえ、架空の蛮族が登場する「IF戦記」や、『ローランの歌』にも似た荒唐無稽な寓話のたぐいであっても、彼らの時代をとことんまで理解できていなければ、そもそも彼らを主人公にした物語は書けないはずなのです。

    そして改稿について。
    どこにも発表していない小説ならいいのですが、いったん投稿した作品を徹底的に改稿することは、読者への裏切り行為だと考える方もいらっしゃるかもしれません。
    結論から申せば、そんなことはまったくありません。
    むしろ物語の流れさえ変えなければ、どんどん改稿して、内容をレベルアップさせていくべきです。
    実際私も、一度読んだ投稿作品を半年後に再び目にしたとき、流れも文章も格段によくなっていることを目の当たりにして、また最初から読み直した経験があります。

    改稿する際にするべきことは、
    ・誤字脱字の根絶(これは必ずやる)
    ・文章作法を整える(段落、カギ括弧の使い方、助詞や助動詞、表記揺れなど)
    ・物語の流れが唐突であれば、中身を書き足してスムーズにする
    ・校閲により、事実に即した内容に整える(前述)
    ・句読点、名詞の連続、差別用語(または不適切な表現)などを見直す
    ・回収できていない伏線を処理する、または新設して厚みをつける

    改稿する際には普通紙にプリンタで出力し、赤ペンを片手に朱を入れまくる方が多いようです。
    私はPCの画面ではなく、一度投稿したものを読み直す、または出力したものを読み、気がついたら手直しをするという手法を取っています。
    要するに、普段執筆している環境とは違うものに表示して自作を読み直すと、自分の作品でも不思議と客観的に読むことができるのです。これはマジでお勧めです。
  • 私の場合、テーマらしきものを持ったら、それを主題として心の隅に置いておきます。

    章に分けて、その主題を基にした変奏曲として話を作る感じです。

    決まったやり方はまだ見つけられていません。

    というか、私、作曲はまだやってないんですけどね……

    失礼しました。

    ありがとうございました。
  • いつもお世話になっております。
    Twitterアカウントはカケル君(省略)です。
    こちらのページには興味深いことや参考になることが書かれており、他の方のご意見を拝読して大変勉強になりました。
    頂くだけだと申し訳ないので、感謝の言葉と共に、拙いながら私がこの一年で小説を書いてきて気になったことを述べます。

    1. 短編について

    本当は長編を書く前に短編を沢山書くべきでした。
    短編を書いてみて初めて自分がどう書くべきか分かった気がします。

    無駄を極力省き、できるだけ短く起承転結させるのは巧みの技です。
    上手な方は起承転結の転結がとてもうまいですね。
    読者をあっと驚かせて納得の締めを行います。

    2.長編について

    長編は短編の集合として書くべきです。
    現代社会の忙しい読者は時間をかけて面白くない文章を延々読んだりしません。1ページ1ページで読者に新鮮な驚きを与え、可能であれば一文一文に魂を込めて読者に思わず朗読させるような文章が望ましい。それができれば正しくプロでしょう。

    ネット小説と紙面小説の違いとして注意すべきことは、ネット小説はなるべく連載数ページ以内に盛り場を持ってくること、紙面小説は後半に掛けて盛り上がるようにすること、です。

    特にネット小説を書く際に注意すべきことは、読者はスカッと胸がすくような展開や逆に重々しい展開など、何らかの欲求不満を解決して気分を変えるために来ているということです。
    書き手は読者にどのようなサービスを提供するか考える必要があります。
    エッチな気分にさせる、無双で良い気分を与える、ほのぼの癒し気分にする、など目標を決めるとそれは読者にも伝わります。
    凝った文章を書くより、上記点を踏まえてサービスするつもりで書いた方が受けが良いです。

    3.コンテストについて

    私は趣味で小説書いてるだけですが、社会人経験から言わせて頂くと、プロの仕事は芸術作品を作ることではなく、個性を殺してクライアントに応えることです。
    コンテストは自身の芸術作品の発表の場所ではなく、企画者の要望に応えるコンペだと考えた方がいいのでは、と最近は思います。

    小説家というと夢のある職業に見えるかもしれませんが、金銭のやり取りが発生する以上、サラリーマンと同じように上司や顧客、この場合は編集者や読者に振り回されるでしょう。
    そこには夢のないしょっぱい現実があるばかりです。
    せめて小説の中くらいは夢を入れてあげてください……。

    4.文章作法について

    誤字脱字は基本的なこととして、出版業界のルールなのか、素人にはおかしく思える規則がまかり通ってますね。
    例えば三点リーダー。webに関わるものとしては、デバイスやフォントの種類によって見え方が異なるので普通に「・・・」にしようぜと言いたい。
    紙面とwebは思想が違うので、もっと自由な表現をしてもいい。
    ただ、紙面もwebも両方の知識を持って初めて自由に表現できる訳で、半端な初心者は大人しく文章作法をググってそれに従うのみです。

    文章規則や単語の使い方などは、気にしたらキリがないくらい色々あるので、こうして書いている今もおかしな表現を使っていないか戦々恐々としています。
    駄文なので指摘しないであげてください……。

    5.最後に

    ネット小説は途中でエタる方が多いので、何はなくとも書き続けようぜと言いたい。素晴らしい小説を書こうと意気込まないで、もっと足元を見て、日記くらいから始めてもいいんじゃないでしょうか。皆理想が高すぎるよ。
    幸せって何かって、読んでくれる人がいることじゃないでしょうか。


    以上です。
    心に浮かんだよしなしごとを書き綴っただけですので参考にはならないかもしれません。
    このような勉強になる場所を用意して下さったプリンぽん様に感謝を捧げつつ筆を置かせて頂きます。
    ありがとうございました。
  •  御誘い頂きありがとうございます。

     小説の書き方みたいなことですか? テーマを決めて、起承転結を考え、プロットを書き、キャラクターを決めて、資料を集めたり、日本語をきちんと丁寧に……てなことはみなさんお解りでしょうからどうでもいいですね。

     ええっと、北野武監督の第1作『その男、凶暴につき』ってをご存知の方も多いと思いますが、私、これが大好きです。忘れた頃に、何年か間隔で何回か見てますけど、この「この映画何なんだ?」っていう得体の知れない面白さは独特です。
     作り方ははっきり言って無茶苦茶です。不要なシーンがてんこ盛りですし、普通ならあり得ない撮り方もいっぱい出てきます。撮ってみたら尺が足りなかったからって、延々犯人と刑事役のたけしが追いかけっこするってシーンを入れたりしてます。
     あんなの素人でなければ撮れません。その後も北野武監督は評価の高い映画を撮り続けますけど、どんどん映画がうまくなり、つまらなくなったとは言わないけど、無理に北野風映画を撮ろうって感じの映画が多くなりました。

     北野映画評はともかくとして、『その男、凶暴につき』はどうしてあんなに面白いのか。単純な話なのに、ど素人の北野監督は映画の作り方なんかよくわからず、好きなように思いつくままに撮ったもんだから、誰も見たことのない映画になってしまったんです。
     元々、深作欣二監督で脚本家も野沢尚で進んでた映画企画だったから、北野監督は運にも恵まれてました。すでに出来上がってた企画を、自分の撮りたいように撮るだけだったのです。構想から何から自分で考えるのとは違って、ストーリーみたいな骨になる部分はしっかりしてたんですね。

     何が言いたいのか。肝心なことって、こうすればどうとか、こうすべきだとか、そうした作法的なことではなくって、【好きなように書きたいように書く】、それだけなんじゃないでしょうか。ただそれは実は一番難しいことでもあります。どうしても他の上手い人の作品を気にしたり、ネットだとPVを意識せざるを得ませんし、小説の書き方サイトみたいな作法的なことも気になるし、みたいな。

     それはそれで致し方のないことでもありますし、否定されることでもありませんが、志として【好きなように書きたいように書く】は必要不可欠だと思います。
     だから、『その男、凶暴につき』は面白いんです。まさに「好きなように撮りたいように撮った」マインドだけで出来てるみたいな映画だから。

    【好きなように書きたいように書く】だけで面白い作品が生まれるとは限りません。だけど【好きなように書きたいように書】かないで何が面白いんでしょうか? それだけははっきりしてると、私は思います。

    ――というようなことをダラダラと、好きなように書きたいように書きました(笑)
  •  自分はあまりプロットを練ったり、設定に凝ったりするタイプではなく、なにか、ふとしたきっかけでモヤモヤとした言葉の塊から物語が生まれるタイプです。
     現在書いてる作品も、たまたま観ていた映画のワンシーンを元に膨らませたものだったりします。
     物語が生まれるきっかけは、そんな感じかな。
     本当に簡単なプロットを切り、そこに必要な登場人物を創る。
     それも簡単に身長はこのぐらい、見た目はこんな感じ、といったかなりいい加減なものです。
     キャラクター造型に凝ると、そこで満足して本編で活躍しなかったりするからです。
    『コイツは、こんな必殺技を持ってて、ピンチの時は、これを使って脱出するんだ』
     なんて創っても、そのシチュエーションに物語を持って行かなかったりするので、その設定を練った時間が無駄になる。
     と、いう経験を何度かしてやめました。
     性格設定も流動的なんだけど、このキャラクターはこれだけは絶対にしない!!
     って、事だけ決めて書きます。
     キャラクターに変な特徴をつけて、それが効果的でなかったり、または新しく面白い設定を思いついたり、もしくは邪魔になった場合は躊躇する事なく、それを削除します。
     そのキャラクターが主人公で、物語の冒頭から、その特徴が露わになってる場合も第一章に遡って削除してます。
     完成されたキャラクターを動かすというより、物語を作りながら肉付けをしてゆく感じですね。
    『主人公には弱点を、悪役には欠点を』
     これはマンガ原作者として有名な小池一夫先生の言葉ですが、自分も常々心掛けてます。
     ある程度のキャラクターが固まったら、あとはキャラクターが動きたいように動く様を書くだけです。

     舞台設定も流動的です。
     この世界観でキャラクターを動かすという感じではなく、キャラクターが動きやすい舞台を設える感じでしょうか。
     拙作でいえば、ドラゴンが暴れ回って、そこに住む住人が逃げられない舞台を用意しました。
     これは逃げ道の無い世界で、怪物に襲われたキャラクターがどう動くかを見たかったからです。

     自分は、まず文章を思いつくタイプなのでメモは必須です。
     常に携帯電話と、電池が切れた時の用心にメモ帳とペンを持ち歩いてます。
     そして思いついた文章を、片端から書き留めるように心掛けてます。
     なんの関連性もないセリフの羅列が、ある日突然繋がって1つ物語になったりするからです。
     文章を書き留めて数年後に、その時に書いてる物語の重要なセリフになったりもします。
     ああ、この言葉は、この物語のためだったのかと思ったりもします。
     自分に取って、死んだ言葉というのは無いようです。

     最後に1つ。
     裸で書くと気持ちが良い。

  • プリンぽん様のご好意に甘えましてこの場をお借り致します。
    本来、質問の場ではないのは重々承知しておりますが、プロット作製に関して皆様の取られている方法をご教示願いませんでしょうか。
    おおよそ長編がプロットの対象との勝手なイメージなのですが、ラストまでのシナリオを設定した上でエピソードを盛り込んでいく形式が良いのか、それとも一旦、各エピソード毎に纏め、拡張性を持たせた上で積み上げていくのが良いのか?登場人物の相関図は、理解出来るとして、ストーリーは、あらすじを纏めていくのが良いのか、はたまたフローチャートでポイントを抑えて置くだけの方がフレキシブルな活用が可能で良いのかなど、web上では、一般的な方法論を拾うことも出来ますが、それは、あくまでスタンダードな話です。
    プロットの書き方が、よく分からない、若しくはメモ書き程度の初心者にとりまして皆様にこれぞと言うお知恵を拝借出来れば幸いです。

    何卒、宜しくお願い致します。
  • >yu@様
    プリンポン様のTwitterを見て、再度お邪魔です <(_ _)>

    僕がLAにいた頃のシナリオスクールでの話ですが、参考になれば幸いです。講師は、ハリウッドの現役ライターさん達でした。

    プロットの最大のポイントは、自分が怒り(表現したい事)を感じている何かを、どう伝えるか。だと。

    最近の映画の表現方法では、それを真ん中(ターニングポイント)に持ってきて、セリフやシーンで表したら。

    その前(設定 (Set-up))、と後(解決 (Resolution))を積み上げて書けばいい。

    その際、真ん中の(対立 (Confrontation))は、最後に書かないと、時間の浪費になる。

    と言う話でした。

    これは、シドフィールドの3幕構成が基本の考えにあるので「設定、対立、解決」の構成が成されている場合の組み方になります。

    プロットは着地点を決めてから書くのが良いという、WEBなどの日本の記事を多く見かけますが、この着地点がラストシーンではなく、「前」でも「真ん中」でもOKなので(着地=ラストだと勘違いしている記事や参考書が多すぎる)
    表現のポイント(ターニングポイント)をどこに置くかを最初に決めて、そこから書くのが良いと思います。

    最初に着地点を置く小説も多いですし、最後に来る作品ももちろんあります。

    勉強のお勧めは、自分の好きな映画やアニメを、まずプロット化して、そのなかで作者が一番伝えたかった場所を探し出し、そこから切り崩す(あるいは積み上げる)を、繰り返してください。

    この勉強だけで、20作品ぐらいスクールで書き込んだ覚えがあります。

    映画シナリオの話ですが、参考になれば幸いです <(_ _)>
  • >yu@様
     そのプロットなるものを今現在こんな時間まで起きて苦しんで書いてる私です。初心者どころではなく、プロットなど書いたことない私が回答するのもおかしい話なのですけど。
     プロットって、多分ですけど、頭の中を整理して小説の設計図に具体化する、というイメージを持ってます。小説に起こすに当たって、必要な条件や内容を文章で書き起こして行く、とでも表現すべきかな。
     今私がプロット化しているやり方は、まずタイトル、ジャンル、作品テーマ、概要、全体的な流れ、などを書き出して行きます。それと並行して、主要キャラクターを設定して行きます。この並行作業は何度も修正したりしながら繰り返されます。そして、これらが小説を構成する「条件設定」になって行きます。例えば、登場人物がこういう性格ならば、こういう流れにならないといけないとか、その逆もあったりするわけですね。これら条件設定がしっかりしてないと、登場人物の性格があやふやになったり、流れがおかしくなったりしてしまうと思います。なお、テーマについても最初からガシッと定めてもいいのですが、私はそれも並行作業で決めて行ってます。
     これらがある程度決まったところで、決めた条件設定を元にして、あらすじ的ではありますが、一般に言うあらすじよりはかなり細かいストーリーを思案しながら書き起こして行く、というような感じでやってます。
     ここまでやらないといけないのにはそれなりの理由があるのですが、自分で小説書いて楽しむだけならやらないと思いますが、そうでもないのでやらざるを得ない。プロットすらまともに書いたことのない私なので、はっきり言って泣きたいくらいしんどい(涙)
     ただしここまでやると、確かに完成度はかなり上がる可能性があるという実感はありますね。
     でも、とりあえず自分で作品を作るためだけのものであるならば、自分が作品を完成させる上で、これで必要十分と思える程度でいいんじゃないでしょうか?

  • >yu@様

    コメント欄の初っぱなで長々と「演じる感覚」について書いている資料マニアです。
    私自身のプロットの作成法については、資料準拠の場合とそうでない場合、いずれも既に上に書いているのでここには繰り返しません。

    ぼんやりとしたプロット(というよりメモ書き)しか作ったことがなく、プロットとは何かの感覚がつかめないならば、1度、誰かに見てもらうのが早いと思います。
    斯く言う私も、友人とのゲーム作りの過程で、自分ひとりならばいい加減に流すようなところまでキッチリと設定を固め、まだ存在しない物語について他者と共通認識を持てるくらいにプロットを詰めた経験は、とてもいい勉強になりました。

    頭の中にあるボンヤリしたイメージを書き出して、他者が理解できるプロットに仕上げる、もしくはその他者の協力を得ながらイメージに骨を通して肉を付けていく。
    カクヨムとTwitterを使えば協力者は得られると思いますし、他者との共同創作は苦しい部分もありますが、ご興味あればお試しください。
  • >>yu@
    プロットは作ってません。思いつくままアドリブです。
  • >yu@様
     私もまだよくわかっていないのですが、現在は色々な作品の模倣から始めています。
     好きな作品でも、ちょっと気に入らない部分があった場合、それを繰り返し見ていると『私ならこうするのになぁ~』というのが湧いてくるので、それを膨らませていく感じですね。
     何かそう言うのを思い浮かべていると、時々書いている話のネタとして現れる感じがあるんです。元々物語の一部なので、ハマりやすいのかもしれません。
     今の私は、こんな感じでやってます。(^^)/
  • >yu@様

    特に本格推理小説はそうですが、ストーリーに非常な論理的整合性が求められるものは、最後(というか一番の盛り上がり、オチ部分)までプロットを作り上げておかないと、まず無理だろうと思います。
    この場合当然ながら、ストーリーを作る(プロットを立てる)過程において、各エピソードも作っていくことになります。
    私の場合、これをやらずに推理・サスペンス小説を書いて、長々書いたのにどうしてもすっきりした終わり方にならずボツったことがあります。まさに悲劇です。

    そこまでオチ(意外性)などが求められないストーリーならば、キャラクター、テーマ、大まかなストーリーなどを決め、始まり方が決まれば、あとは流れに任せてもなんとかなり得ます。
    この場合、どのような執筆方法をとるのかについては、人それぞれ向いた形があると思います。

    私は一応最後までストーリーを作ってしまうのですが、書きながら終始その先を考えていき、どんどんストーリーが変わっていくという形の執筆形態になっています。全体のストーリーを固めることができないため、こういう書き方しかできないと言ったほうがいいでしょう(いくらきっちり作ったつもりでも、書いていくうちに変わっていってしまう...)。
    どんでん返しなど夢のまた夢です(嘆。

    以上、ご参考までに。
  • >yu@様

    初めまして。
    私はプロットは

    1.登場人物を設定する
    主要人物の外見、家庭環境、成育歴(何歳頃にどういった出来事があって、それが人格にどのような影響を与えているか)、その結果として、どういう性格になったのか。総合的に考える。

    2.起承転結のエピソードを作てしまう
    物語はきっかけがあって、それが派生していき(承)、カオスになり(転)、何らかの結末を迎えるのですから、その流れを作者として全部把握しておく必要があると私は考えるタイプです。ですので、プロットの段階で詳細にエピソードまで考えます。

    3.ページを割り振る
    枚数制限があるのなら、書き出す前に起承転結にそれぞれページ枚数を割り振ってしまう。書き出してみて、予め割り振ったページ数に収まらないなと思ったら、収まるように書き直します。収まらないということは、余計な描写が含まれているか、ストーリーが脱線しかけた兆候として捉えます。

    そして、最後の一行だけは、その時の自分の中から自然に生まれ出てきた文章にゆだねます。

    あとは、このプロット(設計図)通りに黙々と模型を組み立てていく感じで書いていき、最後の一行を書き終えて初めて「完成!」の歓喜に浸ります。だから、書いている間は事務作業に近いです。割とつまんない。興奮しないです。

    プロットを作る人は、私のように小説を『模型』として立体的に捉えている。作らない人は平面のキャンパスに絵具で物語を描きなぐる『絵画』として感覚的に捉えているような印象です。

    どっちが良いかではなく、どちらの方が自分の性格に合っているかで考えればいいんじゃないでしょうか。

    ただ、プロになると、作家担当の編集者から上記した2番目ぐらいまでのプロット提出を求められます。そのプロットを編集者さんが企画会議に出して下さって、編集部からOKが出たら、「書いてもいいよ」と言われます。
    ですから、提出したプロットとは全然違う小説を書いてはいけません(当たり前ですけれど)。
    エピソードに関しては、初稿を提出した後に、自分を担当して下さっている編集者さんと「あーでもない」「こーでもない」と話し合い、足したり引いたりの多少の変更はありますが。

    商品として書くのであれば、プロットは必須です。
    この小説の原案を商品化するか否かの企画書の提出だと、ドライに割り切って書く練習(精神的なものを含め)を、おすすめします。
    企画書ですから【完成したら、こうなります】という形を明確に示さないといけません。「ラストシーンは書いてからのお楽しみなので、今の段階では言えません」では、突っ返されてしまいます。

    小説は自分が楽しんで書くものではなく、読んで下さる読者の方にいかに楽しんでもらうかに腐心するものなのだと考えるのなら、プロットは作る責任があるように思います(私個人の主観ですが)。

    先程ツイッターを確認したら、プリンぽんさんが私のアカウントにリンクを貼って下さっていたので、何かしらお答えしようと思い、書かせて頂きました。
    何かのご参考になれば幸いです。

  • >yu@様

    自分もド素人なので、プロットのうまい書き方とか本気で知りたいです……。

    自分は、他人に教えてもらった『シナリオの基礎技術』という本に書かれている「箱書き」というのを参考にしています。

    ただ、「箱書き」もしっかり書こうと思うと余計なことばかり考えて進まなくなってしまうという悪い癖が……。

    なので、最近は、ブレイク・スナイダーという脚本家の「ログライン」というのを書くようにしています。「ログライン」についてはググると色々出てきますが、要は「物語を一行にまとめた文章」です。煮詰まったらそこに戻って、ウンウン言いながら、物語の最後までざっと箱書きを書くようにしています(見切り発車することもあり)。

    しかし、本編を書いてる途中で横道に逸れたり煮詰まったり、調べなきゃいけない資料に気がついて慌てて調べたり、突然いい展開がひらめいてそっちに心が揺れ動いたり、そういうのはしょっちゅうです。なんとかならんもんか……。

    某プロの先生は「最初と最後だけ決めたら書いちゃえ」とおっしゃっていました。そっちのほうがいいのかも。ということで次の話はそうしてみるつもりです(始めも終わりも全然決まらなくて書き始められないんですよ……)。

    蛇足ですが、「これは!」と思ったアイディアは一晩どころか数晩寝かせるようにしています。その時は「最高だぜッ!!」と思っても、あとからよくよく考えるとそれほどでもないことが多いので。このあたりは『アイデアのつくり方』という超有名な本も参考にしています。

    といった感じでよろしかったでしょうか、少しでもお役立ていただければ幸いです。
  • >yu@様

    たくさんのご意見を頂いたうえでとっちらかすようで申し訳ないのですが、ここは独自論OKの場所にしましたのであえての参戦w

    私の基本的な考えは プロットなど存在しない です。

    は? いまさら何をいってんじゃ!って話なのですが、まずウィキペディア(Wikipedia)でプロットなるものを熟読してみますと、その多くの考え方の出発点は映画、舞台、なのではなかろうかとおもいます。
    もちろん小説の方が映画よりも理論体系などは先に考えられたとはおもいますが、ごく近々に限ってはです。

    私は小説の創作論での混乱は、実は 曖昧でとらえどころのないモノ や 自分でも把握できていない実態のないモノ を プロットというあいまいなもので誤魔化して主張、論理展開、方法として各自がてんでバラバラに主張したためではなかろうかと考えています。

    無論、小説の入門書を読めば、プロットという言葉は出てきます。
    みな声高にプロットの必要性を説き、あるいは変わったところでは否定しています。
    しかし、ではプロットの具体的な定義はなにか? についてはやはり曖昧にしているものがほとんどです。

    こう私が主張しますと、①プロットは人それぞれなのだから違って当たり前だ。②きちんと入門書にもプロットの定義がある。っと反論されるであろうとおもいます。

    ①しかし、人それぞれ違いはあっても中心に通る定義がないものに実態があると私はおもいません。
    そこが落とし穴であると考えています。
    いみじくも質問者の質問の中に、

    >ラストまでのシナリオを設定した上でエピソードを盛り込んでいく形式が良いのか、それとも一旦、各エピソード毎に纏め、拡張性を持たせた上で積み上げていくのが良いのか?

    っとあります。質問者本人もプロットには種類(違う方法がいくつも)存在していることに気づいています。もちろん、質問者の趣旨としては(どちらの方法が適切なのか?)ということなのでしょうが、そうだとしてもプロットというものに疑問をもちある程度、画一的なイメージを持ちたいと考えている質問者が無意識にプロットなるものが画一化されたものではないとの考えを同時に抱えている。ここに矛盾や問題点があるとおもいます。

    ②入門書でよく出てくるものに、因果関係の整合性、矛盾排除などがよく出てきます。これが一応定義づけで一番多くあるものかと。

    いわく、Aが起こったからBが起こった。Bが起こったからCが起こった。  です。

    でもね……ウィキペディアにも出てきましたが、ストーリーの中の因果関係だけを抜き出したこのようなプロットを作成している人が実際どれだけいるでしょうか? 私はそれほど多いとはおもいません。
    その多くない事例を論拠の中心に据えてプロットを定義、説明しているところが、そもそもの間違いなのではないでしょうか。

    もちろんそれが必要である場面はあるでしょう。
    回答者の方で述べられている方がいらっしゃいましたが、編集者に対するプレゼンテーションとしての存在。
    はたまた、あまりに複雑な内容のため、作者本人の把握の為に便宜上、作られる場合。
    これは時系列が余りにも複雑な場合に作成される時系列プロット、人物構成がややこしくて作られる人物相関図、最近のはやりで言うと能力別の関係性に関するプロットなどetc

    しかしこれはプロットの本当の実態だと言えるでしょうか?
    作品を書くうえで、その作品を書き上げるための適時、必要な手法に過ぎないのではないか?

    長編を書き上げる=マラソン   その為の作戦=プロットだとすると

    作戦① スタートダッシュでまわりの気力を失わせ、そのままゴール

    作戦② それでは持たないから、中盤までは風除けで前の集団を走らせて体力温存でゴール前で一気に抜く

    作戦③ 馬鹿馬鹿。コース取りとアップダウンを計算して自分のベストタイムで走ればおのずと優勝。他者を気にするから負ける

    ちょっとふざけすぎましたかw 

    それぞれの作戦にある一定の理屈が存在することは事実でしょうが、どの作戦が正解か? はありえないと考えます。

    だから私の考えは プロットなど存在しないです。



    おいおいw ですw ちょっと酔っ払って乱雑ですみません。
    しかし、プロットの存在がなかったとしても、プロットと言う言葉で長編小説を書き上げるために必要だと考えた ”なにか” と ”意義” についての実態は確かに存在していると私はおもいます。


    すでに回答者の方々が書かれていることばかりですがまとめると、

    まず作品全体を俯瞰で眺めることのメリットがあげられます。これがあるからこそ、

    ○その作品を書き上げるアプローチを選択(今回は3幕構成で中ほどから書いてみようなど)できる。

    ○作品全体のページ数の把握が容易になり完成に近づける。

    ○作品を通して貫くテーマを統一できる。大きな仕掛けを意図して差し込める。

    ○読者が理解できるように内容を整理できる

    などなどw 引用ばかりで申し訳ない。




    しかしデメリット存在することも確かで、実際、プロットを作らない方がいらっしゃいましたし、私もカクヨムで提示している2長編に関してはプロットを作っていません。
    それは自由度と意外性の兼ね合いがあるからです。

    プロット(あ! プロットって言葉を使っちゃってるw)を厳密に決めてそれを書こうとすれば、書いている途中のアイデアを殺すことになります。
    そしてプロット(また・・・orz) を念入りに作成することで練れた構成や整合性は生まれてもとっぴな意外性は意図しない限り減っていくのではないかとおもいます。


    だからプロット(もういやん♪)を作らないプロットもまたひとつの方法論であり、ミステリーをプロットなしで出発は確かにきついですがw やはりそれもおおいにありだとおもいます。



    以上、酔っ払って長々と乱雑に書きましたがw 
    突っ込みどころ満載でわけのわからない部分もたくさんあり、ほとんど回答者の方の引用で終始しましたが、今のところの考えをまとめてみました。
    実際、どのような形、手順で作成するのかは、回答者の方々のご意見を参考にしてくださいwwwww

    矛盾点などはどうぞご指摘のほどをm--m 


    それでは最後にかなり古いですが・・・「plot細胞はありまあぁぁす」 by 小保方










  • 皆様、お忙しい中プロットに関しての質問へのご回答を頂き誠にありがとうございました。今回プリンぽん様にご無理申しまして、この様な形式での投げ掛けをさせて頂いたのですが当初 は、漠然とした質問内容であった事もあり、ポイントを絞り込んだ上での再掲載も懸念しておりましたが、幸いにも皆様のご厚情を賜わり希望しておりました形でアドバイスを頂く事が出来ました。
    本来、執筆をされている方々の手法をご教示頂ける機会など通常ではまず考えられない事であるにもかかわらず錚々たるご歴々の皆様にご回答を頂き大変恐縮しております。内容に付きましても皆様が実際に苦労されている点や経験を踏まえてのお話もあり非常に興味深く拝読させて頂きました。今後、頂戴致しました多種多様なプロットの手法内容を現状の技量と照らし合わせ自分なりの方法を構築していきたいと考えております。
    今回ご助力いだだきましたプリンぽん様ならびにご回答頂きました皆様方には、心より感謝申し上げます。

    yu@
  • 書きたい内容に対して長くなりすぎないかを考えています。あとは中編~長編みたいなものを書こうとするときは、その内容が途中でモチベーション切れを起こさない内容ではないかについて考えます。壮大なプロットは考えている間は楽しくても、途中で自分が飽きてしまう事も。あとは一人称で書くべきか否かとか。自分が書きやすい文体で書くのも結構重要な気がします。あとは文章の調子が途中で狂わないように資料を読んだあとは、一度自分の文章の調子をみて思い出すようにしています。さもないと資料の文体に引っ張られて、急に「です・ます」調に変わってしまうことも。あとは細かい設定については文中で説明をはさむかエピソードで紹介するかは、早めに決めていますね。
  • >@sunoiseさん書き込みありがとうございます
    本来、場を提供しているだけなので顔を出すのはあれなのですが、近況ノートが見当たらなかったので失礼してm--m

    出張ったついでに、yu@さんへの文章への追記と@sunoiseさんの貴重な発言に対してすこしだけ追記としてm--m
    このコメントへのお返事はいりません。


    ★yu@さんへの文章への追記
    プロット作成で俯瞰で眺める効用のひとつとして、アイデアが浮かんだときにそれが作品中のどの部分のアイデアであるか明確になります。
    アイデアは理路整然とは浮かんできません。雑多です。
    書いている途中のアイデアを捨てるか生かすかのお話もしましたが、それならばいっそ、プロットを作成して位置決めをしてから暫く寝かし、出てくるアイデアをその都度、指定の位置に溜め込む方法があります。それならば、アイデアが出尽くしてからプロットを作り直す手間はかかりますが、整理された形のアイデアを使うことが出来ます。

    ★@sunoiseさんのコメントで触発されて言及

    資料文章を読んでしまったが為に文体がぶれることは以外に怖いものです。そのための回避手段として、特定の文章(自分の文章、理想の文体の作家さんの作品、すこしイレギュラーですが自分の文体ではないけれどそれを読んだあとになぜか自分の筆がすすむetc)を確保する方法があります。そのような作品を意識して手持ちに持つことは非常に有用だと思います。
  • @sunoise様、プリンぽん様

    ご回答ありがとうございます。今回頂きました内容は、まるで自分の置かれている現状を見透かされているような思いが致しました。人称の件もその一つで、そもそものお手本にした作品があり、一人称であった為、必然的にその形式で書き出す事となりましたが、意図せず他者視点を混ぜてしまい、ご指摘を受けた事もありました。今後の執筆には参考資料の必要性がありましたので、人称に関してもしっくりするものをプロット段階で設定する事を考えてみたいと思います。もっとも資料に基く説明が入る様であれば、地の文で進めていくのがスッキリと纏まる様な気はしているのですが。文体かぶれについては、ふたつ以上の小説を書いている時に初めて気付きました。シリアス展開なのに前の作品を引きずり、どうにも締まらない事になり、書くのを一旦やめました。ぜひ頂きましたリセット法を試させて頂きたいと思います。細かい設定に関しましては、今までほぼエピソードで差し込んできましたが、プロットを作成する事で話中に盛り込む事も可能な様ですね。エピソードでの差し込みならプロットにサブ枠を設定しておいての組込といったところになるのでしょうか。この方法ですと確かに追記したいアイデアなどが出てきた場合にも有効ですね。
    今回頂きました内容も自分に見合った方法で取り込ませて頂きたいと思っております。貴重なお時間を頂きありがとうございました。

    yu@
  • はじめまして、紫衣彪牙です。一ヶ月近く悩んだ末にちょっと書き込んでみようと思ったのでお手柔らかに…

    私が長編を書く時は以下の順で決めてます
    1テーマ&あらすじのあらすじ
    何を伝えたいのか、何を軸にストーリーを展開するのか。そしてどんな話を書くのか。これが決まらないと何も書けません
    テーマはいいですが、ストーリー概要は八割くらいは夢に見た内容で決めてます
    2年表
    作中の時系列を紙に書くなりして整理してから作業をします。どういう風にストーリーを進めるのか、伏線をどうするのか、はこの段階でざっくりと決めます
    3登場人物などを詰める
    この段階になってようやく原稿らしきものを書きます。キャラは基本直感で決めてますが、ほとんどは雑なイラストから外見や名前や性格を決めるようにしてます。あと、必ず欠点を持たせるようにしています
    4とりあえず完結させる
    詰めた内容に従って仮原稿を仕上げます
    それを元に修正箇所やタイトルを決めて、最後にあらすじとかを考えます
    ひどい時はプロットからやり直しします


    なんて偉そうなこと書いてますが、私もまだまだ勉強中です。お手柔らかにお願いします
  •  以前にも一度書き込んでおりますが、再度失礼いたします。古川モトイと申します。この興味深いテーマにコメントをしている方々が私を含め「商業的に成功した人間ばかりではない」というスタイルは本当に興味深い。これは嫌味でもなんでもなくて、「PCやスマホ」というワードプロセッサーと、さらに「インターネットと投稿サイト」というプラットフォームが成熟して、「文章で創作をする」行為の敷居が下がり、その様式も幅広くなった現況における「興味深さ」です。過去にはホームページと言う形で私的な小説を集積し、交流の場にしていたサイトがいくつもありました。私自身も過去には「NOVELSWORLD」というサイト(現在リンク切れ)で自作を公開させていただいておりました。自分のホームページに作品を載せて、そのリンクを共有するタイプのサイトでしたが、自分のサイトを持っていない人間はメールで管理人にテキストを送って、掲載してもらうと言う手作業感の強い仕様でした。しかし現在、利用されている投稿サイトの多くは機能が充実していて、タグ付けや再編集機能、読者や著者間の交流にいたるまで高度なシステムになっています。WEB小説が今後どのように発展していくかは未知数ですが、20世紀から「WEB小説」(当時、WEB小説なる表現はなかった)を投稿していた老人としては、これはもう至れり尽くせりです。若い創作意欲にあふれる世代がその意欲を爆発させる場所が存在している現状の素晴らしさと、それらシステムを運営する諸氏のご尽力を、私ごときが偉そうに申し訳ありませんが、この場をお借りして高く評価したい。

     今回、「短編、長編のコツ」といった事がテーマになっていますが、私自身は「中編」を意識して書く人間でそれ以上は書いたことがありません。一応、小説には 「小編(掌編)<短編<中編<長編<大長編」と分ける考え方があります。私の中では単行本1冊ぐらいで中編、上下巻ぐらいから長編、20巻を越え始めると大長編のような感覚ですが、これらは個人差がありますので、分量についての話はこれぐらいにしておいきます。とにかく私は中編までを目指す事が多いのです。これは私が兼業音楽家であることも関係しているのかもしれません。歌モノのポップスを作るときに、ほとんどの場合「10分越え」や「20分越え」は狙わないわけです(嫌いではない。私はあまりやらないと言うだけ)。音楽の場合、「○分○秒ぐらいで着地するぞ!」みたいなぼんやりとした目標があるわけです。実際にクライアント様から曲の尺を指定される事もあるので、作曲のモチベーションもそれに併せて用意すれば事足りるわけです。この感覚は私が文章を書く際にも流用されていて「○万字書くだけのモチベーション」という精神の感覚がぼんやり存在しています。他の方のテキストを読んでいると「書く前の設定資料集めのほうが長い」と言った文言も見られていて、私の場合も全く同じではありませんが「どこをどれぐらい準備したらモチベーションが確保できるかな?」と言ったのは確実にあります。そして、私のような凡人ではその感覚は失敗からしか掴めません。今ですら見誤るときがありますので、偉そうな事を書いていますが、途中でモチベーションを注ぎ足すような場合もしばしばです。この「○万字書くだけのモチベーション」という部分は、結構共有できるのではないかなと感じています。若干、以前の書き込みの焼き直しっぽくなっていますがご容赦ください。

     最後に私から皆さんへの質問ですが、私は小説を自分で書いてやろうと思う輩は大概設定マニアだと信じていまして、それら設定を「エピソードで書く」か「文書で説明する」かのバランスが私は結構重要ではないかと考えております。また、「作った設定の何割を作品中で明かすか」のバランスも結構重要ではないかと考えておりまして、正解は無い話だとは思いますが、もしお目に留まりましたら皆様のご意見も拝聴したく。ちなみに私はどちらも五分五分ぐらいが理想ではないかなと考えておりますが、結局、三分七分ぐらいになっている気がします。よろしくお願いいたします。

  • @sunoise様、はじめまして。
    普段はなろうで書いているものです。

    自分の作品も大概な設定だらけの作品なのですが、個人的には書かれなかった、説明されなかった設定は「無い」ものとして扱っています。

    これは舞台の裏側に当たり、謂わば読者が知らなくてもよい部分かと思います。逆に言えば読者が触れていない設定は使うべきではないという事にもなると思います。
    ちなみに自作「虚空の【セカイ】と魔女」は現在3割ほどです。

    さてそうした設定をエピソードであるいは説明で明かすべきか、というお話しですが、自分はエピソードで読者に触れて貰ってから、説明した方がよいと思ってます。
    人にもよりますが、いきなり説明だけで分かる人は少ないかと思います。だから、エピソードの方が自然だと思います。

    自作は最悪エピソードを追った方が分かりやすい形を目指しています。
    人間は感情で話を追った方が自然な気がするので。
  • @白川律様、ありがとうございます。
     最近はわたしもなろうで書いております。結局、説明されなかった設定は「ない」ものになるのはそうですね。私もエピソード先行で説明を入れるのは良い方法だと思います。
  • >>@sunoise様

    すこし難しい問いかけで、なかなか答えが出ない状態だと思いますので、ひとつ問題を大きく捉えて自分独自の考えを乱雑ではありますがm--m
    ※以下、小説の入門書で書かれている事柄を多々引用して、自分なりに勝手に解釈している内容です。


    「エピソードで書く」か ======= 「文書で説明する」か

    「描写」 ============== 「説明」

    「比喩 」 ============== 「直接描写=説明」


    問題をあえてもっと広く大きく捉えますと、作者がさじ加減と分量としてどれくらいが適切かを考慮し悩むことにはこのようなものがあるかと思います。

    これに関して言及する前に「説明臭い文章」「翻訳文」などと、”説明” に関しては前提としてもっぱらネガティブな印象がないでしょうか?
    これは小説を書き始めたときにはどうしても 説明 が多くなる傾向にあり、入門書などから学んでも、”より説明の少ない文章、表現”をすべきというのがあるからだと思います。

    その理由としましては、物語を小説として提供する目的が、論理的説明ではなく、読者に”体感”してもらうことにあるからです。
    ーー作者が一方的にその論理体系を読者に与えるのではなく、ストーリーや描写を通して、論理的に言語化しきれない部分も含めて、読者が追体験し体感することで 経験 するーーこのことが小説としてのあり方としてひとつの理想形であるからです。

    だから、説明に関してネガティブな印象を持ち、できうるだけ説明を排除しようと誰もが考えるて、それはそれで正しいことでもあるのですが、ここではあえてそこはフラットにしてみたい。

    説明とはそんなに悪いものなのだろうか?

    入門書をいくつか読んでいますと、
    (説明はストーリーを前進させる)
    (エピソード、描写、比喩、はストーリーを固定、停滞させる)
    との文章を目にする機会があります。

    今まで悪だと思っていた説明に違う角度で価値があると書かれていたもので、最初読んだときは私自身、目からウロコでした。

    つまり、
    物語上で説明が行われるとストーリーは進まざるを得ない。
    読者を引っ張って次に前進する推進力となる。

    逆にエピソードや描写、比喩は読者がそこに魅力を感じ、その場に留まりたい欲求が生まれます。物語は停滞します。

    アクセルとブレーキと喩えると少し軽率に過ぎますが、説明というものの効用と意義は確認できると思います。

    もうひとつ大きな効用としましては、説明にはブレが生じにくい、と言うものがあります。
    作者はストーリーを魅力的にする為に、ストーリーの上でエピソードを挿入し、描写し、比喩を用いるわけですが、それらが読者に作者の意図したとおりの同じ光景、同じ思考で伝わるかといえば、それはなかなかに難しい。
    あくまで両者は別人であり、考え方も違う。
    長い物語の流れの中で、作者と読者の見えているものが物語の当初からずれたまま大きく距離をとっていくことは不幸でしかありません。
    ブレを適時、修正する意味合いも含め、適切な説明は有効であることも多いのではないでしょうか。


    さてw
    ほぼ入門書に書かれている内容をタラタラと並べましたがw
    今日が小説書き始めの方もここを見ることも考慮に入れるということでお許しいただきまして、分量、比率、についてですが……

    作品によると言えば怒られますよねw

    ただ、小説はテキストを受ける読者があってのものであることは間違いがありませんので、一般書籍として書かれる場合、ネットで書かれる場合、そもそも読者を想定してそれを意識したとき、その比率はおもったより大幅に変わってくるのではないか? が今の私の印象です。
    私はどちらかといえば、自分の独自路線で書いて、想定される読者以外はそのまま、出来うるだけ近い人を引き寄せれば(そういった努力をしていかないと)という方針でやっていますが、やはり受け手がいて成立するのが小説である以上、それでは余りにも間口が狭く偏狭であろうかと最近、思うようになりました。

    比喩の分量やセンテンス、文体に関しましても、一般書籍をたくさん読まれた方は比喩が少ないと小説として物足りない、読み応えがないと感じる一方で見方を変えれば、比喩は思考を読者に強要する部分でありますので、折角の斬新な「設定」や「アイデア」を直接的に楽しむのには邪魔な存在にもなりかねません。
    描写に関しても同じことが言えるかと思います。

    本題にもどしますと、
    斬新な設定アイデアを「エピソードで書く」か「文書で説明する」か
    の比率に関しては読者想定でやはりかなり違ってくると言うのが答えになっていない答えになろうかと思います。

    私はもともと文章を書こう思って小説を書き始めたわけではなく、お笑い投稿やはがき職人、大喜利出身でありますので、小説においてもっとも憧れ求めているものは、誰も考えたことがない発想、設定、アイデアにあります。
    それがある物語、小説が自分の中では最上位であり、ですから少し偏った意見ではありますが、
    斬新な設定を ”説明” することで、私個人としてはそこにパズル的魅力を感じ、勝手に想像を膨らませて楽しむことが出来るので、他の方と比べるとやや説明に対して許容する部分が大きいかと思います。
    まぁw そんなちょっと偏った傾向はさておき、読者層、読者が求めているものにより、その比率も大きく変わってくることは間違いなさそうです。

    斬新な設定、構造、世界観をどこまで表すか、に関しては概ね白河律さんの意見に賛成です。ですがひとつ付け加えるなら、『読者に匂わす』ことは出来ようかとは思います。ただしこれも表裏一体で、読者に丸投げで必要な部分だけ汲んで貰おうと思った『匂わす』行為が、逆に混乱を招き、読者が物語を楽しむ行為を阻害してしまうこともままあり、危険もはらむものであると思います。

    ふ~乱雑にまとまりもなく、入門書の焼き直しばかりで申し訳ないm--m これもひとつ一個人の見解としてm--m

    最後に、
    白川律さんのアイデア
    『自分はエピソードで読者に触れて貰ってから、説明した方がよいと思ってます』
    これはかなりツボに入り参考になりましたので感謝を込めてぱくらせていただきますm--m






  • >>白川律さま >>プリンぼんさま

     「さじ加減」と言う表現はまさに的を得ていますね。そのさじ加減が作品の味になっていくのでしょう。

    『自分はエピソードで読者に触れて貰ってから、説明した方がよいと思ってます』

    についてもう少し考えてみました。手前味噌で申し訳ありませんが「なろう」で書いた作品「ヒーローをキミに」に頂いた貴重なコメントに

    >やはり、気になるのは会話の少なさでしょうか。
    >説明が丁寧なのもとても良いのですが、話を進める上でキャラ同士の会話はとても大事だと思いますよ。

    というものがありました。
    第1話では序盤1人のシーンが多く、また主人公も社交的な人物ではないため会話が少ない傾向にあるのですが、読者が「どれぐらい描写に耐えられるか」という点も一応留意するとして、エピソードでの紹介から、説明までの文章の間隔とかも、いろいろ響いてくるかもなと感じつつあります。

     もう一つ、別の視点からのハナシですが、私にコメントを下さった方は恐らく主人公の「内面の描写」を「説明」だと感じていらっしゃるように感じました。私の中の定義では描写と説明は違うのですが、「描写=説明」は現在の読み手にとっての主流なのか?もしくは描写と説明は隣接領域なのか?また「エピソード=会話」という感覚は読み手の中にあるのか?という考察にもつながります。
  • @sunoise様、はじめまして。

    自分は設定マニアというほどマニアでは無いのですが、空想物でも現代物でも「しっかりとしたリアリティと破綻のないストーリー」のためには、調べたりなんだりやらないといけなくて、たまにそれが面倒で困ります。

    で、最近は「設定をどれだけ書かないか」を思っています。苦労して考えたり調べたりした設定を、なるべく書かない。いや、正確には、書かないのではなく、「物語の背景に膨大な設定が存在する」ことを匂わせつつ、最小限の文言で表す、という感じでしょうか(偉そうに書いてますが、自分は出来てません)。

    以前、某プロの作家さんから講評をいただいた際に、描写や表現、説明について「なるべく少ない言葉で」と、指摘されました。

    これ、思い当たるところが自分にはあります。描写でも説明でも、考えた設定を書き込みたくなるんですよね。本筋とは離れた細部であっても。書いてる時は「神は細部に宿る」とか、思っちゃってるんですが、あとになって、「ここ、そもそも、ここまでびっちり描く必要あったか?」と思うことがあります。

    ああ、こういうことを言ってたんだなあ、後からじんわりと、その先生の話が効いています。なるべく書かない。描写も説明も。

    書かないために、異世界物などでは「お約束」が重要なんだな、というのも、再認識しています。

    とにかく、今、自分は「書かない、けど、感じられる」、そんな、「節約された文章」を書こうとしています。

    それじゃ書くことなくなっちゃうよ、設定の描写や説明が楽しいんじゃない、という話もあると思います。SFとか、そういう気持ち、わかります。

    ただ、それでもなお、「細部ではなく大きなところで動くストーリー」は必要なのではないかと。

    最近は、そんなことを考えています。
  • @澄川三郎さま

     ありがとうございます。

    >異世界物などでは「お約束」が重要なんだな

    という行はサラッと書いておられますが、かなり重要な視点ではないかと。以前、「ライトのベルの醍醐味は会話だ」という意見を頂いた事がありまして、他に会話が醍醐味なジャンルはなんだろうと考えていたのですが、「脚本」と「落語」が近いのかなと。脚本の場合はお約束は記述法にあって、舞台設定は会話とは別で作文される形式だと何となくバッサリそうだと思っております。では落語はどうかと言うと、確かに聞き手と話者の間に「お約束」が存在する気がします。
     では「お約束はいつ生まれたのか?」という話は、これは単なる分析になってしまって、書き手の技術の意見交換と言う趣旨からやや逸れる気がします。むしろ、私はなぜお約束を作れないのか?といった視点から、

    ロバート・L・フォワード著の「竜の卵」はなぜお約束にならなかったのか?

    ということと、逆に

    すがやみつる先生の「コンピューターゲームに閉じ込められる」という世界観はなぜこんなにも隆盛したのか?

    と言う点を個人的に考えていくとやんわり表明したところで、今日はこの辺りでお目汚し失礼いたします。
  • 皆様、おはようございます。

    自分がここに書き込んだあと、たまたまですが、外部のサイトで「ほとんど同様のことをプロがもっとうまく説明」してくれていました。エブリスタでの「yom yom編集長一問一答」です。

    10/26の「一冊書くのに資料をどれぐらい調べたらいいのでしょうか(要約)」という質問に対して、「調べたことは九割捨てろ」、「もったいない」と思わない勇気、と書かれています。ちなみに、これ、「昔からよく言われること」だそうです。

    なので、設定に関しての悩みは、このあたりがファイナルアンサーなのかなあと思います。つまり、「資料も設定も思い切って捨てろ」なんでしょうね。

    キビシー……。
  • URL貼るの忘れた。こちらです。
    https://estar.jp/_ofcl_evt_outline?e=152640
  • @プリンぽんさんが触れていた「説明がストーリーを進める(時もある)」というのは、まったく同意です。自分は、特に「場面を転換する際」に、説明の便利さを感じます。

    というか、場面転換が苦手なので、そこで悩むぐらいなら、短い説明でスパッと進めたほうが、断然マシだなあ(自分は)、という感じ。時間の流れがあったりすると、特にそう感じます。

    ま、この辺は「感じ」ということで。
  • >澄川三郎さん

    設定をどれだけ作品中に明示するかの考えにひとつだけ付け加えさせていただくと、

    作者のタイプによるw

    も考慮に加えるべきでしょう。

    澄川三郎さんや@sunoiseさんは恐らく大量の資料の整理、構築が苦にならないタイプだと推測します(あくまで推測w)
    そういったタイプの作者の方は世界観を構築してからどれを削るか、もしくはどれを明示して物語を展開するかがアプローチになろうかと思います。

    私(他にもこのタイプの方はいらっしゃると思いますが)生やしていくタイプとでも言いましょうか、無意識に全体の世界観があったとしても、資料を整理、構築するのが苦手で、一個一個作って結果的に出来上がったものが全体像になっているタイプですと、捨てる行為がそもそも少ない。


    若干、その論議においては作家のタイプによって捨てる捨てないの定義とか比率は変わってくるので、その視点は持っていなければ論争をする上では齟齬がでてくると思います。
  • 作者のタイプ……。ま、そりゃそうか。話のタイプにもよるかも。

    今回の「働くヒトコン」でもそうだったけど、最近は「きちんと調べて細部まで行き届くように書く」流れがあると思うんですよ。で、それは読んでるほうとしても、「なんじゃこりゃー」みたいな話に出会わないという意味で有り難いことでもある。

    けど、そういう緻密さとは別に、あちこち破綻してるし矛盾だらけだし本当も嘘も適当で読んでる方を馬鹿にしてんのかみたいな話なんだけど「なんじゃこりゃー」ってグイグイ読まされるような、そんなのも読んでみたい気もしないでもないです。
  • >澄川三郎さん

    働くヒトコンに関してはコンペで求められているものが合致するかどうかが重要で(どのコンペ、公募でもおなじでしょうが)作りに関しては色々だと思います。
    緻密に作る場合は、前提でどれだけ練りこむかが大切で読者が圧倒される思考の深さや、驚く展開を事前に作れるかが勝負かと。

    後半はもはやセンスになってくると思いますが、事前に練りこまない分書いていく過程は非常に辛いとw 
  • おばんでございます。
    現状カクヨムでは読み専なのですが
    一応、なろうの方ではウダウダと書いております。
    先日、文字数。と言う話が出たので
    ちょっとだけ自分の考えを。

    まずは当然に何かの規制があるものでは無い。
    書きたいように書けば良い、と言うのは大前提。
    但し、読んでもらう。と言うのを念頭に置けば
    そこは自ずと考えなければいけない。

    だいたい一回の投稿につき三,〇〇〇字~五,〇〇〇字。
    別に決まりがあるでは無いにしろ
    投稿サイトを問わず、一般的には小説としての一区切りは
    このあたりなのでしょう。


    これは自分が読む側に回ると良くわかる。
    三,〇〇〇を切ると短い、食い足りない。
    毎日更新用にストックをケチってるんじゃ無いの?
    なんてゲスの勘ぐりを。

    一方で今度は五,〇〇〇超えると長い、まだ終わんないの?
    七,〇〇〇超えてまだ一区切り付かないとぶん投げたくなる。
    横書き、かつブラウザ(スマホもそうですね)で読むとなると
    字数が多ければ書く方も大変ですが、読む方も大変です。
    設定の面白さ、キャラ立ち、台詞回し、お話の展開。
    この辺一切関係なく“だるい”。



    どれくらい大変かというのは
    ぽんさんの「反拐(はんかい)」をご一読いただくとわかります。
    面白さと読みやすさは別、と言う好例でもありますので
    未読の方は是非自分と大変さを共有しましょうw



    おいといて。
    ブラウザやスマホで、と横書きで読む。
    となった時点で、どこかで区切りが入らないと飽きてしまう。
    自分でさえ原因はともかくそうですので、他の方もそうでしょう。

    変わった人間である、と自負する自分を一般人の基準とするのには
    いささか。イヤかなり抵抗を感じますが。

    とにかく、参考にしようと色々読みあさってみたわけですが
    一番バランスの良いのが三,〇〇〇~五,〇〇〇前後なわけです。
    あくまで感じ方でありますので個人差があります。
    的な話であるのですけれど。

    もちろん前段で書きました。
    創作物において表現方法はもちろん無限大。
    でも、せっかく見に来てくれたお客さんですから
    是非にゆっくりしていって欲しい。
    文章の構成ならともかく、物理的な構成で嫌気を醸し出してはマズい。

    なろうではいわゆる 底辺 に属する自分です。
    PVやブックマークは当然極端に気にします。
    なので。この辺は自然、気にするようになる。と言う話ですが。


    ウェブで小説を投稿する、と言うことは
    こんなところまで気を使わないといけないのだなぁ。

    とかつて思ったのを思い出したので
    ちょっと書いてみました。

    みなさん当然にご存じのことでしょうけど
    自分の頭を整理する効果はありますね。
    こうして文字にする、と言うことは。
  • >弐逸 玖さま

    たまたま目に入りましたので、文字数についての私見をば。

    私それでプチ失敗です。
    どこかでそういう創作論を読んだからだと思うんですが、仰るような一話四千文字前後を守って、連載的に小説をカクヨムに投げてたんです。
    ええ、私のようなそれまで一作も完結させたことのない超初心者、まさかコンテストに受賞するなんて夢にも思わなかったものですから。

    確かに、長編的ウェブ小説だと一話四千文字前後はちょうどいい塩梅なのでしょう。
    ところが、四千文字前後というのは、あくまでもウェブ小説であって、これを別の目的に使おうとすると少々問題が発生するかもしれません。
    帯に短し襷に長し、なのかもしれませんが、これが書籍ということになると四千文字などという区切りはどうでもいいわけです。
    問題は全ページ数だったりします。

    というわけで、現在四苦八苦しております(笑)
    一応、十五万字くらいってどこかで読んだ気もするんで、気にはしてたんですけど、本来はそれよりもさらに短くないといけないのに、完成してたのは十七万字にも達してたりしていたものですから。

    意外となんとかなるって意見もあったりするので、頑張るしかありませんけどね。
  • >子持柳葉魚(連載中断中)様

    わざわざ読んでいただけたようでありがとうございます。

    そうですね、四、〇〇〇前後はあくまで
    インターネット上での閲覧を前提にしていますから。
    紙の本なら、栞を挟むなりひっくり返すなり出来るわけですし。


    書籍化。などとは今の自分、には遠くの世界の出来事ではありますが
    知識として
    普通の一冊分として、一〇万から一四万前後。
    とは聞いたことがあります。
    自分が言わなくとも当然ご存じですよね。

    色々大変だろうとは思いますが
    良いものが完成できるよう、陰ながら応援させていただきます。
  • 小説の書き方と言うより、私の小説完成までの経緯です。

    ◇伝えたい思いがあって、伝えたい人がいます。

    ◇テーマを物語に乗せて、読者に届けます。

    ◇課題をニーズに販売します。

    この三つは同じ事を言っています。


    どうやったら届けたい気持ちを100%伝えられるのかが、私の主目標ですので、まずはテーマを定めて、誰に読んで欲しいかが定まれば、どんなトーンの、どんな色の、どんなテンポのお話にした方がいいのかが決まり、どんな登場人物に何をして欲しいかが決まり、彼らが彼らなりに行動していくなかで、どんな必然と偶然を配置して結末へ向かうのかが決まり、スパイスを足したり引いたり繰返し、誰かに読んで頂いて感想を聞き、出来るだけ自分が書いた内容を忘れ去ってしまった後に読み直し、書き直します。

    怒られるかも知れませんが、カクヨムに上げた段階では完成ではないんですよね。皆さんに読んでいただいたり、読んでいただけなかったりを踏まえて、加筆修正、もしくは改版します。

    プロの方は、プロデューサー、編集者や校正の方とそのような作業をされるのでしょうか。

    ちなみに、今、改版しているお話は、初めて書いたときには男性主人公で最後まで書きあげたのを、女性で書き直し、三人称でかき上げた後、一人称に書き直し……なんて事を繰り返して、見た目は全くの別物になりました。
    でも、テーマと、届けたい対象は変わっていません。

    伝達度が高ければ成功、低ければ失敗です。
    幸い、素人なので、成功するまでやり直せます。まだ、成功したことは無いので、さいのかわらで石を積むばかりです。

    どこでやめるかが決まった時が完成の時です。
  • 私の例の小説が無事出版されるとのことみたいなので、何か参考になることでも書けないかなと、こちらに駄文を落とさせて頂きます。

    何分にも初めてのことなので、色々新鮮でしたが、メジャー出版社からの出版物となると当然の事ながら、概ね初版でざっくり一万部弱、一冊を安く見て六百円とすると単純計算で六百万円という大金の世界の話になるので、それなりにお仕事をきちんとしないといけません。「面白い話だから売ってみよう!」だけでは済まないわけですね、当然。

    とは言え、お仕事は常識的なものです。私の実例のみで説明します。もちろん話せる範囲でね。

    1.プロットの作成と確認
    私はプロット書かなかったのですけど、プロットを書いて編集担当さんと相互に確認作業をしました。ストーリー上のどこをどう修正するかなどについてはプロットがないと困難なのです。プロットって私は初めて作りましたけど、参考になるものはありましたが、私は私で独自に考えて分かりやすく読めるように、あまり形式にはこだわらずに作成しました。やたらと長文でしたが(笑)
    なお、出来上がった作品は必ずしもプロット通りではありません。書いてるうちにプロットが変だったり、プロットよりもいいアイデアなどを思い付いたりもしますので、自由に変えて行っています。あまりにも大幅な変更は編集担当者さんと協議すべきでしょうが、細かい部分は私は協議せずに変えています。

    2.プロットの変更
    それで、プロットを編集さん確認して頂くわけですが、編集さんからのご指摘・ご指導で、かなり大幅な変更が発生しました。でもプロットをきちんと作ったお陰で、大幅に変更するのもそんなには苦労しませんでした。私自身がカクヨム版に不満を持っていて変更したかった部分などの指摘が大半だったこともありますが、こっちの話を後ろや前に持っていくみたいな相談は、プロットのおかげで非常に簡単でした。またプロットがあったので新しいアイデアも結構投入しやすかったです。

    3.小説本文の記述作業
    で、固まったプロットを元に本文を起こして行きました。私の場合、カクヨム版から概ね三割も文字数を落とさないと書籍化は難しかったので、思い切ってカクヨム版からは、ほんの僅かな箇所を除きコピペしないことにして、最初から全面的に書き起こし作業をすることにしました。プロットもあるし、一回書き上げたんだから簡単だろうと思っていたら思いの外大変でした。ほんのわずかな会話のやり取りで詰まってしまうなど、カクヨム版を書いていた時と同様でしたね。同じ私の頭だから仕方ないですけどね。締め切りが明確だった分、投稿していただけの時よりもしんどかった。締め切りはちょっとだけ遅れちゃいましたけど(笑)

    4.編集さんの確認作業
    で、編集さんにまずその第一次原稿を確認していただくわけですが、これがびっしり赤がついて返って来るわけです。表現や用語の変なところや、細かな矛盾や、誤字脱字などなど。で、私は編集者さんの希望もあってMicrosoftのWord使いました(持っていたので)が、私の方はMac版だったので、Mac版はWindows版に比べて品質がイマイチ。Wordの校正機能を使ったのですが、これがあまりに重たくて困りました。仕方ないので本来なら一箇所ずつ確認が必要なのですけど、編集者さんのチェックを一旦全部了解してしまってから後で文章を確認するという変則的な作業をしてます。この辺、他の作者さんはどうされてるんでしょうかね? 私は初めてだった上にWordの校正機能は初体験だったのでかなり戸惑いました。
    で、ともかく作者側も確認していくわけで、編集さん任せじゃなくて自分でも気づいたところがあればどんどん修正していくわけです。重要なのはこの作業が作者にとっては最終段階の修正になるので、大幅に変更したいところがあればこの段階で変更しましょう。私は何箇所かかなりの文章を追加しました(で、編集さんにチェックしてもらい、修正を経て完了)。

    5.出版社校正担当による校正
    基本的には誤字脱字、常用漢字でないものにはルビを振る、表記の揺れの統一などですけど、しっかり文章も読んでおられます(当たり前ですが)。私の場合、めっちゃ細かい矛盾を指摘されて、そのページから何ページも遡った箇所の修正が必要だったりしてます。ただし、校正さんも間違われることもありましたので自分でもしっかり確認しましょう。で、自分で校正をチェックしたら編集さんと一緒に一箇所ずつ確認していって、基本的には全て終了となります。

    概ねの流れは以上のとおりです。

    なお、細かい話ではありますが、結構重要だったりするかもしれないところで表紙・口絵イラストを誰に書いてもらうか? ということがあります。私は知らなかったので、角川さんにお任せしました。運良く素晴らしいイラストレーターさんに書いていただけましたが、事前に自分で探しておくことももちろん出来ます。契約自体は角川さんとすることになると思いますけど、推薦は出来るので、例えば友人に書いてもらうことだって可能だと思いますし、自分でコンタクト取ったっていいでしょう。

    あと、私の場合、諸般の事情でスケジュールが大変だったのですけど、多分、一般的にはもう少し余裕があるんじゃないかな。

    ってな感じっすかね。何れにしても、出版を視野に入れる場合、編集さんとのやりとりが発生するということもあって、その上でプロットって欠かせないのだなと思いましたし、プロットなかったら多分何も出来ません。私は今後も、最初はプロット書かないで投稿するスタイルを通すつもりですが(笑)

    以上、何かのご参考になれば幸い。
コメントの投稿にはユーザー登録(無料)が必要です。もしくは、ログイン
投稿する