永遠と呼ぶことが出来たーならー。
愛は永遠だと、信じるには少々捻くれた年になってしまいました。
旦那と離婚調停を行なっている主婦の方と飲みに行ったならさあ大変。知っている方が浮気をしていてりこんの原因になると聞かされたならなかなか言葉も出ないですね。
きっと二人にしかわからない不満や軋轢があって、そこに耐えられなくなるなんて多々あることです。他人同士が一緒になるわけですから。
それは理由にはなっても、残念ながら肯定されることにはならないと思うのです。
寂しかったから。
構ってくれなかったから。
それはきっとその人にとっての真実なのでしょう。
けれど、それだからといってただ被害者ヅラをして浮気だかをしたのは仕方ないと言ってしまうことの、なんと見苦しいことか。
行為や不貞を仕方ないんだと言ってしまうなんて、ああ情けない。私はそんな経験はありませんが、ただ単に阿呆らしいです。
この見解は正しいものではない一個人の感想ですが、プライドはないのでしょうか。自己肯定感を得るために他者とのアレな行為で心を保つことに、虚しくならないのだろうか。そう思ってしまいます。
プライドが高く羞恥心に満ちた私にはなかなか理解が難しいです。
感情が倫理を凌駕することなんてよくあることでしょうし、だからこそ遥から彼方までのテーマの一つにはなっているのですが、やはり実際の話を聞くといい気分はしないですね。
突然仕事を辞めたとある方の件も、真相を聞くことが出来ました。
間違いを間違いだって指摘せざるを得ないほどに、間違っていた結末でした。
率直に言えば悪いことでした。
けれど、辞めることになったのはその行為に対する罰ではなく、その方を守るための決断という一面があったそうです。
責任は個人ではなく、その職場全体の問題として処理する覚悟を決めたとのことです。
それはそれで立派なことです。個人に責任を求めない姿は、不覚にも尊いと思う感情を抱いたことは否定できません。
それでも、間違っていますね。
個人の間違いで個人の罪。どうしてもそれに対する罰は背負うべきだと思います。
それでも、その方と過ごした日々の思い出が、その方への気持ちが、その間違いを押し付けないという結果に至ったというのです。
声を大にして言いたい。それはきっと間違っている。
人とはおかしな生き物です。
良いか悪いかだけの二元論では結論を出せない。
ココロと呼ばれるような奇妙な働きが、倫理を超えて優先されることなんて、多々あるのです。
この世界は全然正しくない。
こうした方がいいなんて想いは、優先されない。
その不可解さこそを、とても面白く思います。
どんなに間違っている世の中でも、どれだけの間違いを抱えても、それでも生きていかねばならないのでしょう。
やはり、どんな物語よりも、一人の人間が生きてきた軌跡は、面白いですね。
別に自分は正しく生きていこうなんて、正直な話微塵にも思いませんが、自分に恥ずかしくないように生きていきたいと思いました。
今夜は気持ちよくは眠れない。
けれど何かしらの想いに囚われる夜があってもいいでしょう。
考えて考えて。
そうやって生きていくことが、好きなのです。