表象――について語るとき、私は主に――二重の、そして対立する論理を想定しなくてはならない。
一つは、再現前化に抗する――「判明なるもの」(le distinct)。すなわち、「聖なるもの」――物質(material)の距たり――絵画、音楽、文学の形態、バタイユのいう擬態(言葉、音、色)から切断され、剥離され、隔てられている――としてのイメージ。これは、ナンシーの定義している表象の定義。さらにこれは、意味不在としての場を有するか、また叡知、すなわち、イデア性――感性的形式を媒介した形相のどちらか――を含んでいる、あるいは混淆している。そして、このイメージは私の顔(figure)に対し――肉薄する、と同時に距たる。
対立するもう一つのイメージ。
それは――超表象(sur-representation)すなわち、物質(material)により――露呈され、強調され、現前しているもの。したがって、表象を代表する表象。(representation de representation)
これは、表象の――禁止、不可能を代表する場合がある。――何故か。一つは実在性の問い。そして、偶像の問い(私の『死』についてのイメージは、真の現前とならない)
具体的な事例――収容所。ガス室、苦しみ、痩せこけた躯、叫び、血、硬直。そして――私の――表象の空間は押し潰される。何故ならば、それは死が――真に――現前していないからだ。超表象としての死(非―表象の代表)が――時に、表象の戯れを無化し、禁止、不可能にする。
(Jean-luc Nancy,『Au fond des images』より)