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領怪神犯コミックス2巻発売&「SS:桑巣の神」

コミックスの2巻発売が決定しました。ありがとうございます。
最近領怪神犯の推しシーシャを作ってくださったり、サインを求めてくださったり、FAいただいたり、恐れ多いくらいいろいろしてもらってありがたいです。Twitterで狼足さんからいただいたくわすの神グラビアが可愛いので見てください。
今度ちゃんと載せるんですが、読売新聞で宮部みゆき先生に書評もいただきました。本当にありがとうございます。

原稿等いろいろあって全然更新できず申し訳ないです。くわすの神が特に可愛がっていただいてるのでSSを書きました。
2までのネタバレと書籍版の展開を含みます。
二十年後の烏有が偶然再び桑巣の神の村を訪れる話。


***


鈍行列車の窓に枯れ木の枝よりも丸い影が落ちて、俺は顔を上げた。
資料を眺め続けて疲れ果てた目に陽射しが突き刺さる。教科書すら読む機会がほぼなかった俺が書類漬けの生活になったのももう慣れた。でも、封筒に記された「切間蓮二郎様」の字には未だに慣れなかった。
列車が停まった。俺は一度硬く目を瞑ってから、窓外に視線をやる。木造の駅舎に玉すだれのようなものがぶら下がっていた。葉のない枝に桃色や橙や紫の玉の飾りが蕾のようにびっしりとついている。まるで正月飾りだと思ったところで、記憶に火花が走った。
「繭玉だね」と凌子の声が耳元で響いた気がした。二十年前同じやり取りをしたのを鮮明に覚えている。凌子と共にくわすの神の調査に訪れたときだ。凌子の苦笑が目に浮かぶ。それを見て小学校の教師みたいだと思ったのも。まだ何も知らない馬鹿でいられた、俺が烏有だった頃の記憶だ。
古ぼけた駅舎を眺めて、まだ回想から戻れていないんだと思ったが、違った。ここは俺が二十年前訪れた村そのものだ。

気づいたときには電車から駆け降りていた。
あの日とは違う真冬で、青々としていた桑の葉の茂る山も枯れ果てていたが、繭玉を飾った駅舎はそのままだ。
「珍しく出張かと思ったら、こんなのありかよ……」
ここに桑巣の神がいた。人間に捕まって利用されても何度も俺を助けてくれた、白くて柔らかそうな蚕娥の神。懐かしくて目の奥が更に痛んだ。俺は白い息を吐き、辺りを見回す。昔いた藍染のシャツの老人はいない。そりゃそうだ。二十年も経ってる。とっくに死んでいてもおかしくない。あの頃から変わらない俺が異常なだけだ。悴んだ手を口当てて再び息を吐くと、白い軌跡が長く靡いた。糸のようだと思う。

手を下ろすと、まだ指の間に白いものが絡んでいた。おかしいと気づいた。これじゃまるで本物の糸だ。途端に脳の芯が冷える。俺は火傷したように指を振った。糸は腕の動きに合わせて宙を揺蕩う。無意識に俺は桑の木の生える山に向かって呟いていた。
「くわすの神、俺だよ。烏有だ。何度も助けくれたじゃねえかよ」
慌てているのに、別のところでぼんやりと久しぶりに本当の名前を名乗ったなと考える自分がいた。糸は絡んだままだ。俺は何度も桑巣の神に呼びかけ、手を振るう。側から見たらいかれてる。指股から伸びる糸は見る間に増えて、絹の束のようになった。ぞっとした。それと同時に納得した。ここに住むのは人間を守るため悪神を巻き取って封印する神だ。

「もう俺はあんたに倒される側って訳か……」
そうかもしれない。あれから何度もそこに在わす神を利用した。老いもせず、二十年前のことを昨日みたいに思い出せる。身も心も人間から離れてるんだ。
俺の指に絡んだ糸は増え続け、目の前で純白の繭を作った。場違いだとわかっていたが綺麗だと思った。唇から呼気と共に乾いた笑みが漏れた。これからも切間の名前を名乗り続けて、死ぬまで解決できるかわからない神に争い続けるより、繭に包まれた方がずっと楽かもしれない。俺の思いを見透かしたように繭は肥大化する。
「そういうことかよ……」
神は人間の手には負えない。桑巣の神が俺を封印すると決めたなら対抗しようがない。俺は糸が絡んだ方と反対の手を伸ばした。ざらりとした繭の感触が触れた。
「助けてもらったのに、俺、こんなになっちまってごめんな……」
切間さんにも言われたのに、まともに生きられなかったな。そう思った瞬間、心臓が跳ねた。そうだ、まだ切間も冷泉も取り返せてない。宮木礼は父親を忘れたままだ。今も危険な場所で危険な神と向き合い続けてる。切間に託された娘をそんなままにしていいはずがない。糸が俺の手を引いた。

「駄目だ、やっぱりまだ行けねえよ……」
俺は無理矢理腕を引く。骨が折れてもいいと思った。情けない命乞いでも構わない。
「俺はまだまともに生きられてねえんだよ!」
俺の叫びに構わず、糸は俺の腕を導き、指が繭の中に引き込まれた。想像していなかった、柔らかな感触だった。真っ白な毛玉が俺の手の甲で跳ねたようだ。この感触を知っている。
対策本部が壊滅した夜、桑巣の神が血の海の廃屋から去る前に、励ますように俺の手を叩いたときだ。柔らかな毛が俺の手を包み、慰めるように肌の上を何度も行き来する。繭が解け、視界から白い糸が消え去った。

後には俺の吐く白い息が木造の駅舎に満ちただけだった。
「くわすの神……」
答えはなかったが、空を覆う薄雲から射した光が桑の木の山稜を眩しくなぞった。清廉な陽光に俺は目を擦る。まだ、俺は桑巣の神が守るべき人間だったらしい。発車を知らせる警笛が鳴り響いた。俺は慌てて車両に滑り込む。資料だらけの席に座るとと同時に、発車した。流れ出した窓の向こうの風景に、繭玉が蚕娥の触覚のように揺れていた。

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