いつも応援ありがとうございます。読者の方々から龍久国継承戦の九人皇子たちの日常パートも見たいとリクエストを何度か受けたのですが、本編ではできなさそうなのでエイプリルフール用に書きました。本編も頑張っていきます、よろしくお願いします。
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宮廷が燃えているようだ。
日没まで間もない藍色の空には、既に星より赤く大きな赤い煌めきが満ちている。
元年初の夜を寿ぐ元宵節。宮殿から城郭に至るまで張り巡らされた燈籠は夜通し火を灯され、龍久国を不夜の街に変える。
弾ける間近の鬼灯のように膨らんだ燈籠を見ながら、紅運は溜息をついた。
「浮かねえ面だな。今年最初の大仕事が待ってるってのに」
傍の狻猊が犬歯を見せた。
「今年最初で最後の、だろ。炎の大魔を従えた皇子の仕事なんて太平の世じゃこのくらいしかないからな」
「いいではありませんか。国を焼く戦火より国を明るく照らす灯火が求められる世ほど喜ばしいものはございません」
琴児が口元を隠して微笑んだ。
「わかってるさ。でも……」
「戦の方が望みか」
低い声に顔を上げると、両手に弓矢を携えた橙志がいた。
「今日は禁軍の鍛錬も休みだ。鷹狩りでもと思ったが、元宵節に殺生は控えろと姉上に釘を刺された」
紅運は肩を竦めた。
「競争が望みなら弓比べでもするか？ 藍栄兄上が吏部に腰を据えてから競う相手もいない」
「結果はわかってるさ」
無表情に目を伏せた兄に、一拍置いて紅運が続けた。
「剣ならまだわからないが」
橙志は不意を打たれて目を見開き、小さく笑った。
「言うようになったな」
白雄は文台に山積みの紙束を見下ろした。
「精が出ますね」
書類の向こうで屠藍栄が墨で黒くした手を挙げる。
「六部は貴方に合わないと思っていましたが見立て違いでしたね」
「ああ、今ではすっかり文官だよ」
雑多な部屋を見回して白雄は苦笑した。
「休息が必要では？」
「いや、長兄殿の心配には及ばない」
硯を手に現れた黒勝が口を挟んだ。
「この屠藍栄は仕事も早々に外遊なさって、市井で贋作の焼物を買ってきたばかりだからな」
「弟が上司になるとはね。仕事の手抜きも贋作の見立ても違わず見定めるから恐ろしい」
黒勝は呆れたように眉を下げた。
黒勝が再び部屋を出た後、白雄は声を落として囁いた。
「最近視力が落ちたのでは？」
「そうかい？ まあ、文官の定めさ」
「皇子がやるべき職務の度を越していませんか」
「白雄、私は一介の官吏だよ。臣籍降下して名字ももらった」
微かに表情を曇らせた片割れに藍栄は首を振る。
「何を気に病むのさ。元々皇太子など柄ではないしね。ふたり揃って宮廷に居られる方ならそれに越したことはないよ」
文台からいくつかの紙片が落ちた。
「さて、仕事の目処は自分でつけるものだと学んでね。行こうか」
霊廟の前にひしめくのは紙ではなく硝子でできた燈籠だった。
西方でランプと呼ばれる照明器具は火を入れずとも、透ける色彩の表面が光を拾って輝いている。
「まだ飾っていないんだ？ せっかく遠路から遥々仕入れてきたのに」
紫釉は腰に手を当て、地上に並ぶ燈籠を眺めた。
「黄色のランプが見当たらないんですよ。九色揃わなければ飾れませんから」
呉烏用が片眼鏡を押し上げる。
「黄色ってことはあいつか……」
紫釉は廟の裏まで足を進め、蹲る影を見つけた。
「やっぱりお前か」
立ち上がった黄禁は琥珀のような燈籠を抱えていた。
「紫釉兄上」
「何で燈籠なんか盗むんだよ。これがないせいで準備が遅れて––––」
紫釉が引ったくろうとした燈籠から羽音と白い羽が溢れ、一羽の鶏が飛び出した。
「俺に懐いていた鶏が食われてしまうらしくてな。何とか逃がせないものかと思っていたらちょうど……」
しばらく唖然としていた紫釉は大きく息をついた。
「鳥籠なら仕入れてやるから」と聞いて、漸く黄禁が燈籠から手を離す。抱えられた鶏が一声鳴いた。
「まず鶏舎で遊ぶなよ。何歳のつもりさ」
「呪術師が遊んでいられるのは良い政治の証拠だぞ」
「ああ言えばこう言う」
黄禁は虚ろな目を細め、懐に手をやる。
「今朝は久方ぶりに働いたぞ」
道服から出たのは星図だった。
「星見をした。吉兆だ。祭りの間中は晴れ渡るらしい」
城郭に触れる空は黒に変わっていた。
既に高楼に集っていた皇子たちに、新たなふたりが加わる。
「遅くなってごめん。まだ点火していない？」
朱塗りの梯子を駆け上がった青燕は盆に分けられた茶と湯円を手に取る。その後ろには肩で息をする翠春の姿があった。兄たちの視線に気づき、彼は目を背けた。
「母上が偶には外の空気を吸えって……青燕兄上がちょうど迎えに来たし……」
「これで揃いましたね。重畳。いい時に来ました」
白雄は鷹揚に頷き、楼より更に高い櫓を見上げた。
本来天子以外の入場を禁じられた櫓は元宵節のみ末端の皇子のため開かれる。
揺れる燈籠が羅城を縁取る様を見下ろし、紅運は冷えた夜風を吸う。
「一度で全てだ。わかってるな」
凍月は遠く、地上へ届く光は心許ないばかりの夜に、煌々と燃える炎の獅子が応えた。
「赤の大魔は火炎を好む。灯せ、狻猊」
天の光が全て地に落ち、燃え盛った。
城郭に連なる燈籠全てが明かりを灯し、赤い煌めきが城下をなぞる。
元宵節の龍久国はこの炎により、昼より明るい夜が続く。
無数の赤い花が大河を揺蕩うような光景に紅運は安堵の息を漏らし、櫓を下った。
大仕事を終えて戻った末弟を高楼の皇子たちが迎える。
「大儀でした、紅運」
「これ以外俺の使い道はないからな」
赤光に頰を照らされた白雄はくすりと笑ってから、城下町へ目を向けた。
「元宵節に燈籠を吊るす事の起こりを知っていますか？」
紅運は首を横に振った。
「かつてひとは神の怒りを買い、神は人界を焼き滅ぼせとの命を下したそうです。そこで人界の仙人が一考し、国中で燈籠を灯すことにしました。夜にあって赤々と光る街を天から見た神は、既に火を放ち終えたと錯覚して去り、人々は難を逃れた。その故事が一年の無事を祈る祭りなったとか」
白雄は微かに楼から身を乗り出した。
「炎は国やひとを焼くものでもあれば、暮らしを支え行先を照らすものでもあります。どうか使い方を違えず、このまま世が太平であるように……」
目下には柔らかな紅の灯火が、不夜城となった宮殿を彩っていた。
銅鑼の音が聞こえた。
紅運は寝台で跳ね起き、身体をじっとりと濡らす汗を拭う。肌は夜風に吹かれたように冷えてきた。
「起きたか」
薄明の弱い日が差す窓際に行者服の赤毛の男が立っていた。紅運は右手で痛む頭を抱え、左手で布団を搔き抱いた。
長い夢を見た気がした。
「魘されてたぜ。寝てる間も忙しいとは、乱世の皇子は暇無しだな」
鼻で笑う狻猊を紅運は眠りの残る眼で見つめた。
「狻猊……」
「何だ」
「お前が封印される前、元宵節の祭りで燈籠に火を灯す役目だったことはあるか」
狻猊は金眼を僅かに震わせ、表情を強張らせた。
「……あったな、そんなことも」
長い沈黙の後の短い答えだった。
もしも、狻猊が封印されていなかったら。
もしも、初めから大魔を従える皇子だったら。
もしも、九人全員揃っていた頃の元宵節をもう一度できたら。
紅運の胸中を駆け巡った想いを枯れた声が遮った。
「だからどうした。もう昔のようにはならねえよ」
狻猊は不満げに言って窓枠に足をかける。
紅運は額に手をやり、寝台に再び倒れた。
「過去を変える術はなし。だが、行く末は……ということか」
春の鈍い朝日が窓の格子に分かたれて部屋へ浸透する。銅鑼の音が鳴っている。