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べとべとさんと怪談の定義

あとがき的なさむしんぐ(長め)です。

いつもの私ストレート(速度抑えめ)

そんな感じの「とりあえず、べとべとさん」でした。
基本的に論理に落とし込んでなお残る=理外の恐怖というのが、好きで好きでたまらないんですよ
あと異界。科学的論理で成り立つ現実という薄膜にひとたび尖ったものを突き当てると、ふつふつと流れ出して全てを飲み込もうとする異界が好き。
ただ、今回は意図的に私の思う怪談のセオリーを踏んでは見ました。

怪談って、どういう物語を指すでしょう。
実のところ、辞書的定義だと不思議なものが出てくる話は全部怪談なんですよ。
確か小学館の日本国語大辞典で調べたはず、大学時代に。
そうです、うっかりレポートでいわゆるホラーとしての「怪談」の歴史から定義までを模索するに至ってしまった過去。
辞書的定義だと、いわゆるメルヘンも含まれると考えて良いわけですね。

因みに今で言う怪談=ホラーの怪談が出てきだしたのは江戸時代だし、妖怪変化が個性を持った種族になってきたのも江戸時代です。
それまで普遍的に出てくるの、一般的には鬼、天狗、狐、狸、蛇、光りもの=鬼火って感じなので、圧倒的に個性が少ない。

え?酒呑童子?玉藻の前?
あれは辞書的定義ならそうだけど、ホラーの怪談じゃなくて退治譚じゃん?
そういう有名系統だとホラーの怪談に入りそうなのは、ネタに使うにはお参りしなきゃいけない「た」からはじまって「ど」で終わるあの人か、崇徳院辺りな気はするけど、お参りしなきゃいけない人は元は特段そうでもなく、後世の諸々でホラーの怪談化してて、崇徳院が案外怖くなさそうに感じるのは、謡曲の白峰で縁のある西行さんとふつーにお話してたからな気がする、ので、ホラーの怪談にしては薄味だし、そもそも謡曲の白峰を読本に落とし込んだのが載ってるのが上田秋成の雨月物語だもんな。
雨月の白峰、翻刻したわ、私。

このホラーの怪談の定義を行うのにめちゃくちゃ有用だった本は、野火迅氏の「子供に語ってみたい日本の古典怪談」。
ここに収録されてる「今昔物語集」の翻案版と原文版とを読み比べて気付いたわけなので。
まあ、端的に言うと、「根本的に退治されず」、「ともすれば自分も、あるいは今もどこかで誰かが」と思わせられれば、ホラーの怪談っぽくなる。
もっと難しく言えば、「再現性」と「普遍性」あるいは昔話とかでもある「時間の外部性」。
悍しい儀式による何かは、儀式の手順を踏めば再度喚起される=それだけで再現性がある怪談になる。
ランダムに起こりうるものなら、それはそれで再現性がある。
こちらが把握してないだけで、異界側あるいは環境が再現性の鍵を握っている可能性があるので再現性の可能性はある。
普遍性、時間の外部性はもうちょっと分かりやすく言うなら、「完了していない」とかになるのかな、どうかな……まあ、対処療法しかなくて、根本的解決はできないことですよね。
「解決を完了できていない」上に再現性があるなら、その条件満たせばまた出てくるじゃん、その条件が簡単or相手事由じゃ、どないせいとって感じの理不尽な恐怖。

というわけで、私の思う怪談のセオリーの件は以上なので、これで置いといて。

たんぺん読んでくれてる人には、先輩後輩はあの雨のやつの二人です、とだけ。
先輩みたいなキャラ書きやすくて、好き。
榛色の目を光の加減で緑にさせるのも好き。
リアルで一度見たことあるけど綺麗なの。

結局、好きしか詰め込んでねえ。
だからこそのいつもの私。

あと、読者だけがわかるようにしてあるんだけど、最初と最後のべとべとさんは別物です。
歩き方、違うでしょ?

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