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何時からこうなったんだろう

それはとある小説。
もう、ほぼきっかり10年前に初版が出たミステリーの中で、大学生の主人公が言うというか、思考を巡らすシーンがあって。

『犯罪じゃないのなら、何をやってもいい。法律とはそういうものだ』
という部分だけはずっと、ずっと心に引っかかっていた。

でも、普通人はそうじゃないだろ。法律で禁じていないからといって、何をやってもいいとは、ならんはずだよ。
と私は思っていたからだ。(モラルというやつがある)

でも、もう最近は、中学生、高校生、大学生辺りの、常識外れっぷりも酷いし、SNSやツベでそういうのを見せつけられると、この小説のことを思い出す。

法律で禁じていないのだから、問題ない。お前何を言ってるんだ。法律勉強しような。とか宣い出す"ヤカラ"も現れるのだ。

何時からこうなったんだろう。
色んな物事に対しての、例の冷笑者を真似するヤカラが増えてからだろうか。
そうなるとやはり20年位前からじわじわ増えてきたのか。

そんな事をボンヤリとでも考えると、執筆が止まってしまう。


いや、まあ。書いている小説の方の中では主人公は異世界だし、その異世界にも、ちゃんと法のようなものはあって、主人公はその中にいるし、変なことはしない。


ただ、「技術者」と、「研究者」との間には、深くて暗い溝があるんだなと、今でも思う。


今日も低浮上。体調はいまいち、よろしくないです

5件のコメント

  • そうですね。
    なんか学生とか未成年、半グレとか言うの? 貴金属店を襲撃、全員捕まったニュースを見ました。

    バレなきゃいい、ってのは、どこかで履き違えたんでしょう。日本は人様に迷惑かけるなって教えられてきたハズ、なのに。

    アルバイト先での無法行為をやってバズったからって何になるのか。
    もう一度、親から教育しないといけない時期かも知れないです。

    また、脱線した……
  • ペロりねった様。

    なんというか、あの醤油さしペロペロとか、人様の注文した寿司を途中で抜いて、ぺろぺろしてから、戻して、その客に送るとか、一貫だけ食べちゃって戻すとか、もう、完全にモラルが破壊されていて、それを面白がる人々がいるっていうのが分からないです。

    そういう映像を取って笑うというのが、もう完全に別の世界の様にすら思えます。
    しかもそういう行為をたくさんの人が見るから、ばずった。またやるぜ。になるっていうのが・・・。


    貴金属店を襲撃も、ここはいつからサンフランシスコになったんだって思うくらい、ばかげた事件でした。(いまのサンフランシスコは無法状態にほぼ近い)
    これは完全に犯罪ですが。これは闇バイトであろうという話。

    もう、確かに親から教育が必要なのかもしれない。
    それくらい、日本のモラルは壊れてきているのでしょうね。
    転売ヤーといい、バズれば、なんでもいいとかいうのを、再度教育するとなると、どれくらいの時間がいるのやら。
  • 道徳教育がそうだからでしょう。
    道徳は「他人の目を気にする」教育です。
    戦前の修身は「自分に恥じない」教育でした。

    つまり、はき違える前提があるのですよ。
    何故そうなったかは簡単。GHQの占領政策が続いているのと、
    教育現場の教える方の都合です。

    道徳は他人が外から見て推し量ることが出来ますが、
    自分に恥じない信条を持ったかを推し量るのは難しい。

    親から教育するにせよレットパージを完全にやってからで無ければ
    意味が無いでしょう。中華の脅威が沖縄尖閣ばかりで無く
    日本全土にある以上、日本社会からレットパージしなければ
    そもそも土壌が作れません。
  • @fts01様。

    「修身」は天皇への忠誠心の涵養というのが中心であり、現代にはなじまないものでしょう。それ以外の孝行や勤勉といったような徳目の教育はいいとは思います。
    「道徳」は、社会的な集団の中において、成員の相互間の行為の善悪判断の基準ですから、自発的に正しいと思われる行為を行うための内面的原理としてあるものとなります。
    「他人の目を気にする」というのとは少し違います。
    この「内面的原理としての行為の善悪判断」がなくなってしまっている人が増えてきた。(たぶんそういう教育がなされていない)
    と言う事だと私は思っています。

    ここは教育や政治などを論争する場ではありませんので、これ以上私のコメントは差し控えます。

    どうか、ご了承ください。
  • まずは誤解を招きやすい書き方をしたことをお詫びしますね。

    政治信条を論ずるつもりはありません。
    規約に引っかかりますし拗れる元ですから。

    単純に修身教科書の内容的な部分や、本質と思われるところについて
    私見を述べたのみですので他意はありませんでした。
    そして教育というのは社会の影響を多分に受けますので、必要な前提を挙げたわけです。

    江戸以降の武士道における恥の概念を持って生きる、それが
    日本的価値観という部分は理解しています。
    それを多少なりとも色濃く遺していたのが修身の教科書な訳で。

    上で言いたかったのは「道徳教育」の概念を歪めて、教育現場が評価するための物になっているので、理念とかけ離れた実態になっている可能性が高いと言うことです。
    以上説明まで。
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