11月末に車を車検に出した後、暫くは背中の調子が良くなかった。
で寝込みつつもネット小説はPADで読書。
最近はミステリーとか現代ドラマもネット小説で見たりはするけど、以前買って読んでなかった文庫本のラノベ、角川文庫のと新潮文庫のを読んでみたり。
基本雑食なので、2冊とも、ジャンルが違う。
角川の方は「銀座琥珀屋雑貨店」。これは新刊でタイトル買い。どんな内容なのかは見ないで買った。内容はネタバレになるので書かない。文章は頁にびっちり詰まった、いわゆる普通に小説のスタイルだが、内容はライトなので、ラノベなのだと思う。1頁に18行あるので、文字は少し小さい。
新潮の方は「謎が解けたら、ごきげんよう」。これはミステリー作品で、これもタイトル買い。中身は見ずに買った。これは新刊ではない。出たのが令和元年だから、2年前の本である。内容はレトロで東京が東京都ではない、東京市の頃が時代設定である。レトロミステリーということで、大正時代が終わって昭和になったばかりくらいが舞台である。
こっちは1頁が17行となっていて角川の方より、明らかに文字も大きいので、やや軽い感じだ。
文体はかなり砕けていて、如何にもラノベな感じである。
格調高いレトロ・ミステリーを期待していた私は肩透かしを食らった。
まあ、つまらない小説ではなかったので、良しとする。
この2冊は夏の終りに買ったはずだが、読まずにずっと棚に積んであったので、この年末に引っ張り出して読んでいたのだった。
さて、1人で暮らしていくと食事内容が貧しくなり始める。
なので、できるだけ自炊でも料理らしきものは作るのだが、食材がなくなると買いに行くしか無い。
自転車で買い物に行きつつも、できるだけ外出は避けたかった。
オミクロン株とやらが、流行り始めたせいだ。
車が車検から戻ったのは、もうクリスマス直前だった。
この辺については、日々思うことに書こうかなとか思ったが書いていない。
そして、やっと背中が言うことを聞くこの29日。朝から掃除をやっていたのだけど、今日行かないとやばい、正月前の買い物。
昼のうちに済ませておかないと。ただ、独り者なので食材に関しては然程量は要らない。
仏壇の花とか、神棚の注連縄と榊だとか玄関飾りと正月料理を少々買い込む。
あとはビールくらいだな。
それと。今年も鶏のもも肉。これを甘辛く煮るのだ。
あとは干した冬菇(どんこ)。これも水で戻して、甘辛く、やや、いや、かなりしょっぱく煮る。
これは両方とも、母が正月に出してくれる、おせち以外の定番の手料理だった。
それ以外だと、ピーナッツをごまのように擦ったものと甘酢であえて作る、大根の膾(なます)など。
冬菇1枚でご飯が2杯は軽く食べられる、極めて濃い味付けだった。
鶏肉もそうだが、これらは正月の酒のアテだ。
かなり濃い味のものがないと、酒飲みの連中が来ると、あっという間におせちがなくなるので、こういう濃いおかずを考案したらしく、母もこれは仲居や大きい家の女中の仕事をしていた時に覚えたとか聞いた。
昔は、親戚の人たちが一つの家にお正月参りで集まるのは普通だったし、その時子どもたちにお年玉が配られるのが風物詩だった。
そうなると酒飲み連中がえんえんと同じ話を繰り返しつつ、かなり呑んでは食べる。その振る舞い料理と酒もケチらないのが、礼儀だった。
で、我が家では年末にこの鶏肉と椎茸の甘辛煮を大量に作るのが通例だったのだ。
もう、そういう濃い親戚付き合いは遠い過去のものになったようだが。
そう、コロナが流行る前から、そうなっていたのだ・・・。
さて、母がもういないので、自分で作るしかない。
しかし、母が認知で作れなくなって、以前に何度かチャレンジしたが、柔らかく甘辛く煮れた試しがないのだ。だいたい固くなってしまう。煮すぎているのだ・・・。
確か、醤油と砂糖をケチるな。とも言われた覚えがある。
とはいえ、母の場合、見てあとは舌で覚えた料理らしく、調味料の分量は最後まで教えてもらえなかった。
適当な量を入れるんだよ、としか言わないのでその適当な量が判らないわけだ。
まあ、今年もチャレンジ。
そんなこんなで、皆様、良いお年を。