友人と話をしながら近況ノートを書いている。
小説をたくさん読み、調べ物をして、エッセイをゆっくりと堪能した日々だった。
行きたかったカフェが閉店する、残念だ、と会話する。最後に行こうかと思ったけど、残念ながら予定が合わない。
閉店しないように行きたいところは早めに行こう、と早速、遠い約束を交わした。何故なら8月は暑いから。
本を読んだ。
図書館から借りた本なので今のうちに読まないといけない。黙々と読んで言葉に触れながら、私は言葉が好きなのだと思った。
だから物語を書くのも楽しいし、言葉に触れるのも楽しい。
生み出す苦しみはあるけれど、やはり書く仕事が出来たならと思う。
図書館の本を置き去りにエッセイを読み始める。
冬の植物観察日記。
日記と名前のつくエッセイが好きだ。
この本は特に冒頭から心を掴まれてしまった。
読みながら風景が浮かぶ。何故か足裏に伝わる植物の感触を思い出す。広い原っぱの上を歩く。当たり前だけど、どこを歩いても草の感触がした。
そんなことを思い出しながら読み進めると今度は雨の匂いがする。
雨の匂いは山に入った時も感じる。実際は雨の匂いではないのだけれど、私は子供の頃から雨の匂いがすると、「雨の匂いだ」と思って肺を満たすまで息を吸っていた。
梅雨が近づくと雨の匂いが増える。
雨の匂いは私にとって、落ち着く匂いだった。
と、エッセイの感想から遠く離れてしまった。
このエッセイは題名の通り冬を近くに感じることが出来る。
夏の暑さの中で冬を感じた本だった。
私の好きな一冊のひとつになった。いつになっても新しい本との出会いは嬉しい。
ここで図書館の本に戻る。
友人と懐かしい話になる。あの時は楽しかったね、と笑いながら涼しくなったらどこへ行こうか、と話す。
私がその土地の本屋に行きたい、というと、任せて!と笑ってくれた。ありがとう。
ここでTwitterの話になる。小説家の先生の話題になって、どういう言葉に触れるかは本当に大事だよね、と頷きあう。
良くも悪くも言葉は影響を受ける。
ちなみにこれは文章を全く読まない、とか言葉に触れないという話ではないと注釈する。
「楽しいものに触れて生きていきたいよね」
甘いって言われても私の人生だもの、と互いに笑い合う。楽しいばかりではないけど、意図して触れる言葉は、心地良いものでありたい。
それだけでは駄目だよ、なんていう声もあるけど、そんなのは分かってるんだよね、と頷く。
見えてるものが全てじゃない。
と言う言葉が浮かんだ。これは確かゲゲゲの鬼太郎のセリフだった。
グレープフルーツをむくのを忘れた、と声がする。
うっかり忘れていた。
外側の皮を向く。更に薄い皮を丁寧に向いて、果実を取り出す。種を取るなどのちまちまとした作業を繰り返して、綺麗に取り出した果実をタッパーにしまう。後はおやつに少しずつ食べる。
グレープフルーツの苦味と酸味が好きだ。
今日はもうむかないけど。
明日も図書館の本を読む。
好きな文体だなぁ、と思いながら文章に触れる。
触れた言葉は私の糧になる。
やっぱり言葉に、物語に触れるのは楽しいな、という確信を得て、いつ遊ぶかの約束を交わした。
あのカフェに行こう。